小十郎は、描きかえられた地図を眺めて眉を寄せた。
 先の連戦で、伊達軍は北条領の大部分をこそぎとった。いまだ北条氏政は小田原城に籠ったきりだが、その支配地域は以前の半分にも満たない。
 武田に次ぐ連戦、しかも防衛戦であったことを考えると、上々どころかこれ以上はないほどの勝ち戦だった。
 その結果収穫前の農村を多数抱えたことになったので、今年の年貢は期待できた。
 この分なら、戦力が回復するのも早かろう。

 ―――伊達軍はこの戦で、大した損害をだしていない。
 しいて言うなら、鉄砲弾薬、弓矢が減った程度である。
 それは、政宗がそのように図面を引いたからだ。

 彼が取った手段は人的損害を極限に抑えるものだった。
 しかし、その手段は、その有効性ゆえに彼の輿望を大きく損なうものである。
 事実、正攻法を避けた勝利は政宗に卑劣漢という中傷を与えた。
 それは、カリスマを以て軍を統率するタイプである政宗にとっては、決して望ましいものではない。
 暴走族のような伊達軍をまとめるには、彼らを御すための実力と魅力が必要なのである。

 だが、一抹の不安とは裏腹に、兵士たちの間で政宗の声望はむしろ高まりを見せた。
 それは、政宗や小十郎を始め、諸将がこの防衛戦の意義を噛んで含めるように教えたためだ。
 必ず勝たねばならないと危機感を与え、北条が仕組んだ喧嘩だと通達することで敵意を煽り、「上等だ、その鼻を明かしてやる」という気概を引き出し、実際勝ってみせることで、政宗は軍内における自分の名声を確固たるものにしたのである。
 どこまで読んでいたのか知らないが、全く見事なことだ。

 (しかし、一つひっかかる)

 小十郎は小田原と書かれた点を睨みつけた。

 (あの老将が、こんな奇策を思いつくか?)

 幾度か戈矛を交えた間柄だ。ある程度人物像は把握している。
 それを鑑みれば鑑みるほど、小十郎には奇妙に思える。

 確かに、武田と伊達の交戦を喜ぶのは北条だ。
 しかし、死してなお名高い北条氏康ならともかく、在りし日の栄光に縋る老人がこのような策を練るだろうか。
 何か、ひっかかった。
 どこかにまだ絡む糸を感じたのだ。

 (武田…はないな。ああくそ、嫌な感じがするぜ。何かやらかしそうな連中は……)


 小十郎が頭を悩ませていると、年若い主君が彼を呼びながら廊下を渡ってきた。

 「Hey 小十郎! いるか?!」
 「政宗様」
 「おう、ここにいたのか」

 板床の上にどかりと腰かけて、政宗は一通の書状を指で弾いた。読めということらしい。
 質のいい和紙に豪快な筆跡が踊っている。
 ざっと目を通した小十郎は、いささか興奮した声をあげた。

 「これは……!」
 「Yes. 甲斐の虎が奥州の竜に降ると言ってきた。近いうちに米沢城に来るらしい」

 案外早く降ったなぁと笑った政宗は、若いが群雄の顔をしている。
 遅かれ早かれ、打撃を受けた武田が彼の傘下に入るのを望むことを見越していたらしい。
 その凶暴さと思慮を秘めた独眼を、小十郎は心服した目で見返した。
 全く見事なものだった。











 1 / 2 のクラウン! Ventitre´ : 奥州へ









 天高く馬肥える秋。

 あれって本当は、秋になると収穫した穀物目当てで異民族が攻めてくるから気をつけろ、ってことなんだけどなぁと思いながら、馬上のは団子を呑みこんだ。

 「のどかだ」

 頭をよぎった慣用句をそのまま表すかのように、眼前には肥沃な甲斐の秋が広がっている。
 海のような金色の稲穂はまるで甲殻類の触手が作った草原で、思わずランランララランランランと鼻歌が口をつく。今日の着物は青色なので気分は倍増。いっそ水浴びて更にジブ●にひたろうか。

 (いや、でもさすがにダンゴムシの触手の中でダンスを踊る気はないぞ)

 初めてあの名作を見たとき、それまでの感動も忘れてドン引きした経験を持つは即座に妄想を打ち切った。
 やっぱり米はそのままの姿が一番素敵だ。艶やかに濡れた姿もおいしそうで捨てがたいが。
 女に告げたら赤面か蒼白のどちらかが返ってきそうなことを考える。

 「の旦那―、それ食ったら出発だよ」
 「おー!」
 「あっ、こら旦那! 追加注文なんてしないの! すいませーん今のナシで!」
 「ぬぁ! ち、違うのだこれは馬の分だ! 拙者は食わんぞ!」
 「馬がみたらし団子を食べるかねっ。どうせ残ったからとかなんとか言って自分で食べる気でしょ」
 「それは違うぞ佐助! わしが食う!」
 「お、お館様ぁ……! 拙者の団子を…!」
 「旦那も大将も黙りなさい! 無駄遣いしない! 団子は一日三本まで!」
 「えー」
 「えー」
 「口応えしない!」

 たく…とぶつぶつ言いながら、佐助がかいがいしく二人の世話を焼いている。
 その背中に紛れもない母の疲れを見て、は今度肩叩き券をプレゼントしようと心に決めた。

 慣れない騎乗に慣れるため、ずっと馬上に座りっぱなしだったを信玄が呼んだ。幸村はまだ佐助に泣きついている。
 もさもさ草を食んでいた馬の手綱を引いて、ぽっかぽっかそちらへ向かう。

 「大分馬に慣れたようじゃな」
 「Si(はい)! サーカスでも、動物とはよく遊んでましたから」

 火の輪くぐりのライオンの鬣をドレッドヘアにしてみたり、玉乗りの象にお手製の羽付きレオタードを着せて魔女っ子仕様にしてみたり。
 後者は我ながら本物の羽が生えたようだと思うほどの出来栄えだったのだが、あとで団長に呼び出されてこっぴどく怒られた。
 ちなみに、は手芸全般が得意である。裁縫から化粧までお手の物だ。

 「甲斐は、豊かな土地であろう」
 「Si。トスカーナみたい」
 「とすかなというのはお主の国か?」
 「No、違います。たまに巡業で回るところで、田園風景で有名なんです」
 「ほう。……だがなあ、この一帯は、恐らくわしの手から離れるだろうよ。ここは奥州に近い。独眼竜は甲斐一国を取り上げることはあるまいが、この辺りのいくつかの村や要衝は押さえる」

 あれは甘い男ではなさそうだと、領地を取り上げられるというのに彼は楽しそうに笑った。

 ―――彼らは今、奥州への旅路にある。
 旅の目的は奥州と甲斐の同盟だ。とはいっても同盟とは名ばかりで、実質は奥州へ降るため。
 わざわざ信玄が、彼の半分にも満たぬ齢の小倅に出向くのは力関係を無言のうちに表すためだ。
 それに真田主従が同行しているのは、例のごとく幸村が強硬に主張した(駄々を捏ねたともいう)からで、がうろちょろしているのは信玄の好意からだった。

 武田が伊達に負けた今、を縛っておく理由はない。
 しかし、異国語を使うは武田を打ち負かした伊達を連想させるがために、武田領内ではいつ何時ねじ曲がった感情の的にされてもおかしくはない。
 武士というのは誇り高いが故、敗北の鬱憤を晴らしたがる者も多いのだ。
 それが仇討ちやら御家再興に向かえばいいが、単なる八つ当たりでは死に損だ。
 だが、状況によっては、信玄は彼の上に振り下ろされる暴力を看過しなければならない立場にある。
 実をいうとそれは幸村もそうなのだが、まだどこか幼さの抜けきらない青年はそんな汚い事情に気付いていないようだ。佐助あたりは気付いているだろうが、彼がそんな醜い心構えを溺愛する若子に説くとも思えない。彼の忍は、それをするくらいならば秘密裏に自身の手で全てを闇に葬るだろう。
 だから信玄は、彼を安全圏に連れてくることにしたのだ。
 伊達政宗は異国語を操る。ならば、異国出身のに興味を持ち、あわよくば引き取ってはもらえないかと。

 (それにもしかしたら、この子供が海の向こうへ帰る術があるやも知れぬ)

 海のない甲斐では手に入らない情報も、先進性や国際性に富み、大海に面する竜の下でなら集まるかもしれない。
 信玄は頼りない体しか持たない異邦人をうかがった。
 彼は熾烈なおねだり合戦を繰り広げる幸村に何かアドバイスを送っている。
 その横顔はただ笑顔で、信玄が同行を求め、その意図を敏感に察した時と同じくなんの悲壮も、友を惜しむ情さえも浮かんでいない。

 奥州への旅を申し渡したとき、あまりにもが平然としているので、信玄は思わずこれがどういうことなのかわかっているかと聞いた。
 は無言のうちに意図を察したように見えて、実は何もわかっていないのではないかと思ったのだ。
 しかし彼はそのわずかな希望を粉々に打ち砕き、信玄の意図を過ちなく説明してみせた。
 己の不甲斐なさを謝る信玄にはなぜ謝るのかわかりませんと返した。 
 信玄は尋ねた。

 「わしのせいで、そなたは幸村たちとも離れなければならぬのだぞ。独眼竜が引き取ってくれなければ、そなたはただ甲斐から放り出されるだけに等しい。お主はそれがわかっているのに、何故わしを責めようと思わんのか」
 「……? だって、俺はクラウンですよ? 契約の違約金はありがたくいただきますけど、雇い主に文句言う権利なんかないんですよ」
 「雇い、主…、そなたは、幸村を友と思うてはおらんのか?」
 「友達ですよ。でも俺はクラウンなんです」

 クラウンには過ぎた友達ですよ、あんなに大事にしてくれるなんて。
 信玄は、この少年が甲斐も幸村も安息の地とみなしていないことを悟らざるをえなかった。
 彼にとって、ここは彼の巡業地となんのかわりもないのだ。
 信玄も幸村も孤児の彼が身を寄せたサーカスにすらなれなかった。
 だから彼は、自身の安全を第一に考えて去っていく。

 (この少年はどこかに安息を見つけることはできるだろうか)

 ただひたすらに、頼ることすらせずクラウンとして生き抜いていこうとする子供。
 一人ぼっちのがこの国で安らうのは、ひどく難しいことのような気がする。

 (願わくば、奥州にて海を越える術が見つからんことを)

 サーカスとやらに戻れば彼は肩の力を抜けるはずだ。
 そこは彼の家庭であったのだから。
 しかし、信玄にはの家路が果てしなく遠いものに思われてならなかった。










 奥州は甲斐よりも冬の到来が早い。
 釣瓶落としのように早々と日が暮れた頃、たちは篝火に照らされた城門をくぐった。
 夜に溶けた城はその威容を暗闇に隠してはいたが、猫の爪のような月が屋根瓦の上に煌々と輝いていて、その輪郭を僅かに浮び出させている。
 ヨーロッパの古城とは違った趣を感じては息を吐いた。

 (逃げ出しにくそうな城だなぁ)

 あっちこっちに罠が仕掛けてある。
 視線を地に転じればそこかしこに鼻からぷすぷすと煙を出す石像があった。
 竜首を象ったそれらは普通にしていればまあまあかっこいいと言えなくもないのに、焦げ臭い鼻息のせいで閉園寸前のテーマパークのような情けなさが漂っている。
 一応それらも罠の一種であろうが、はどことなく同情した目をむけた。
 どういう仕組みかよくわからないが、どうやら炎を噴き出すらしいそれらは近頃の原油高の影響を受けたのだろうと思ったのだ。城主たる政宗は客人を歓迎する意味で炎を止めたのだが、まさか財布を心配されるとは思ってもみなかっただろう。

 ―――現代日本に育ったにはその名を知る由もないが、罠は定番の忍返しから始まり彼が同情した竜首まで、米沢城は執拗なまでに対侵入者(主に忍)に特化した堅固な城だ。
 これは度重なる某真田家忍頭の侵入に負けじ魂を燃やした政宗と彼の配下の黒脛巾の意地の産物で、度重なる修築の結果うっかり小十郎を罠に嵌めてしまい、地震のP波のように静かにかつ恐ろしいほど不穏な笑顔を浮かべた彼によってありとあらゆる罠が対政宗に変更され、その後彼によってバージョンアップした仕掛けはそのままに、元通り忍用として機能することとなったという、なんともむごたらしい紆余曲折を経た執念の結晶であった。
 それ以来例の忍頭も迂闊に侵入できなくなったので、当初の目的は達したといえる。
 しかし、時折やたら滑らかな英語の悲鳴が上がるのもまた悲しい秘密である。



 ともかくそんな忍殺しの城に入ったは、案内された部屋の一番後ろで、信玄や幸村(佐助は忍だからと同席を辞退した)の背中越しにその男を見た。

 「Hey 甲斐の虎ァ。よく来たな、歓迎するぜ」

 ジャパニーズ・マフィア――ヤクザ――のような男を従えて上座に座った政宗の意外な若さには驚いた。
 奥州の独眼竜と言えば、信玄を降した相手である。てっきり岩のような大男か、アル・●ポネやラッキー・ルチ●―ノやドン・ボンゴレあたりを想像していたのだ。
 それに比べたら、政宗はメンズ●ンノだったのである。

 (あ、でも違うな。オヤカタサマやユキムラに似てるものを持ってるんだ)

 しかし、彼はすぐに政宗とモデルの差異に感づいた。
 はもともと聡い。
 極端に安全を求める思考が、彼の観察眼を育てているのだ。
 だから、彼が端正な造作の下に凶暴な牙を持つ人間であることを見抜くのは容易かった。

 政宗という男は、好戦的な獣の光をその独眼に宿している。
 それは幸村のそばにいたにとって見慣れたものであったのだが、政宗は幸村とは随分違うと彼は分析した。
 食えない笑みを浮かべながら信玄と政治的な駆け引きを繰り広げている政宗には、信玄に通じる強かさと汚さが備わっている。更には、佐助に似た闇色の影を感じ取ってもいた。
 それは細雪のように掴んだと思った端から姿を消してしまうが、見間違いなどでは決してない。

 (変な男だ)

 政宗は幸村とは違い、複雑な男であると思われた。
 かといって佐助のように複雑怪奇な方向に延びた挙句後方三回転半捻りしてジグザグ走行した前衛的オブジェのような男でもなさそうだ。

 油断ならない抜け目なさと凄惨さを感じるのに、政宗は人を惹きつけるカリスマ性を持っていた。
 むしろそれを全面に出している感すらある。ひょっとしたらそのカリスマでもって奥州を束ねているのだろうか。
 変な話だが、は政宗を花形スターのようだと思った。
 それはもちろん彼のいたサーカスのスターで、いくら技術を磨こうと最後には観客に笑われる、いわば添え物のクラウンではなく、ブランコ乗りとかイリュージョニストのような。

 なるほど彼ならば奥州の王と呼ぶに足るだろうと、は納得した。
 そのときの視線と、政治的な話(はとうに理解するのを諦めているが、どうやら信玄の予想通り、伊達優越の下今まで通り信玄が甲斐を統治するのが決まったらしい)を終えた政宗の視線がぶつかった。

 「おい、甲斐のオッサン……話は変わるが、そいつは何者だ?」

 アフリカの原野を走り回っていそうな凶暴な目で見られては竦み上がった。
 そこらのチンピラのガンなら睨み返して勝利する自信はあるが、彼の与える威圧感はチンピラのガンなど足元にも及ばない。衝撃具合で例えるならブーブークッションとバナナの皮。いやがらせ具合で例えるなら衆目の前で渡される育毛剤と多めに皿に盛られたピーマンくらいの差がある。

 (落ち着け落ち着け。マフィアのドンだって靴下を履いてるんだ

 には固有のリラックス法があった。
 どんな恐ろしい人物と相対しようと、どんな偉人の前に引っ張り出されようと、その立派なスラックスの足元は自分たちと同じ靴下なのだと思えば緊張が取れるのだ。
 脛あたりまでの白ソックスを想像すると、なんだか頬がよじれてくる。
 いやいや白とは限らない、豹柄かもしれないしセーラー●ーンかもしれない。いやいっそストッキングとか網タイツとか。

 「………っ」
 「ああ、この者はと言って、今は幸村に仕えておる。異国で修業した芸人で……どうしたのだ?」
 「殿?! 顔が真っ赤でござる。ね、熱でもあるのですか?!」
 「Non…fa、 niente……(なんでもない)! ちょ、ほんと大丈夫大丈夫」
 「おい……そいつ大丈夫か?」

 心配する周囲をよそに、は顔を真赤にしてぷるぷる震えていた。笑いをこらえているのである。
 ここで笑ってはいけない。仮にも政宗は奥州独眼竜、この城の城主で権力者だ。

 (耐えろ俺、耐えろ腹筋、耐えろ頬筋!)

 靴下とかリラックスするためのただの妄想だからっ、よく見ろ自分、あいつが履いているのは足袋であって断じて網タイツじゃないからっ。
 だから正気に戻れ俺! がんばれこっち側に戻って来い!
 必死で爆笑の手を振り切ろうとするはおもむろに拳を固めると、勢いよくそれを己のみぞおちに埋めた。

 「ぐふぅ」
 「ぎああああああ殿おおぉぉお?!」
 「おいおいおいホントにお前大丈夫なのか?! Hey小十郎、薬師を呼べ!」
 「は…ですが政宗様、この場合どこを診るのですか?」
 「頭に決まってんだろ! Hurry up!」

 しかし薬師と聞いた途端、自業自得のダメージで痙攣していたは激烈な反応を返した。
 涙目になって駆け寄っていた幸村にしがみつき、

 「いやああああmedico(医者)はいやあああああっ! やめて助けて殺されるううううう!!」
 「Shut up! てめぇを診るんだよ殺しやしねぇ!」
 「政宗様、叫ぶほどの元気があるなら薬師は不要と見受けますが」
 「そうそう俺元気だからmedicoなんかいらないからほらユキムラも何か言って!」
 「ぷひゃおおおうっ」
 「ぎえええええええ?! はな、鼻血ぃぃぃ?!」
 「Nooooooo!! 小十郎やっぱ薬師を呼べ、怪我人だ! ついでに手ぬぐい! 俺まで血ィ被った!」
 「ぎやああああああああmedicoは呼ばないでェエエ!」
 「幸村、何をしておるか。独眼竜に迷惑をかけるでないぞ、根性で止めぃ!」

 大騒ぎになった。


長かった…!
やっと政宗と対面ですよ
米沢城に関しては捏造万歳です
080215 J

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