夏の最中に書状が届いた。 そこには先頃上田城を襲った一軍が奥州の引き金である気配が濃厚であり、策を講じるため諸侯は躑躅ヶ崎に参上せよとの、信玄直々の招集だった。 幸村は一も二もなく仕度を始めようとしたが、末尾を読んで眉を寄せた。 そこには、道化師を伴ってくるようにとあった。 1 / 2 のクラウン! Dodici : nearly equal 最初に人を殺したのがいつか、覚えていない。 覚えていないのだから大した感慨もなく殺めたのだろうと思う。 幼少より忍の里で忍になるために育てられたのだからそれも道理かもしれない。 あるいは、かすがあたりなら覚えているかもしれない。あれは忍には不適とさえ思えるほど、心優しい娘だから。 (なーんて、なに感慨に耽ってるんだろうね) 佐助は慌しく出立の準備をする幸村を手伝いながら苦笑した。 いつものことだが、幸村は荷物を纏めるのが下手だ。 自身は精々槍と手拭しか持たないくせに、土産だなんだと称してさして大きくもないつづらにぽいぽいものを投げ込む。 「ああちょっとちょっと旦那、団子なんて入れないの!躑躅ヶ崎に着く前に腐るよ」 「と、途中で食べるからいいのだ!」 「おやつは一日一回だよ。どう計算してもこの量は多いじゃないのさ」 「殿と食べるのだ! 拙者たちは友達だからな!」 幸村は最近友達友達とやかましい。 さよけと呟いて容赦なく団子を取り出して、佐助は今回名指しで同行を命じられた道化師を思った。 彼も今頃荷物をまとめているはずである。 元々鞄一つでふらふらしていた彼だ。上田城で随分長く過ごしているが荷物はほとんど増えていない。精々怪しげな保存食だけだ。 まるでいつでも離れられるようにしているようだと、ふと思う。 (猫みたい) 佐助は間違いなく犬に例えられる幸村の抗議を黙殺してつづらを閉めた。 彼自身の荷造りは既に終わっている。身につけられるものが全てだ。 ―――佐助も、猫に例えられるに違いなかった。 様子を見に行くと案の定の荷造りは終わっていて、やはりというか鞄一つの軽装だった。 空色の着物を着た細い背中が真夏の庭を眺めている。 何が面白いのか、彼は入道雲に見入っているようだ。 「サスケ、」 振り返ることなくかけられた声に小さな驚きとやはりという思いが交錯する。 なぁにと返して彼の背後に立つと、細い首を巡らせて女のような顔が佐助を見上げた。 「オヤカタサマは俺に何を望むかな」 「さぁ? 俺様ごときにはわかんないよ」 「そっか」 挑発するように答えを濁すと、はあっさり引き下がった。 おかしな奴だ。 蝉時雨に聞き入るような表情を見せたには、常日頃の軽薄な快活さがない。 疲れきった老人のようでさえある感情の薄い横顔を、同じく感情の薄い目で佐助は見つめた。 (旦那の前でくるくる笑う男と、あの獣のような男と、この老人のような男。どれが、本当のの旦那だろう) 考えるまでもない。 全部だ。 佐助にとっては決して一貫性の無い人間ではなかった。 の思考は生き延びることを中心にして動いている。 彼はそのためならば手段を選ばない。他人の命を踏み散らすことさえ。 その思考回路は、いくつかの例外を除いて忍のそれに酷似していた。 だから、佐助はほぼ正確にの思考を推測することができる。 それはも同様だろうが。 (全く、大した狸だ) あの唐突な問いかけ。 は手の内をさらすことで佐助を牽制したのだ。 自分が躑躅ヶ崎へ行かなければならない理由も、佐助が会いに来た理由も理解していると。 今、の立場は限りなく危うい。 件の襲撃は奥州の独眼竜によるものとの見方が強く、武田と伊達は険しさを増している。 そんな中で、異国語を話す旅芸人は何を意味するか。 は、公式に間者の疑いをかけられたのである。 幸村や佐助に疑われるのとはわけが違う。 疑っているのは一国の主なのである。 仮に間者ではないと認められても、公式にかけられた嫌疑はを縛るだろう。 彼の自由は制限される。 それが一時的か永続的かはともかくとして、彼は何らかの形で鳥篭に入らなければならない。 逃げることはできない。 逃走は間者と認めることと同義だ。 彼が逃げれば信玄は必ず彼を捕らえて首を刎ねるだろうし、彼を無害と判断した幸村も責めを負う。しかしそれは佐助が許さない。 結果、は流れに身を委ねるしかないのだ。 拾い集めた情報から、は奥州と自己を分析する。 疑われても仕方のない身の上だ。 むしろ疑われずにすむ理由の方が少ない。 この状況で彼を庇ってくれそうなのは、彼を忍ではないと認めた幸村と佐助だけだ。 しかし幸村はともかく、佐助はあの忍のようなを見ている。「殺せる」人間であることを、その目で見たものとして知っているのだ。 だからはカマをかけた。 あれは、自分の状況理解を伝えると共に牽制でもあった。 佐助の思索を理解し、その上で自分は佐助の立場を利用する、そのための協力は惜しまないという―――…。 (佐助はかなり妙な立場にいる) 外面的には、幸村に仕える忍の一言ですむ。 しかし、彼はただ幸村に仕えているわけではない。 幸村がどう思っているかはともかく、彼の方では単なる主従を飛び越えているようだ。 佐助は幸村を中心にして生きている。 しかも、ただ彼を守るだけではない。さり気なく誘導している節すらある。 佐助は「彼の望む幸村」をいつくしんでいるのだ。 その偶像を守るためなら、彼は幸村自身を操ることすらしてのける。 幸村をいつくしむために当の幸村の人生を捻じ曲げる佐助は、どうしようもないエゴイズムの塊だ。 本人がそれを自覚していないから始末におえない。 (ユキムラは、あいされてるんだな) あの軍が伊達勢だという噂が定着している。 それが本当かどうか確かめる術はにはない。 しかし、その見方が広まったおかげで、彼は幸村から引き離される。 (余程、俺を遠ざけたいんだな) 仮にこれが佐助の描いた絵だとすれば、あのの一面を知った佐助が彼を有害とみなし、引き離そうとするのはありえぬことではない。 彼がを厄介な状況に逐うだけで殺そうとしないのは、一重に彼を友人と遇する幸村を悲しませないため、それだけだ。 果たして佐助は、薄い笑みを湛えて言った。 「奥州とはね、前から揉めてたんだ」 の隣に腰掛ける。 視線はお互い庭に遣っていた。 厳しい日差しの下で、濃い緑が光を弾いている。 その木陰が闇のように黒い。 「お互いにきっかけを探してた。今回のことは引き金になるよ。奥州は北条とも揉めてるから、大勢力とはいえ、いや、大勢力だからこそ、叩くなら今が好機だ」 もちろん負ける公算もある。 独眼竜は強い。 歴戦の武将・信玄でも、万が一は考えられる。 (けど、竜の旦那は大将を殺さないだろう) 仮に負けたとして、政宗は信玄や幸村を首にはすまい。 佐助は政宗という男を知っている。 若く、荒々しさはあるが傑物だ。 彼なら、武勇で鳴る武田主従を引き入れる方に回る。 背かれる危険よりも、多くの戦力を抱える織田への牽制のためだ。 頭の中で勢力図を確認しては一つ頷いた。 の思考を読み、彼の仕掛けたカマに乗った情報は、正体不明の軍を伊達勢に仕立て上げたのが佐助だという吐露に等しかった。 佐助の中では、あろうことか甲斐の命運より幸村の方が重いらしい。 戦になれば、幸村にも万一があるとは考えないのだろうか。 (いや…考えるまでもない) 幸村さえ生きていれば、彼はどんな生き恥も苦難も耐えるだろう。 けれど、幸村が死ねば佐助も死ぬ。 (ああ、サスケは本当にユキムラをあいしてる) 彼にとって、幸村が与えるものなら死さえも恍惚だろう。 にはその気持ちが手に取るようにわかった。 (俺、も、あの人をあいしてた) 世界の中心だった人。今はもう遠い。 「ねえ、の旦那」 佐助の声はを追憶の海から引き上げた。 「旦那は、どうしてあんなに殺すことに慣れてたの?」 「慣れちゃいないさ」 「でも、的確に急所ばかり狙ってたよ」 一撃必殺とはまさにあのことだ。 人体急所を突くその手には一切の容赦がなかった。 「本当。殺すことになんか慣れてないよ。俺が慣れてるのは狼駆除」 殺人は犯罪だ。 しかし反撃なら正当防衛。 は報復に慣れ親しんでいた。 「俺、日本人でこんな容姿でしょ。多いんだよ、誘拐とか変態さんとか。相手は体格的に恵まれてて、それはもうどうしようもないから、こうなったら急所狙うしかないだろ?」 コツは容赦しないこと。 は悪魔のように笑った。 その、あんまりといえばあんまりなネタばらしに佐助は酸っぱいものを噛んだような顔をする。 まさかシリアスな雰囲気が尻の話で完結するとは思わなかった。 ―――快活に語る真実は、とてもありえそうなところが物凄く嫌だ。 (それでも、) 佐助は頭の端で思う。 反撃と殺人では決定的に違う。 不埒な手を叩き落すのと斬り落とすのが違うように。 血液の流れる分だけ重さが増すはずだ。 はずだとしか言えないのは、佐助が命に何の尊さも見出せないからで。 最後に、佐助は答えのわかりきった質問を綴る。 「旦那は、しあわせ?」 「Naturalmente(もちろん)!もー、凄くしあわせ」 は、彼をハメたあさましい男に笑ってみせた。 その笑顔に見覚えがあった。 (ああ、俺様だ) 水鏡に映った己の影のように、彼の笑みは佐助の浮かべるそれに似ている。 それは、大事な何かが欠落したような、しあわせそうな笑みだった。 |
佐幸好きです。ひどい佐助も大好物 でもクラウン!では、二人とも恋愛感情に限りなく近いだけで恋愛感情ではありません 主人公の雰囲気が違うのは、佐助と頭脳戦をしてるから 普段が嘘とか本性とかではありません 080201 J |
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