拒絶よりも酷い言葉はどこまでもエゴイスティックだった。
 最後の言葉の真意が佐助にはよくわかる。
 幸村は素直にそれを優しさと受け取ったから、彼はもう二度とに手を出すことはできまい。

 (見事と、言うべきなのかね)

 言葉の罠はどこまでも残酷。
 紋切調の鞭の後の飴は、絶大な効果を生むだろう。
 しかし、その端々に見え隠れする余裕のなさ。
 まるで子供が、必死に嘘をつくような。

 (まあ、いいか)

 は幸村に積極的に踏み込もうとしない。
 それどころかたった今、近寄ろうとした彼を手ひどく撃退してみせた。
 幸村に関わらないのであれば、佐助にはそれでいい。

 佐助は、部屋を出て行った幸村を追うことにした。
 青空はいつの間にか崩れて、と初めて会った日のような雨模様だ。
 大粒の水滴がえぐるように地面を叩きつけている。

 幸村は訓練場にいた。
 雨の中に仁王立ちして、髪も着物もすっかり濡れ鼠だ。ぺったりと張り付いて体の線を浮かび上がらせる。
 隆々とした、とまではいかないが健康的に鍛えられた体。
 初めて刀を握った日の頼りなさはすでに消え去って久しい。

 それなのに、薄墨色にけぶる訓練場にぽつんと立つ背中は、どうしようもなくあの子供だった日を思い出させた。

 「旦那」

 声をかけても反応しない。
 佐助はどうどうという雨音の中に足を踏み出した。

 「そんなところに突っ立ってると、風邪ひくよ」

 戦の前だ。あの真田幸村が体調不良で討ち死になんて笑い話にもならない。
 ましてや失恋の痛手なんて。

 (あの御仁は、初恋には難しすぎるよ)

 初恋、佐助はその単語を舌の上で転がした。
 幸村は天を仰いで微動だにしない。
 今彼の頬に伝う雫は塩辛いかもしれないと思った。

 (ああ、―――子供の成長って、こんななのかなぁ)

 精悍なその背は、まだまだ幼く見えるというのに。
 雨はまだ、やみそうにない。











 1 / 2 のクラウン! Diciassette : children









 が何処かの幽閉地に連れて行かれた日、幸村は夕飯に手をつけなかった。
 ぼんやりと槍を見る姿はとても武将のそれではない。
 今の彼なら、雑兵にだって討たれるだろう。

 佐助はその腑抜けに歩み寄った。
 彼はちらとも視線を寄越さない。

 「旦那、」

 ごっ。

 骨と骨がぶつかる音が響いて、幸村の体が傾ぐ。吹っ飛ばないのは流石というべきか。

 「流石に、大将のようにはいかないか」
 「……ッ、何をする佐助!」

 右頬を赤く腫らし、激昂した幸村が忍の胸倉を掴む。
 その燃える目を、佐助は冷めた目で見返した。

 「まだちゃんと怒れるんだね。腰抜けになったかと思った」
 「何を…!」
 「若さにまかせて大暴走、結果見事に振られて、それで士気も落ちる……これじゃ、腰抜けって言われても仕方ないよ。ああ、案外の旦那の狙いはそれだったのかもね。実は伊達の忍で、武田の武将を骨抜きにするために送り込まれた色小姓、とか?」
 「佐助…許さぬぞ?! 殿はそのような者ではない! あれは……あれは、拙者が…!」
 「ほら、見事にヘタレてるじゃないのさ」
 「……ッ!」

 唇を噛んだ少年に、佐助は淡々と告げる。

 「甘ったれるんじゃないよ。旦那は武田の武将なんだ。どんな時でも勤めは果たさなくちゃならない―――いつか、旦那は嬉しそうにこう言ってたはずだよ」
 「………ッ」
 「旦那、」

 幼さを抜けきらない顔。この柔らかく真っ直ぐな心に、あの道化の冷たい刃は深く刺さったことだろう。
 自己嫌悪が渦巻いて、己のあさましさに絶望して。
 その身は信玄の槍であれと誓ったはずの思いまで影に覆われるほど。

 やりすぎだよ、佐助はここにいない子供に文句をつける。
 彼はいつも、自分の身を守ることに必死だ。そのせいで、振り下ろした刃の痛みを考慮しない。
 もてる全てを自分のために使う彼は、それを悪いとも思わない。
 まるで躾のなってない子供のようだ。

 それでも、幸村を奮い立たせるために一番有効なのは彼の名前を使うこと。
 佐助も信玄も、今はあの子供の存在に打ち勝てない。

 自己嫌悪を持たせたまま戦場に出すわけにはいかない。
 しかしの植え付けた自己嫌悪は、幸村を捕えて離さない。
 ならばそれを逆手に取ろう。彼が生きて帰れるように。

 震えるほど、屈辱的なことだけど。

 「旦那がそんな調子じゃ、の旦那も貶められるんだよ」
 「……ッ、何故! 殿は関係ない、これは拙者のせいなのだ!」
 「そう、身から出た錆だね。でも、そのきっかけはの旦那でしょ?」
 「ッ」
 「旦那もわかってるはずだよ。の旦那の立場は、限りなく悪い。もしこれで旦那が死んだり、武田が負けちゃったりしたらどうなると思う?」
 「ぁ……」
 「ね。嫌だよね。あんな可愛い顔が晒し首になるのなんて、見たくないよね」
 「さ、すけ…」

 拙者はなんということを、呆然と呟かれた絶望を、佐助は望みの方向に誘導する。

 「俺様も生きててほしいよ。だからそのためには、頑張って竜の旦那を叩きのめしてやらなくちゃあね」
 「佐助、」

 助けを求めるように漂った手をしっかりと握る。
 この血まみれの手にお前の赤い手を重ねてほしい。そうしたら導いてあげるから。どこまでだって走れるように、邪魔なものは全部排除してあげるから。
 この身を闇色に染め上げて、お前を守ってあげるから。

 「守ってあげよう? 謝罪と贖罪のために」
 「うむ……!」

 昂然と顔をあげた幸村に、佐助はによく似た笑顔を浮かべる。

 (の旦那は、きっと帰った旦那を避けると思うけど)

 佐助にはあの道化師の思考が読める。
 ひたむきな愛情を、彼はとても嫌うだろう。
 それが無意識かどうかはともかくとして、彼が幸村をかわせばそれでいい。
 佐助には、幸村がすべてなのだ。
 の闇色は、いらない。










 精悍な面貌が悪童のように笑った。
 鷹のように鋭い独眼が細かく書きつけられた書状を辿り終えると、読めというかのようにそれを差し出される。
 書状を受け取った小十郎はその文面にざっと目を通し、不謹慎な笑みを浮かべた政宗に厳しい視線を向けた。
 その隙に隣に座った成実が書状を奪い取り、一読して口笛を一つ吹く。

 「甲斐の虎も耄碌したらしいな」
 「政宗様…いかがなさるおつもりです」
 「Ha! 返り討ちに決まってんだろ?」
 「返り討ちったってさー、読む限りじゃオレ達の方が悪役だぜ?」
 「身に覚えはないがな」
 「Ah‐ha? どっちにしろ仕掛けられてんのに変わりはねぇよ」

 書状は、甲斐に放った忍から届いたものだ。
 そこに記されていたのは、上田城を正体不明の軍が襲撃したこと、それが伊達のものと思われていること、そして、武田が対伊達戦の準備を始めていることだった。

 伊達と武田は、上杉と武田ほどでなくとも幾度か刃を交えた間柄だ。
 特に政宗と幸村はお互い好敵手と認める仲で、いつかは決着をつけねばなるまいと常々政宗は思っている。
 しかし、今回の引き金となった上田城襲撃に心当たりはなかった。
 ここしばらく政宗は北条とやりあっていて、甲斐に駒を進めた事実はない。

 「濡れ衣だが、どうせいつかは戦らにゃならねぇんだ。No problem」
 「しかし、北条はどうなさるのです」

 今、伊達と北条は非常に険悪な仲である。
 政宗が武田と戦うために出兵すれば、北条は間違いなくその脇腹を突くだろう。
 そうなれば、崩れるのは伊達である。
 武田の騎馬武者は精強を誇っている。それを相手取りながら、落日とはいえ関東に覇を唱える北条をあしらうことはできない。
 小十郎の心配はそこにあった。
 伊達の出兵を嗅ぎつけた北条が武田と同盟を組んで、挟みうちにでもされたら防ぎきれない。
 忍を使って情報を遮断しても、戦いの噂は隠しようもなく流れる。

 「甘ぇな、小十郎。これは北条の描いた絵だ」
 「…何ですって?」
 「うそ、マジ? どうして?」

 訝しげな二人を政宗は喉で笑った。

 「北条とことを構えてるこの時期に、武田を襲った伊達と思われる軍勢。越後の軍神は侵略に興味がない、最北端の一揆は武士を騙るほど磨かれちゃいねぇ。織田、豊臣、徳川、その他中央の大名は年貢の収穫前に奥州まで足を延ばす余裕はない―――得をするのは誰だ?」
 「それでは、北条は最初から武田と伊達を対戦させ、漁夫の利を狙っていたというわけか!」
 「げぇ〜、えげつねぇ!」
 「That’s right. 武田との対戦で俺達が滅びればよし、勝っても疲弊したところを突く―――ったく、小賢しいじいさんだ」

 安く見積もられたもんだなァ。細められた独眼に凄味が漂う。
 小十郎と成実は思わず息を呑んだ。
 薄くのばした怒りを纏った政宗は、味方ですら時折背筋が寒くなるほどの迫力を持つ。

 「そういうわけだ。北条は武田とは組まねぇよ。武田が伊達を呑んだら北条は困る。もし武田が俺達を負かしたら、即座に虎の皮を剥ぎにかかる」
 「ちょっと殿、オレたちゃ負けないよ?」
 「Of course! けどまぁ、仕掛けがいるな。まともに戦りあったら思うつぼだ」
 「北条め……今度という今度は生かして帰さん。とっとと棺桶にぶちこんでやる」
 「……殿、オレ席動いていい? ここ怖い」
 「Ha! 好きにしな」

 般若の形相をした小十郎を刺激しないように成実は尻を浮かせた。
 背中に真っ黒い炎を燃やした世話役は非常に怖い。

 「おい成実、ついでに諸侯を呼び出せ。くれぐれも内密に」
 「うん、いーけど。どうして内密にしなきゃいけないのさ」
 「なに、北条の鼻を明かしてやんだよ」

 悪質な悪戯を考え付いた餓鬼の顔で、政宗は従弟を促した。
 素直な武将は首を傾げながらも与えられた命令に忠実に従う。
 足早に出ていく成実を見送った政宗は、彼が放り出していった書状を引き寄せた。
 頬杖をついてもう一度流し読みする。
 文末に少しばかり変わった報告を見つけたのだ。

 「異国語を喋る芸人、ねぇ……」

 伊達の間者と疑われ、拘束されているらしい。
 しかし、政宗にはとんと心当たりがなかった。彼が異国語を喋れるからと言って、部下も喋れるわけではない。
 小十郎が少し意味を解し、成実がでたらめな単語を使うくらいだ。
 忍に喋れる奴がいるなど、聞いたこともない。

 (気の毒なこった)

 政宗は少しだけその芸人に同情して、すぐに忘れた。
 これから忙しくなるのだ。関係のないことなど気にする価値もない。
 独眼竜はやたら燃え上がる世話役に国境付近の地図を持ってくるよう命じると、その書状を畳んだ。


佐助と主人公は極悪コンビ組めると思う
そしてやっと政宗登場
小十郎をもっと軍師っぽくしたいなぁ
080203 J

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