隣を疾駆していた騎馬が高く嘶いて倒れた。 駆け抜けた足元に矢を突きたてられて事切れた兵がいた。 「ぬあああああああ! 伊達政宗ぇぇえ!!」 戦は武田の負けだろうと、思う。 1 / 2 のクラウン! Venti : 贖罪の首 U 戦場には執拗なほど罠が仕掛けてあった。 それは落とし穴であったり、草を結んで馬の脚を奪うそれであったり。 油の染みた草原に誘い出された一隊は、荒れ狂う炎の舌に舐められて無残に殺された。 風向きまで読んで仕掛けられた罠は巧妙で、羅刹のごとき残酷さだ。 いくつもの柵が設けられ、盛り土の向こうで鉄砲が火と鉛玉を吐きだしていた。 耳元に死の突風を聞きながら、幸村はそれを破壊していく。 幾重もの弾幕の向こうにあの男がいるだろう。 余裕の笑みを絶やさないその唇は、今酷薄につりあがっているのだろうか。 その冷酷でもって、に理不尽を押し付けた男。 この槍でその身を貫きたくて仕方がない。 肉を裂き、骨を断ち、その醜悪な笑顔に歪んだ首を胴から切り離して、そうしてにもう自由なのだと、すまなかったと謝りたい。 そうしたら彼は許してくれるだろうか。 が嫌がるならば、胸に滾々と湧く泉を枯らそう。 愛おしさという水の一滴さえ漏れないよう、石を詰め、蓋をして、全部心の襞に押し込めて鍵をかける。 そうしたら―――そうしたら、また友達に戻れるだろうか。 何もなかったように、最初に心に甘い影が落ちたその前まで。 「うおぉおああぁああああ! どこだ! 伊達政宗ぇええ!!」 幸村の耳には、もはや撤退の合図など聞こえていなかった。 こんなにも人を殺したいと思ったのは初めてだ。 心が黒く塗りつぶされていくようで、しかしそれすらも気にならない。 ひたすらに槍を振るって駆けた幸村は、ついにその男を見つけた。 彼は稲妻を奔らせ、今まさに騎馬武者を馬ごと切り裂いたところだ。 青い陣羽織が血でまだらに染まっている。彼の周囲には喰い散らかしたように兵が躯を曝していて、通った後がよくわかった。 「伊達政宗ェエ! 覚悟ォ!!」 「Ah‐?! 真田幸村か!!」 ギィィン! 凶悪な鍔競りの音が甲高く響くと同時に、両者は飛びのいて距離を取った。 お互い肩で息をしている。 興奮と疲労がないまぜになって、闘志が丈高く燃え上がる。 「度重なる卑怯な襲撃! 拙者幻滅いたした! その素っ首刎ねてくれるわ!」 「Ha! できるもんならな!」 「うおおおぉぉおお!」 二槍を振り上げ、獣の咆哮を上げて突進する。 この穂先に血を。奥州独眼竜の血を絡めて、その首を刎ねれば。 繰り出した高速の突きを、六爪が捌いた。 槍を弾かれた隙を狙ってぎらぎらと鈍く光る刃が幸村の胴を狙う。 「甘いわ!」 即座に槍を握り直して防ぐと、それを狙った膝が脇腹を蹴り込んだ。 たまらず弾き飛ばされ、死馬に衝突する。 「がっ」 「Hah! 腕が落ちたんじゃねェか?」 「くっ…」 一気に間合いを詰め、上段から振り下ろされた刀を辛うじて防ぐ。 幸村と政宗の膂力はほぼ互角だ。 力の競り合いには余裕がない。体勢の不利な幸村の槍柄が軋む。 隙を見て足払いを掛けて、バランスを崩した政宗を弾き飛ばした。 政宗がよろけたのを機会に、立ち上がりざま首を狙う。 風を切った槍は彼の髪を何本かさらって空ぶった。 普段なら、楽しささえ感じるほど興奮しているはずだった。 刃を重ねる瞬間が永遠に続けばいいと思うほど、熱くなった魂は心地よく焦げた。 力の漲った体は何よりも気持ち良かったはずなのに。 (殺す殺す殺す、) 殿。 殿。 今、贖罪を。 血が熱く滾っている。ただそれは目の前の男を殺すためだけに。 険しい顔で黒々とまたたく瞳は修羅のそれだ。 常の幸村を知っている政宗は、その変わりように軽く眉を寄せた。 信玄のために槍を振るっていた幸村は、そんな憎悪に満ちた顔を見せたことがなかった。 憎悪など持たず、ただ一人のために返り血を浴びる姿はこの時代の寵児であるかに見えた。 人は憎まなくても人を殺せる。 武士という職業はまさにそれで、けれどそこには狂気がなければ成立しない。 そして武士は、その狂気を持つが故に美しい。 幸村という武士は、正にそれだったのだ。 それなのに今、政宗に牙を剥く若虎はもはや野生の美などどこにもなく。 ただ、感情に呑まれたあさましい人だった。 「Ah? 随分お怒りじゃねぇか」 怒りは視野を狭くする。 幸村は元々猪突猛進気味な男だが、それでも状況を判断する武将らしさは持ち合わせていた。 それなのに今、彼の耳は撤退の合図を聞き流し、目は敵陣に孤立した危険を見過ごしている。 脳に届いてすらおるまい。 血が上った頭は、政宗を殺すことしか考えていない。 (まあ、おかげでやりやすいが) 政宗は好敵手の変貌を惜しむと共に微かな悲哀を覚えた。 いつも以上に興奮した幸村は、その判断力を鈍らせている。 判断力こそが戦場で生き残る最大の武器だ。 それを眠らせた幸村はいくら強くとも彼が認めた好敵手ではありえない。 政宗はそれを、好敵手としても、一人の人としても惜しんだのだ。 幸村の才能は散らせるには惜しすぎる。 (だが、ここは戦場だ) 同情は無用。 死んだならそいつが悪いのだ。 安い同情はかえって自分の死を引き寄せる。 「黙れ! 貴様のせいで、どれほどの命が奪われたと!」 「It’s same to you(てめぇの言えたことか)!」 「異国語を喋るな! そのせいで殿は……!」 「? 誰だそりゃ」 謝らなければ。謝らなければ。 蛇のような動きで槍が動く。政宗はそれを止め、鍔競りになった二人の間に稲妻と炎が迸る。 凶暴な光の向こう側の独眼を睨みつけた。 「殿に謝るのだ。貴様のその、首でもって!」 「Ha!」 政宗は大きく身を反らし、勢いをつけて頭突きした。 兜からはみ出た髪が炎に炙られてちりつく。 玉鋼の頭突きを受けた幸村は大きくのけぞり、そこを狙った六爪に慌てて距離をとる。 ふらついたのは、軽い脳震盪を起こしたからだ。 それでも立っている彼の目から闘志が消えない。 恐らくそれが彼を突き動かし、強いが諸刃の剣のような力を与えているのだろう。 「No kidding(ふざけんじゃねぇ)。テメェの後始末の為なんかに、この首がやれるか」 血に染まった戦場を背にした政宗は、伊達軍が作った即席の土塁を背にした幸村に苦々しく吐き捨てた。 「テメェなんぞをライバルと認めたのは、俺の間違いだったらしいな。そんなちっぽけな野郎にゃ構う価値もねぇ」 「何を……! 卑怯者が、どの面下げてそのような侮辱を吐くか! 拙者こそ貴様のような腰抜けなど願い下げだ!」 「Are you sure? テメェ、腰抜けって意味わかってんのか?」 「貴様のような、愚か者のことよ! 汚い手段ばかりで、度胸も何もない。貴様なんぞのせいで殿があのような憂き目に遭ったとは…!」 だから誰だよって、と思いながら、政宗はなおも吠える幸村に見切りをつけた。 「愚か者の意味さえわかんねぇんじゃ、相手してやる必要もねぇな。そこで吠えてろ」 「逃げるか! どこまで惰弱なのだ貴様は?!」 「ガキに構ってやるほど、俺は暇じゃねぇんだよ」 政宗は、別れの挨拶のように片腕を上げた。 という誰かに謝る為だけに独眼竜の命を狙った子供を見放すように。 「旦那!!」 その瞬間、幸村は慣れ親しんだ手が乱暴に自分を押したのを他人事のように見た。 忍装束を血で染めて、必死の表情を浮かべた佐助。 突然現れた彼は、次の瞬間何かに背中を押されたように一歩前へ進み、そのままぐしゃりと崩れ落ちた。 一刹那遅れて右腿に大きな衝撃。体内を異物が通りぬけて、その通路がカッと灼熱した。 そうして、耳がやっと轟音を拾う。 政宗と対峙していた時は冬の夜のようにしんとしていた世界が、突然堰を切ったように音を取り戻す。 「さ、すけ……?」 身にとぐろを巻いて巣食っていた昂揚はどこかに消し飛んでいた。 夏なのに、大気が冷え冷えとしているようだ。 見せつけるかのように時はゆっくりと過ぎた。舌が張り付いて、うまく喋れない。 ああ、今血を吐いたのは誰だろう? 腹から広がっていく赤色は、何を意味しているのだろう? どうしてこの大きな四本足の動物は、呼吸を荒くしてこんなところにいるのだろう? 「ぁ、あ……!」 「旦那…」 がたがたと。 手から槍が零れ落ちる。赤く滑る柄を握れない。 夢から覚めた子供のようにさ迷う右手を、少し温度の下がった指が捕らえた。 ぼたりとその指から赤色が滴る。 それは夏草の上に鮮やかに広がって、幸村の左手を濡らした。 「さすけ、さすけ、」 「旦那…我に返って、くれた?」 「佐助……拙者は、」 「あー、駄目じゃない。ほら、早く槍持ってよ」 死んじゃうよ? ここは戦場なんだから。 力の入らない体に無理矢理力を入れて、あえて何でもないように言った。 呆けた顔に見覚えがある。ああ、ここにいるのは、初めて人を殺した日の幸村だ。 恐怖で白くなった幼い顔を撫でてやる。 指は血の跡を残した。 佐助は腰を抜かした幸村の脚を見た。 避けきれなかった鉛玉が右腿を貫き、彼の白い袴を朱に染めている。 これでは立つこともままなるまい。 「独眼竜の旦那ァ…やってくれちゃったね」 「Ha. 油断したそいつが悪ぃんだよ」 「返す言葉もないや。ねえ、それに免じて、見逃してくれない?」 「No kidding. こんなチャンス、滅多にねえよ」 政宗は六爪を構えて、傷ついた真田主従を見下ろした。 子供のように震える幸村は、向けられた切っ先など興味の外とでもいうように、見開いた瞳いっぱいに強がる佐助の横顔を映している。 今の彼なら、簡単に討ち取れるだろう。 逆に今討ち取らなければ――― 「……行け」 「………いいの?」 「そんな腑抜け殺ったところで、楽しくも何ともねぇよ」 「はは。それじゃ、お言葉に甘えて」 血を滴らせた忍は、放心した主人を抱えて消えた。 見送った政宗は舌打ちして刀をしまう。 どうせもう周りに敵はいない。幸村が単騎で乗り込んできていただけだ。 この戦、伊達の勝利だ。 (ったく、俺も甘ェもんだ) 結局、政宗は好敵手を惜しんだのだ。 好敵手は万全の状態で討ってこそ。 判断力の鈍った獣を銃で追い詰めて、長年の対戦を終わらせるのは趣味ではない。 (それにどうせ、真田を討とうが討つまいが、もう戦は終わっている) 政宗の完勝だ。 武田騎馬武者は壊滅し、幸村さえもあの状態。 武田の金看板はあと信玄が残っているが、今回政宗の目的は大将首ではない。 信玄とて、上田城襲撃の報復にきたのだから(もっともそれは誤解だが)、これ以上手勢を失うわけにはいくまい。 戦場を清めようとするかのように吹いた風は、腥風となって旗を揺らした。 血と硝煙と焼けた肉のひどい臭いがして、政宗は整った顔を盛大にしかめる。 「行くか」 武田を打ち崩したところで、彼の戦はまだ、終わらない。 |
一武将の幸村と国主の政宗では結局の所立場が違うと思う 政宗は幸村よりも酸いも甘いもわきまえてる感じ でもあえて奴を幸村以上の中学生にしてみたい 080205 J |
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