上田城を襲った一軍は、危機を察して燕のように帰還した幸村によって撃退された。
 彼らはその二槍にかかり、あるいは逃げ、あるいは自害して果てた。
 しかし、彼らの襲来によって村が四つ壊滅し、城下の被害も、死者、怪我人、家屋全焼、半焼と甚大である。
 ある意味彼らの目的は達成されたと言えた。
 早馬でことの次第を知った信玄を始め、甲斐には少なからぬ衝撃が走った。
 急使は言った。

 所持品を検分した結果、奥州の手のものである可能性が高い、と。

 にわかに躑躅ヶ崎は慌しくなった。
 独眼竜政宗は奥州の雄である。
 引っかかれた以上面子にかけてやり直さなければ、この下克上の時代では示しがつかない。
 だが、ことを起こしたとして、簡単に平らげられる相手でもない。
 下手をすればこちらが飲み込まれよう。
 信玄は苦慮した。
 甲斐を荒らすのは信玄への挑戦だ。
 しかし、表立って戦を仕掛けられたわけではない。信玄という人間の考えには反するが、被害だけを見るならば国全体に関る被害ではない。所詮殺されたのは農民で、潰されたのは農村四つなのだ。主要な鉱山や砦ではない。

 (じゃが、殺されたのはわしの民よ)

 腹を括った。
 この血塗られた時代に、道など結局一つしかない。










 1 / 2 のクラウン! Undici : amici!









 修羅の庭に、血に汚されていない風が吹く。
 人は悲嘆に暮れる夜を過ごしても、朝には自分を奮い起こして復興のための槌を振るう。
 したたかな人々の中心で、幸村は倒壊した甘味屋の梁を持ち上げていた。
 本当なら書類が山を作っているのだが、どうにも紙と筆は相性が悪い。
 結果彼は大量の紙を佐助に押し付け、とんずらをかましたのだった。
 有能な忍は嘆きつつもうまく裁断してくれているが、しつけを間違えたという彼の嘆きはあながち間違っていない。

 「腰に力を入れよ、ゆくぞ! せぇーのっ!」

 屈強な男たちがどいつもこいつも炭まみれ汗まみれになって、用を成さなくなった廃材をどかす。
 一仕事終えた彼らはお互いの健闘を称えて歯を見せて笑った。拳がついてくるのはここが甲斐で、信玄が国主で、幸村の領地だからだ。強すぎる炎の下では少々の火など生ぬるい。甲斐に荒武者が多いのは、こういう男臭い事情があるからなのかもしれない。
 親愛の情を込めて手近な男を殴り倒した幸村は、差し出された湯呑みに気付いて木から落ちかけた猿のように手足をばたつかせた。

 「ぬあぅ! 殿!」
 「Ciao, 力仕事ご苦労さん」

 冷えた麦茶を湛えた湯呑みを幸村の手に強引に持たせ(彼の太い手首を捕まえた瞬間彼は「ぴゃおぅ!?」と奇声をあげた)、は適当な日陰に腰を下ろす。男らしく一息に自分の麦茶を呷り、「っか――っ、きくぅ!」とのたまった姿はまさにおっさんだった。

 「ユキムラは偉い奴だなぁ。こんな炎天下に率先して土木工事するお偉いさんなんてなかなかいないよ!」
 「せ、拙者は何も…」

 幸村は視線を明後日の方角に投げた。
 目のやり場に困ったのである。

 は、幸村と同じく土木工事に精を出していた。
 力のない彼は幸村のように梁をどうこうすることはできなかったが、機転と小回りの効く体を存分に生かして動き回っていたのである。
 折からの炎天で作業をするのはとてもとても暑かった。
 普段から半裸の幸村を始め筋肉達磨どもはそれこそ汗できらめく肉体美を惜しげもなくさらして熱気を二倍にしていたが、もある意味熱気を二倍にしていた。

 彼は下帯一枚だったのだ。

 正確にはジャージ素材のハーフパンツ一枚だ。しかしジャージという存在それ自体を知らない幸村は、それを下帯と了解した。下帯とはいわゆるパンツ、とどのつまり下着である。が知ったら「誰が露出狂か――!」と叫んだだろう。知らぬが仏とはこのことである。
 の体は均整が取れていたが、不思議なことにそれは男らしさとは結びつかない美しさだった。
 その辺の達磨と比べてみればよくわかる。
 幸村も筋肉がついているわりに細身だが、はそれより更に細かった。
 桃の果肉のように日焼けを知らない体に脂肪はなく、健康的な明るさを持っていた。
 けれど、ふくらみもくびれもないその体は、少年から青年への過渡期に出現する危うさを孕み、女の体のような魔力をも持っていたのだ。
 本人は何とも思っていないに違いないが、その無頓着さゆえに見ている方は困るのだ。
 事実、の周囲には目を離そうにも離せないらしい達磨がちらほら見受けられる。
 たまに頭を抱える連中がいるのは、つまりはそういう妄想をした連中だろう。

 少し長い髪を雀の尾羽のように括り、後れ毛やほつれ毛を汗で張り付かせたは舌を出して麦茶の最後の一滴を意地汚く貪っている。
 うっかり目撃してしまった幸村は何かせり上がってくるものを感じ、光速でそっぽを向いた。

 (いかんいかんいかん、いか――ん!)

 真っ赤になり、拙者は何も見てないと暗示をかける。
 自分の裡に閉じ篭ろうとした目が偶然同じような表情をした男どもを見つけたのはその時だった。

 (…………)

 信州の北風よりも冷たい何かが昂ぶった心を過ぎっていった。
 それはおせじにも綺麗な色をした風ではない。芽生えた凶暴な萌芽をその風は楽しそうに揺らした。

 「ユキムラ」
 「ぷっ?! な、なんでござるか殿!」

 自分を呼んだ声が一瞬で幸村を引き戻した。
 顔を覗かせた真っ黒い芽は隠蔽される。

 「茶、割れてる」
 「え?! ああああぁ―――!!」

 乙女のように両手で握り締めた湯呑みは、ぬるくなった中身で喉ではなく手を潤した。










 ひとしきり笑ったは新たな麦茶を持ってきてくれた。

 「ほい。今度は乙女持ちはやめとけよ」
 「かたじけない」

 そのまま身軽く幸村の隣に腰掛ける。
 一瞬、汗に混じって鉄錆の臭いが鼻をついた。
 麦茶を一口含んだ幸村はその微かな臭いを追い、の肩口に血の滲む傷を見つけた。
 煤に汚れているが、新しい傷ではない。

 「殿、それは…」
 「ん? あー、大した傷じゃないよ。かさぶたが取れたんだろ」

 軽く笑うを、幸村は眉を下げて見た。
 幸村は彼に負い目がある。



 ―――は、あの襲撃戦の最中、民衆に追われて安全な城から逃げた。
 佐助の報告によると、敵を引き入れたのではないかとの嫌疑を受けたらしい。
 そのきっかけは、が民衆の助けを拒否したからで。
 民衆がに助けを求めたのは、幸村が道化師の彼を武士のように褒めたからだった。

 彼は幸運にも殺されることなく佐助が保護したが、それまでに恐ろしい目に遭ったのは一目瞭然だった。
 涼やかな立ち姿で幸村を見送った彼は、頭から血を浴びたように凄惨な出で立ちをしていた。
 元々そういう色だったかのように血で染まった着物は、そのまま彼の立った危地を表していた。
 手負いの獣のような双眸を、幸村は忘れることができない。

 あの乱戦の最中に、は大小いくつかの傷を負った。
 その大半はかすり傷で、斬撃や矢を避けた時についたものだろうと彼は言った。
 は、狂ったように己の軽はずみな言動を詫びる幸村になんでもないような笑顔で笑いかけた。


 ユキムラ、笑って。
 俺は生きてるんだから。
 お前が心配することは何もないから。


 こんなに心配して貰えるなんて俺はしあわせだと、真っ赤な手で幸村の頭を撫でた。
 衝動的に抱き締めたは血の臭いがした。



 「………拙者、は、愚か者でござる」

 首を傾げるから目を逸らした。煤に汚れた袴の上で、真っ黒な手を組んだ。
 幸村はそれをじっと見つめる。
 この手は赤い。
 幾百人もの命を吸うだけに飽き足らず、の手まで赤く染めた。
 に刀をとらせたのは幸村だ。
 幸村さえわきまえていれば、は民衆に追い立てられることも、戦場を彷徨うこともなかっただろう。

 「殿は優しい。しかし、拙者にはそれに応えることができませぬ。殿の優しさに返すものが、この手の中にはありませぬ。拙者の手は、赤い―――」
 「Vaffanculo(馬鹿野郎)」

 耳慣れない言葉と共に、力の込められていない拳が頬に当たった。
 が呆れを隠そうともせず幸村を見つめている。

 「お前、そんな下らないこと考えてたのか?」
 「下らないとは?! 拙者、真剣に殿に申し訳…」
 「それが下らないんだよ」

 救いようがないとばかりに溜息を吐く。
 いいか、は幸村の眼前に指を突き立てた。人差し指ではなくピース。目に刺さりそうで怖い。

 「俺はしあわせだって言っただろ。お前は飯も寝床もからかいの種もくれるし俺はとても満足してる。なのに、それでも足りないなんて言うんじゃねぇよ。俺のしあわせをお前が決めるなってんだ」
 「しかし、殿は拙者のせいで…!」
 「そこ。自惚れるんじゃねぇよ、友達にそんな重い貸し作ってたまるか!」

 友達は肩肘張らず、もっと軽く笑いあうもんだろう。
 そんな重い借りが出来たなんて勝手に思い込むな。

 は鼻息も荒くふんぞり返った。
 大変に男らしいことを言ってのけた女のような顔には文句があるなら言ってみろと大書きしてある。

 「ともだち…」

 幸村は呆然と四文字を舌に乗せた。
 それは心を浮き立たせ、けれど僅かな苦味を伴った。

 「Si. 俺とお前はAmici。友達。そうだろ?」

 それとも雇い主と道化師の方がいいかと問われ、幸村は急いで首を振った。
 胸のどこかに一本だけ針がささっているように感じるが、爽やかな暖かさが体中に広がっている。

 友達は幸村の憧れだった。
 年の近い者は皆幸村を憧れの目で見、常に接するのは年上ばかりだったので、将として慕われてはいても幸村の手に友情はなかった。
 それを寂しいと思ったことはなかったが、思いがけず与えられたそれは甘味のように彼の心に染み渡った。

 「友達、そうか、友達でござる!」
 「おうともさ!」

 子供のようにはしゃいだ幸村は、心が夏空のように晴れていくのを感じた。

 (そうか、拙者は殿と友達になりたかったのだな)

 あのどうしようもない煩悶もそのせいだったのだ。
 幸村は納得した。
 それは違うと訂正を入れる声はない。
 友達友達と浮かれる幸村は、小さな針の存在を気のせいで片付けた。

 「あの…殿、」
 「なに?」
 「拙者も、殿を名前で呼んで構わぬでござるか?」
 「Naturalmente(もちろん)! 遠慮なんかいらねーよ? 友達だもん」
 「おお! かたじけない、殿!」

 幸村は友達は名前で呼び合うものと思い込んでいて、ずっと憧れていたのだ。
 思いがけぬ幸福に、幸村は天にも昇るかと思われた。
 その隣でが賑やかに笑っている。
 暑い夏の午後だった。


 友達だよと笑ったの双眸がスッと細められたのを、幸村は知らない。


バレバレだと思いますが、主人公はこういうことに鈍くないです
注目すべきは中学生幸村
シリアス明けで思うようにギャグが書けない

<補足>
前回が前回だったので、町衆は主人公に複雑な感情を持っているでしょうが、
今は幸村がいるので表立って何かが起こることはありません、ということにしといて下さい
080201 J

10 ←  00  → 12