苦々しいものを噛みしめながら糾弾したとき、その道化師はしょうがないなぁというように笑った。 彼は自分の容疑を必要と思われる分だけ、過不足なく否定した。それはまるで台本でも読んでいるかのようにすらすらと。 元から決まっていた幽閉を告げたときにも、彼は動揺した様子さえなかった。 まるで最初から知っていたかのように粛々と頭を下げ、普段とはかけ離れた、それこそ幸村でも滅多に使わないような丁寧語で仰せのままにと吟じて、 (また笑っている) 信玄は夾竹桃の下で笑い交わしている小さな人の輪を見た。 そこは躑躅ヶ崎から随分と山奥に入った鄙村で、彼はその村唯一の寺に、あの不運な少年を預けたのだ。 上田城でも躑躅ヶ崎でも、幸村や町衆と賑やかに暮らしていたらしい彼に、この閑寂とした村はあまりにも不似合いだった。 それを信玄は憐れに思ったりもしたのだが、なかなかどうして、少年は快適に暮らしているようだった。 幽閉暮らしを快適というのもどうかと思うが。 人の輪は、みすぼらしい身なりの子供たちがほとんどだった。 幼子を背負った子供もいるから、近くの百姓の子供たちだろう。 彼らは目を丸くして、あるいは輝かせて、娯楽の少ない鄙に降って沸いた見世物を楽しんでいる。 見世物とは、あの道化師だった。 彼は見慣れない小道具を器用に操り、あるいは自らの体を道具として、子供たちの笑顔を引き出していた。 そのうち彼は何人かの子供たちを円陣の中心にひきいれ、彼らに何かを教え始める。 すると弾けるような歓声が上がった。今まで芸事など何もしたことのない子供たちが、曲芸の主役になっていた。 それを演出した少年は、満足そうに笑っている。 ふと、その目が信玄を捕えた。 「オヤカタサマ!」 「うむ」 滑舌の怪しい発音で、彼は幸村譲りの呼び名を呼んだ。 信玄はそれに頷いて答える。何事かと訝しげな顔をして振り返った子供たちが、次の瞬間「なんか偉そうなお侍」を発見して、小さな悲鳴と共に額ずいた。 「ああ、これ、そんなことをせずともよい」 「だっ、だども……!」 「良いから顔をあげよ。……うむ、元気のよい顔じゃ。坊主、先ほどの芸、見事であったぞ」 「ふぁ…ははーっ!」 「お主らには悪いが、わしはに用があるのだ。話をしに行っても良いか?」 「も、もちろんですだっ。おら、おらたち、すぐに帰りますだで!」 「んお? 俺に話…ですか?」 「うむ」 「そうですか。それじゃ、皆悪いけど、今日の見世物はここまで。Ciao!」 「ちゃ、ちゃお…」 満面の笑みで手を振って見送るとは裏腹に、子供たちは心配そうな面持ちで背後を振り返り振り返り、小走りで去っていった。 小さな村では、侍を見ることさえまれだ。 地位のある武士ともなれば尚更のこと。 「好かれておるようじゃな」 「はい! 最初は怖がって近寄ってさえくれなかったんですけどねー。寺の境内で芸の練習してたら、だんだん寄ってきてくれるようになったんです」 「お主の芸は見事だからのう」 「Grazie mille(どうもありがとうございます)!」 信玄はを引き連れ、寺の一室に入った。 障子が大きく開け放たれているので、稲穂を垂れた村の様子がよく見える。 山間の小さな村であるが、その光景には信玄の愛する甲斐の豊かさがあった。 茶菓子を運んできた小僧が退室するのを待って、信玄は口を開いた。 「よ、お主は甲斐をどう思う」 珍しいのか茶菓子を矯めつ眇めつして、一気に頬張っていたはリスのようになった顔を向けた。 懸命に口を動かして、中身を嚥下する。 「ぷは、ぁ、うまい! んー、俺は流れ者なんで、そんなに深く知ってるわけじゃありませんけど。いい国だと、思います」 「何故」 「笑ってる人が多いから」 視線で先を促した信玄に、はその理由を返した。 「楽しい人は笑います。しあわせな人は笑います。笑ってると楽しくて、しあわせだから。だから、武士から農民まで笑顔がいっぱい浮かんでいるこの国は、いい国なんだと思います」 「なるほどな……笑顔、か」 「Si!」 にこりと笑った顔はまだ幼さを抜けきらない。答えだって、子供のように単純で青臭い。 しかし、の答えは信玄の中で綾に響いた。 「……わしはなあ、。天下に野望が無いとは言えんのだ。叶うことなら上洛を果たし、日ノ本の中心に風林火山を靡かせたい」 それは、この乱世に生まれたものなら誰もが持つであろう夢だ。 信玄とて東の雄に数えられる男。夢を夢で終わらせない実力も、備えていた。 備えていた。過去形だ。 彼の手にあった武力は、今は心許ないものなのだ。 ―――あの敗北から、あまり日は経っていない。 甲斐の軍事力の低下は深刻で、信玄が決断を誤れば遠からずこの平和な鄙も血の草鞋に踏み荒らされる。 信玄の力は、天下を望むには不相応なほど後退してしまったのだ。 加えて、今はまだ頑健な肉体と衰えを知らぬ気力を保っていても、信玄とて人生の下り坂に入った人間である。 いつかその身は滅びよう。 他国の勢力のこともある。国力を落とした甲斐を狙う手はいくつもあるのだ。 それを退けつつ武力を蓄えるのは至難の業だ。 迫り始めた限界を跳ね返し、もう一度夢を見るには最早遅い。 (あるいはあの男なら) 圧倒的に不利な戦局を回天させた独眼竜。 彼には勢いがあり、それに何よりまだ若い。 国主としての肝も据わっているようだから、信玄は道を譲ることを受け入れられたのだ。 そう、信玄は道を譲ったのだ。 「この手に天下を。……しかし、それにはわしの手は年を重ねすぎたようだ。勿論、妙な輩が甲斐を、ひいてはこの日ノ本を蹂躙しようというのなら、その頭をかち割ってくれよう。だが、今のわしは天下よりも、この甲斐に全てを注ぎたく思うよ」 山間に拓いた土地。信玄の甲斐。 連綿と続く甲斐の民の系譜を、信玄は何よりも慈しみたいと思った。 だからこそ、近隣の大名に食い潰される前に独眼竜に膝を折ると決めたのだ。 勝利したとはいえ、伊達軍は連戦を戦いぬいた。しばらく出兵はないだろう。 だが、伊達が回復するのは武田よりも早い。 それは性質の差であり勢いの差だ。 勢いも国を守る一つの力となるこの時代、下手に逆らえば国を滅ぼすこととなりかねない。 (伊達は、わしを生かしておくだろうか) 仮にも敵方の大将である。 傘下に入ったとして、信玄の命の保証はない。 それでも彼は独眼竜に降るだろう。彼ならば甲斐を荒らすまいと思ったから。 甲斐を思えばこそ、信玄は鬼にも人柱にもなる。 は敗国の大将の独白を端座して聞いていた。 その顔にはどんな色も刷かれていない。 しかし不思議と、彼はこれまでの経緯も未来も察したようだった。 聡い子だ、と思う。 そして同じだけ、不思議な子だとも。 話すつもりのなかったことまで話してしまいたくなる。 本当はまだ天下に未練があると、白状してしまいたかった。 そして彼は、その見苦しい吐露さえ予測しているように思える。 信玄は、最早を疑ってはいなかった。 もともと忍とはどうしても思えなかったのだ。彼の目に宿る光は幸村のように明るいものでもなく、まして一般人の持ちうるものでもなかったが、佐助が時折覗かせるような暗黒でもなかった。 その光は水底の蝋燭のようであったのだ。 彼の上をどんな夜が過ぎ、どんな朝が廻ったのかはわからない。 信玄はそれがふと気になって、語られた彼の人生のあらまし以上のことが知りたくなった。 「よ、お主の故郷はどんなところだ?」 淡く微笑を刷いて、相変わらず楽しげな口調では答えた。 「さあ、詳しいことは覚えてません。俺はサーカス育ちで、旅の空が故郷の空だったから」 「しかし、お主は十二までは母親と暮らしていたのではなかったか」 「そうなんですけど」 懐かしむような声音、けれどどこか残念そうな。 ごまかしているようでも、悲しんでいる風でもなかった。 「俺はバカだから、住所とかはっきり思い出せないんです。すごくしあわせだったことは覚えてるし、家族の記憶はあるんですけど土地のことはさっぱり」 土地の思い出といえばもっぱら海を渡ってからのもので、とは笑った。 そのままイタリアでの思い出を語りだしたものだから、信玄は思わず「帰りたいか」と問うた。 すると少年は目をぱちくりさせて、 「だって無理ですよ。帰る目途も方法も闇の中なんですから、そんな思いは破って丸めて火をつけて灰は流すに限ります。嘆いておたおたするより、俺は皆と笑ってたいですよ」 事もなげに切り捨てる。 信玄は絶句した。 彼の言葉は葛藤を乗り越えたのでも、思い出を糧としたのでもない。 ただ単に、諦めただけなのだ。 葛藤も悲しみも抱くことなく、彼は「無理だから」の一言で、彼を育んだ全てを切り捨ててしまう。 平気でそんなことをして、しかも笑ってのけられるのは本当に寂しいことだ。 彼は、信玄が守ろうとするものを予測できても理解はできないに違いなかった。 それが腹立たしくもあり憐れでもある。 旅の空に生きる芸人という立場故なのかもしれないが、少なくとも芸人たちには懐かしく思う場所も人もあるだろうに、流転の末に頼るものとていない立場に立たされて尚、彼は思い出に縋ることさえしない。 否、恐らくそんな考えすら持つまい。 笑って生きることだけを考えている道化師の少年が、信玄はただひたすらに憐れだと思った。 1 / 2 のクラウン! Ventidue : I’m here. その日、幸村は浮き立つ心を抑えることができなかった。 うっかりスキップなんぞしかけて、治りかけた傷を思い切り引き攣らせる始末である。 ぴきりと走った痛みに声にならない悲鳴をあげたら、同じく完治ならぬ半治の佐助が物凄い勢いで飛んできて、次の瞬間奴は苦悶の表情を浮かべて芋虫のようにのたうった。 悶える主従を布団に引きずりながら、アホじゃないかと思った家臣たちは間違っていない。 そもそも腹や足に風穴を開けて、一月も経たずに塞がりかけること自体がどうかしているのだ。 ちょっとくらい人間らしく痛みに悶えればいいと思ったとて罰はあたるまい。 家臣たちにそんなことを思われているとは露知らず、幸村は真っ青な佐助に話しかけた。有給と称して療養中のため、珍しく忍服を着ていない。 「佐助、出掛けるぞ!」 「いってー、あたたたた……あ?! 何無茶なこと言ってるの。アンタ脚打ち抜かれてるんだよ、出掛けるなんてもってのほか!」 腹に穴を開けた佐助は大声で強硬に反対した。腹から声を出す腹式呼吸だ。そちらの方がもってのほかだと思われる。 案の定懲りずに撃沈した佐助に、幸村は不満そうに反論する。 「しかし、ちょっとの距離だぞ。今のは気が抜けたのだ。先ほどお館様と挨拶をした時には何ともなかったのだから」 「ちょっと目を離した隙に何やってんだあんたらはよぉぉお!!」 「佐助落ち着け! 腹に響く―――ほら、いわんこっちゃないでござる。佐助―? 聞こえるでござるかー?」 「うぅ……シメる……絶対シメてやる……」 「夕飯に鳥でもシメるのでござるか? とにかく、その時に聞いたのだ!」 「何を?」 「聞いて驚け、今日殿が帰ってくる!」 「…………!!」 幸村はだから迎えに行こう、と佐助にねだった。 気のせいか尻にぶんっぶん振られる尻尾が見える。 一方の佐助は、意識が遠のくのを感じた。 (旦那だけでも大変だっていうのに……) あのが帰ってくる? あの道化師が? あの厄介事自動量産装置が? ( 死 ぬ ) 佐助は克明に未来を予見した。 忍が畳の上で死ねるのはありがたいことだが、過労死はまったくもってありがたくないと思う。 「佐助、行くぞ!」 「あー……俺様の人生、太く短かったなぁ……」 はしゃぐ幸村の首に縄をつけて城下に出ると、何やら華やかな一団が二人の一目を引いた。 その一団は色とりどりの着物と黄色い歓声――いやむしろ嬌声――で溢れ返っていて、まるで新春安売り大感謝祭のようだ。 けれども構成員たる彼女らの顔に浮かんでいるのは般若のような表情ではなく、むしろ思わず声をかけたくなるような輝いたそれ。 二人は呆然とそのおしくらまんじゅうのような光景を見ていたが、唖然としているのは二人だけではないようで、通りに出ていたほぼ全ての男性陣は顎が外れたように立ち尽くしている。 女性陣に至っては言うまでもない。 老いも若きも関係なく、おしくらまんじゅうに参加中である。 枯れ木のような老婆が年甲斐もなく発奮して嬌声を上げている姿は、ある意味佐助の頭痛を誘った。 「なんだってんだ…ありゃ…」 「さ、佐助、あれを見ろ!」 「え?……ば、馬場の旦那ぁ?!」 女まんじゅうの中心に、頭二つ飛び出した顔見知りの武将を見つけて佐助は思わず叫んだ。 幸村の話によると、を迎えに行っていたはずの男だ。 (なんて羨ましい……じゃなくて!) 馬場は、男臭い武田において一、二を争う そのあまりに男らしい風貌ゆえに婦女子にはあまり好かれないらしく、好きな娘に振られて便所でしくしく泣いていた猛将という逸話を持つ 只今の発言に誤解を招く表現があったことをお詫びいたします。 その馬場が、便所で泣いていた馬場が、老女すら参加するハーレムの中心にいるのである。 何が起こった。 女だけがかかる疫病でも流行ったのか。 あるいは、天変地異の前触れかもしれない。 別の意味で呆然とした真田主従に気付いた馬場が、助けを求めるように必死な目を向けてきた。 彼は慣れない事態を喜ぶより、怖がっているのである。猛将の名が泣いている。 ふと、佐助は彼の周囲をぴょこぴょこ動く頭に気付いた。 その頭は女にしては短い髪しか持たず、けれど髷を結っているわけでもなく代わりに花かんざしを挿している。 女たちからは頭が半分抜き出ているが、馬場からすれば女といっても変わらない。 何せあの問題児は、薄い竜胆色に小花模様を染めた着物を着て、和更紗花鳥紋の派手な帯を締めていた。 つまりは、やたら粋な女の装いである。 「あの……阿呆はッ……!」 幽囚明けとは思えぬ全開の笑顔で、違和感なく女装した少年はコマネズミのように動き回っていた。 唖然とする人々の中から目ざとく若い娘を見つけては、気障ったらしくその手を取り(その動作はやけに自然で堂に入っていた)、 「こんにちはお姉さん。素敵な着物だね」 娘は、柔らかい色調で染められた萩模様の着物を着ていた。大人しそうな顔立ちによく似合っている。 女とも男ともつかない目に熱っぽく見つめられて、初心な娘は頬を染めた。 「名前はなんていうの?」 「か、かよ…」 「カヨ。素敵な名前だ。まるでたおやかな小花みたい」 「た、ただの名前よ…珍しくもないわ」 「俺が言ったのは、カヨのことだよ」 彼はついっと娘の顎に手をやって、真っ赤なかよの視線を自分の目に集めた。 「……竜胆のように控え目で美しいひと。かわいい顔を隠さないで。ねえ笑ってよ。花はそれだけで綺麗だけど、微笑みはそれを何倍も輝かせる」 「で、でも…わたし笑っても、綺麗でもなんでもないわ」 「誰がそんなことを言ったの? 君は俺を一瞬で虜にしたほど愛らしいのに」 「わ、わたしの幼馴染とか……」 かよの顔に過った悲しみを敏感に捉えて、彼は自信のない少女の頬に手をやった。 突然触れられて驚いたかよに言う。 「No,no! そんな見る目のない男は簀巻きにでもしてこっちから捨ててやりな。花の美しさも知らない男に、花を批評する資格なんてないよ」 だから悲しい顔をしないで。俺に君の笑顔を見せて。いとおしい竜胆。 耳元で囁かれて、かよはこれ以上ないほどに赤くなった。もはや竜胆というより紅葉のようだ。 おずおずとはにかみながら笑った彼女を満足そうに見つめると、彼は彼女の手をとって女まんじゅうへと導いた。 「花は笑うべきなんだ! さあおいで、皆で今日という日を輝かそう!」 「いらっしゃいお花ちゃん。本当に竜胆みたいね!」 「ねえ、あなたを妹って呼んでもいいかしら?」 「きゃあああああ、お姉さま!」 「けっ。寄るんじゃないよ、むさ苦しい野郎! おとといおいで!」 「そんな、お前はオレの女房じゃないか!」 「あんたなんかにゃあたしはもったいないのよ!」 「そこで何をしてるんだトヨ! 年甲斐を考えろ!」 「黙れこのすっとこどっこい! 女はね、いつまで経っても花なのよ。それすら理解しないってんなら、縁切り寺にでも駆け込んでやる!」 「うおおおおおお!! お姉さま! お姉さま! お姉さま!」 …………わけがわからない。 女の喉から張り上げられるものとはとても思えない大合唱が響き渡る。 女同士で誉め称え合い、男なんざお呼びでないとばかりに固く団結した女まんじゅうは、目の保養を通り越してなんとなく裂帛の気合のようなものまで漂い始めていた。 戦場でも滅多に感じない戦慄が武将二名と戦忍の背筋を駆けのぼる。 絶対に関わり合いになりたくない。身の危険を感じた戦忍が、馬場を見捨てて幸村を避難させようとした時、「あっ」と見知った声が耳に届いた。 (来るな呼ぶなあっちへ行け!) 佐助は適当な神仏に祈った。 しかし願いも虚しく、見知った声―――男でありながら女まんじゅうに違和感なく溶け込み、それどころか満喫している中心人物―――は嬉しそうに再会を告げた。 「Ciao―――! ユキムラ、サスケ、元気だった――っ?!」 一気に女まんじゅうの視線が突き刺さり、二人は思わずひくりと息を呑んだ。 佐助は返事を返す前に手当たり次第心中で神仏をこき下ろす。 この辺りが、彼が神仏の加護を得られなかった理由だったことだろう。 |
前半と後半のテンションがorz 主人公のタラシは楽しかったけど難しかった こわいな! (遠征王大好き!) 080210 J |
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