晩夏の空に戦旗が翻る。
 馬の嘶き。刃が触れる音。
 腰に下げられた法螺貝。踏みしめた脚に力が籠る。


 残暑を焦がす銃声が、その全てを朱に染めた。










 1 / 2 のクラウン! Diciannove : 贖罪の首 T









 「静まれ! 物陰に隠れろ、銃撃を避けろ!」

 張り上げた声は少年の域をやっと抜けかけた、しかし戦慣れした武将の命令。
 けれどそれは、悲鳴と銃声に掻き消され、怯えた馬の蹄鉄に踏みにじられる。
 突然の銃撃に、隊は大混乱に陥っていた。

 「ちぃ……ッ!」

 横倒しになった荷車の影に飛び込んで、幸村は盛大に舌打ちした。
 合戦場になるであろう平原にはまだまだ距離がある。
 その行軍中、彼らはちょっとした切通しを通っていたのである。

 切通しとは、尾根を切り開いた細い道を言う。
 せいぜい馬二頭半ほどの幅しかない細道で、その成り立ちからわかるように両側は切り立った崖である。
 これは大軍がうかつに攻め入れないように、かつ伝令が通るために造られたからで、鎌倉の朝比奈坂などが有名である。
 閑話休題。

 真田隊が奇襲を受けたのは完全な切通しとは言えない場所だった。
 そこは天然の切通しというべきで、片側こそ崖になっているが、その崖は低く、もう片側など崖ですらない。
 行商人や地元の民も利用する道らしく、そこそこ舗装されていて、隊列を組んで進むことも容易だった。

 (あの崖か……!)

 崖の上、まばらな灌木の合間から、陽光を受けて黒光りする銃口が覗いている。
 それはうまく木々の隙間を縫っていて、玉は木に邪魔されず兵の肉を食い破った。

 鉛玉は絶え間なく降り注いだ。
 この時代の鉄砲は種子島と呼ばれる火縄銃で、単発先込め式なのだが、ローテーションを組んでいるらしくオレンジ色の火花が次々と弾ける。
 その度に哀れな悲鳴が響き、人か馬がどうと倒れた。
 力なく投げ出された血まみれの手に、光の欠片が差していた。それはまるで掴めなかった夢のようだ。
 濃い血の臭いと硝煙が漂い、凄惨に染まった光景は地獄絵図というにふさわしい。

 しばらくすると銃声の数が減り、代わりに弓の弦が引き絞られる音が聞こえた。

 「佐助ッ!」
 「はいはいっと!」

 幸村はその隙を逃さず、戦忍と共に駆けた。
 僅かな突起を足場に一瞬で崖を登る。弓を番えた十数人の兵が慌てて上を向いた。
 太陽を背にした二人は眩しくて射ることができない。

 「はあああ!!」

 幸村は着地と同時に手近な兵を貫いた。
 脳天から槍を体に突き刺された兵は一瞬で絶息する。
 引き抜いた刃は血を纏って光った。
 放たれた矢を跳んで避ける。片足が着いた瞬間踏み込んで、一気に六人を薙ぎ倒した。

 「佐助!」
 「こっちも完了!」

 巨大な手裏剣を持った佐助は返り血すら浴びずに立っていた。
 絶命した体から流れた血が、青々とした草を覆っている。
 血溜まりの中できらきらと光っているのは使われなかった矢だ。切れた弦が幾何学的な模様を描いている。

 「旦那…おかしい、こいつら弓しか持ってない」

 戦闘の口火を切った鉄砲はどこにもなかった。
 ただ火薬の臭いだけが、それらがここにあったと告げている。
 風向きの関係で、ここまでは血臭が届かないのだ。

 「それに、奇襲にしちゃえらく人数が少なくないかい」
 「うむ……足軽か武士がいると思ったのだが」

 倒れているのは十数人。
 奇襲といえば弓か鉄砲で虚を突き、足軽が大挙して襲ってくるのがセオリーである。
 この人数は、少なすぎた。

 「……とりあえず、俺様は周りを見てくるよ」
 「うむ」

 一瞬で掻き消えた佐助を見送り、幸村は崖を降りた。
 道に近づくにつれ、うめき声が聞こえてくる。
 灌木の先には血の海があった。
 耳を聾するばかりの銃声が消えた後に残されたのは、そこらじゅうで上がる苦悶のうめき。
 血泡を吹いて倒れた馬の横で、胸を血に染めた兵が断末魔の痙攣を起こしている。
 狂奔した馬に踏み殺されたのか、中身をぶちまけた死体もあった。

 あまりに惨憺とした光景だ。
 これを地獄と呼ばないなら、何をそう呼べばいいのか。

 「……ッ、皆の者、しっかりせい! 卑劣な伏兵は斬り伏せた、これ以上の銃撃はない!」

 幸村はこみあげかけた塊を無理矢理飲み下して傷ついた兵に駆け寄った。
 上半身を馬の死体に隠した兵は足に傷を負っていたが掠り傷だ。まだ生きているだろう……

 「………ッ!」

 馬の影で、彼は頭を撃ち抜かれて死んでいた。
 見開いた目が白くてらてらと光っている。まだ若い。幼くすらあった。恐らく元服を終えたばかりの少年。
 戦に出るのも、これが初めてだっただろう。

 (ああ)

 瞑目した瞼がひくひくと震えた。
 滲みそうな涙を押し込めて、幸村は彼の目を閉じてやった。
 溢れ出した脳漿が指につく。まだ温かかった。

 見回せば無傷の者の方が少ない。皆どこかしら血を流して、あるいは槍に縋り、あるいは地面を這っていた。
 馬など、全て失ったも同然だ。

 (たった十数人……しかし、奇襲は成功した)

 重傷は言うに及ばず、足を撃たれた者も行軍の邪魔になるので置いていかなければならない。
 幸村の率いる隊は後にも多く続いているが、この本隊は壊滅に近い被害を出した。
 政宗とは何度か戈矛を合わせたが、こんな事態に陥ったことは一度もなかった。

 「旦那」
 「佐助か」

 音も立てずに戻ってきた佐助は、忍らしく片膝を立てて報告した。

 「この辺りに他に伏兵はいないよ。けど、火薬の臭いが残ってたから辿ってみた。竜の旦那は、忍に鉄砲を運搬させてるみたいだ」
 「何?!」
 「少し行ったところに、空の荷車があった。多分それに積んできたんだね。もうちょっと足を延ばしてみたら、まさに交戦中の奇襲部隊と忍を見つけたよ」
 「どこだ?!」
 「小山田の旦那のとこ。全部殺ってきたけど、やっぱり被害は大きい」
 「おのれ……! 伊達殿は、卑怯者に身を落とされたか!」

 上田城襲撃戦といい、今回といい、士道に反するふるまいばかりだ。
 好敵手の蔑むべき変節に幸村は怒髪天を突いた。

 (何としても、その御首はいただく!)

 宿命の好敵手としてではなく、敵将のそれとして。
 今回の戦、幸村は何としてでも手柄を立てなければならなかった。

 (殿、待っていてくだされ!)

 全力で政宗の首を挙げ、彼の自由を取り戻そう。
 幸村は気合を入れ直し、大声で無事な兵を集めた。


 森に、鳥の鳴き交わす声は聞こえない。










 武田軍本陣に到着した兵は、当初率いていた兵力の実に七割に落ち込んでいた。
 ほとんどの隊が奇襲を受けたのだという。
 特に、有力武将の率いる隊や、武田が誇る騎馬隊は執拗な襲撃を受けた。
 幸村のようにいくつかの小隊が残っているのはまだいい方で、ひどいところでは兵が四散して武将と彼らの側近しか残っていない。

 奇襲は、そのほぼ全てが高所からの銃撃か矢の雨、騎馬隊では竹槍の隠された落とし穴もあったらしい。
 足軽に攻撃されたという報告は皆無だ。

 「何という恥知らずな! 独眼竜とは、はりぼての竜か!」
 「奇襲ばかりを繰り返すとは……卑怯な男よ」
 「独眼竜は、奇襲の方法も知らぬ愚かで、臆病なトカゲだったのか!」

 顔を真紅に染めて、武将たちは口々に政宗を罵った。
 しかしその目には一抹の不安がある。
 彼らは以前の政宗を知っているのだ。幸村との一騎打ちさえ切り抜けるあの男が、軟弱なはずがない。
 だからこそ、その変化が腹立たしく、また不気味でもあった。

 騎馬隊が半減していることもある。
 鉛の玉に倒された彼らは、武田の強さの象徴だ。
 ちなみに象徴は三つ。信玄、幸村、騎馬隊である。


 端然と黙して轟々たる非難を聞いていた信玄が、突然かっと目を見開いた。
 瞬間、水を打ったように場が静まり返る。
 隆々とした巨体から発散される怒気と覇気が、諸侯を圧倒したのだ。

 「………答えよ。被害はどれほどか」
 「騎馬隊半減、真田本隊壊滅、甘利虎康様お討ち死に!」
 「何、甘利殿が?!」

 遅れて到着するものと思っていた快活な老将の訃報に、諸侯の間にどよめきが走った。
 幸村は顔を青くして、膝の上の手を強く握る。

 「甘利殿が……!」

 孫のような齢の幸村を可愛がり、叱る人だった。
 幸村もよく懐いて、小さい頃は甘利のじい様とまとわりついたものである。
 その時の好々爺とした面を健在だった父にからかわれ、童を可愛がって何が悪いと言い返していた。
 生き死には武家の宿命とはいえ、氷の刃で刺されたように心臓が大きく跳ねる。

 (伊達、政宗……!)

 許さぬ!
 決意を新たに、幸村は静かに闘志を燃やした。

 戦鬼の表情に変貌していく青年武将を信玄はちらりと見やり、報告の続きを促す。

 「全体では」
 「はっ。足軽、武士は温存されております。が、やはりわが軍の主力というべき隊の損害が大きく……戦力は大きく落ち込むかと」
 「ふむ……」
 「お館様! 迷うことはありませぬ。ここまでやられて撤退するは武士の名折れ。伊達の小童を引きずり出し、武士道のなんたるかを叩きこんでやりましょうぞ!」
 「弾幕の裏にいるトカゲに、武田の強さを思い知らせてやるのです!」
 「お館様!」

 ここで逃げるわけにいかないというのは、道理だった。
 侮られたら終わりの乱世である。既に多大な損害を出した武田軍が、奇襲ばかりで兵力の全容も明らかにならない伊達軍本隊と交戦しても、はかばかしい結果は得られないのは火を見るより明らかだ。
 しかし、報復戦として宣戦し、戦場にまで辿り着いたというのに戦わずして逃げたとあっては、近隣諸国から侮られよう。
 特に危ないのが織田、豊臣だ。
 武田軍は騎馬隊の半数と真田隊、歴戦の武将を失っている。
 この痛手を弱味として残したまま撤退すれば、彼奴らが大挙して押し寄せてくるのは自然の流れだ。
 そしてその時、甲斐は煉獄の炎に沈むだろう。

 「お館様」

 凪いだ、憤怒を限界まで押し殺したが故に背筋を粟立てる声が響いた。
 信玄は進み出た青年の目に炎を見る。

 「行かせてくださいませ」
 「………」
 「伊達政宗は、卑怯な手段で多くの命を奪いました。ここで退いては男ではございませぬ」

 ふつふつと、噴火前の火山のような。
 高温で煮えたぎる溶岩が、幸村の裡で爆発の時を待っている。

 しかし、と信玄は考える。
 幸村の目にふとちらつく、暗い影はなんだろうか。
 まっすぐ信玄に向けられた双眸が、主君の体躯を通り越してどこか遠くを見つめているように思うのは、気のせいだろうか。
 信玄の脳裏に、幽閉に向うその時さえ笑った少年がよぎった。

 「拙者は……友を救わねばなりませぬ」

 ああ、やはり。
 得心がいった信玄は、しかし彼らの間に起きたやりとりを知らない。
 幸村は続けた。あの炎のような目で、マグマのように赤い口腔を開いて。

 「お館様、竜を討ち取りましょうぞ」





 法螺貝が響く。太鼓が鳴る。
 戦端が開かれる。

 辿るべき道は血ぬられて、一つきりしかない。
 それでも歩んでいかなければ、この身が朽ち滅びるのみ。


信玄をもっと智将にしたかった
戦闘シーンが得意になりたいなぁ
080205 J

18 ←  00  → 20