幸村は連れてきていた武士たちを三隊にわけた。
 一隊にはこの村の検分と埋葬を任せ、一隊にはこの周辺の警戒、索敵に当たらせる。
 そして幸村、佐助を含む本体は、

 「急げ!上田城が危ないやも知れぬ!」

 味方を鼓舞し、馬を疾駆させる背中を見つめる。
 その肩に闘志が渦巻いている。跳ねる長髪はまるで彼の炎を表すようだ。
 佐助はひっそりと笑った。
 暗い笑顔だった。

 (旦那、俺様はそういうあんたが好きだよ)










 1 / 2 のクラウン! Dieci : 赤い手、二本 V









 家屋と人肉の焼ける臭いで胸糞が悪い。
 何人目かもわからない敵兵の首筋に刃を突きたてたは、凄惨な彩を刷いた目を周囲に走らせた。
 斑という言葉すら生ぬるいほど血を浴びた彼はさながら夜叉のようだ。
 転がった死体を物ともせず踏み分けて走る表情は人形のように微動だにしない。

 は出くわす敵兵を的確に屠りながら森を目指していたが、一度そこに近寄った時にその策を諦めていた。
 森に、まだ潜む敵の刃を見たのである。
 彼はすぐさま身を翻し、市街で隠れる方向に思考を切り替えていた。
 驚くべき冷静さである。生き延びることを至上目標としたに甘えも容赦もない。
 この、現代人のからすれば異常な状況に彼はうまく適合していた。
 その適合自体が何よりも異常といえる。
 なぜなら、この状況とは殺し合いなのだ。
 そんな状況に適合するのは異常者だけだ。この、時代自体が狂ったような狂奔の主役である武士ならばともかくも(ある意味彼らは異常者だ)、現代日本人が慣れることは、まずあるまい。
 けれど、は慣れるどころか殺す側に回っていた。
 あろうことか、彼は殺すことに慣れてさえいた。
 なめらかな動作で動く手は的確に筋や重要な動脈を狙い、対峙した敵兵はほぼ即死という完璧さである。
 おまけに彼の思考は明晰であり、狂気の一端も伺えない。いや、その明晰さが狂気というべきなのだろう、戦場における冷静さは、それすなわち必要不可欠の狂気である。

 まるで暗殺者のようだった。
 笑顔を消したクラウンは猫のように「安全」を求めて戦場を徘徊する。

 (しに、たく、な、い)

 はなまくらとなった刀を捨て、くず折れた死体を漁って彼の短刀を奪った。
 膂力のないには大刀は重いのだ。

 死体からものを漁ることに抵抗はない。ためらいさえも。
 生死の境におけるためらいは死地を近くする。
 後生大事に抱えた倫理は死神を招き、断崖から足を踏み外させる。

 心は痺れたように凪いでいた。
 荒れ狂う激情を裡に閉じ込めた海面のようだ。
 足が砕けそうな恐怖を暴れさせてはいけない。

 (ためらいは捨てろ)

 迷うのも怖がるのも、命あっての物種。
 泣くのも膝を抱えるのも、あとで。
 は生き延びるのに大切なことをよく知っていた。

 短刀を盗んだは、身軽く体を跳ばせて屋根に上った。
 屋根の上ならば敵は少ないだろうと踏んだのである。
 果たしてそれは正解であり、地面を走り回るよりは幾分か安全だった。

 は血生臭い空気を肺一杯に吸い込んだ。
 口腔に微かな煙の匂いが吹き込む。風向きを考えて移動していたから煙に撒かれることはなかったが、火事はかなりの規模のようだ。炎の舌が蒼天をアイスクリームのように舐めている。
 無残な光景だった。

 城下を見回したは、一際激しく喚声が上がっている場所を見つけた。
 時折炎が爆発し、激しい戦闘が展開されているのがわかる。

 (いやだ)

 死にたくない、は避けるように竦みそうな足をより遠くへと運ぼうとする。
 その背後に影が人の形をして立った。

 「………ッ!」

 風さえ切り裂く速度で抜刀し、その命を刈り取ろうとした短刀を、その影は甲高い金属音で受け止めてみせた。
 磨かれた刀身に映る瞳は、闇色をしている。










 幸村が上田城に着いた時、城下は悲鳴と炎で覆われていた。
 彼の愛する街は凄絶な戦場の彩りに染め上げられ、あちらこちらに絶命した人間が転がっている。
 それは守備兵であったり、町人であったり、子供であったり。
 その小さく快活な手から、命の輝きは奪い去られていた。

 「うおおおおぉおおおおお!!許さぬうぅ!!」

 槍を構え、怒りに燃えた幸村は敵兵を斬り上げた。
 悲鳴と血飛沫が舞う。彼の領民の命を奪った兵は、それでも彼らと同じ血を持っている。
 頭から血を浴びて修羅と化した幸村は、燃える目を新たな敵兵に向けた。
 一切の容赦すらない穂先が兵の体を貫き、あるいは薙ぎ払う。
 瞬時に骨ごと命を砕かれ、武装した男がその鎧も空しく柘榴のようにぱくりと割れて中身を晒した。

 義憤に燃える幸村は虎よ阿修羅よと称えられる。
 しかしいくら称えても、肌を伝う生暖かく粘っこい液体は誤魔化せない。
 彼がしていることは、究極的にはあさましい略奪者たちと何の違いもない。
 人を殺すとはそういうことだ。
 いくら飾っても正義にはなれない。
 幸村の手は赤く濡れ、血を吸って重くなった着物は恨みを纏う。
 いくら英雄と祭り上げられたところで、その身は餓鬼よりも卑しい。

 時代は血を求め、悪鬼を求めた。
 そのために奪った命の数をもって彼は褒め称えられるのだが、同時に畏れられもする。
 「殺せる」人間を本気で慕うことはできない。
 生き物の根底に刻み込まれた本能が危険を嗅ぎ分けるからだ。
 その危険を備えてしまう悲しみを時代は求め、もたらし、奇妙に屈折した倫理を作り上げた。
 その倫理の枠の中で幸村は槍を振るう。
 虎と称えられながら。

 「はあああああぁああ!」

 幾度目かの雄叫びを上げ、幸村は目に付いた敵兵を一掃した。
 虎の若子を前に腰が砕けていた敵兵は情けない悲鳴を上げて逃走を始める。
 元々が幸村の留守を狙った姑息な連中だ、彼の首を取ろうなどという勇者はいるはずもない。

 普段の幸村は、逃げる者を追撃することはない。
 だが今回ばかりははいそうですかと逃がしてやるわけにはいかなかった。

 ( 許 さ ぬ ! )

 何人か、できるなら首謀格は殺さずに捕まえなければならない。
 どこの兵か、何が目的かと、引き出さなければならない情報は山とある。
 しかしそれすらも拒否したいほど、幸村の視界は赤く染まっていた。
 彼は、彼の領民が流した血を連中に贖わせたかった。

 雑兵に比べてやや立派な鎧を纏った武者に斬りかかる。
 しなる槍をなんとか受け止めた刀の腹を幸村は強く蹴った。
 荒々しい動きに体勢を崩したその利き腕を槍が抉る。
 悲鳴を上げる形に開いた口を、もう一本の槍が容赦なく塞いだ。
 頭蓋まで貫いた刃をすぐさま引き、大きく振るって血振るいをする。血脂をまいた刃がてらてらと光った。










 笑顔を消した道化の頬にはいくつもの血痕が、まるで彼の化粧のように斑点を描いていた。
 小さく開かれた唇に色が無い。見開かれた瞳は獣のそれで、忍のような凄惨さがある。
 明らかに殺すことに慣れた刃を受け止めた佐助は、武士でも忍でもない殺人者を見つめた。

 「サ、スケ」

 零れた声は初めて喋る子供に似ていた。
 の体からふっと力が抜ける。
 下ろされた、しかし握られたままの短刀が陽光を弾いた。サスケはその煌きを無感動な瞳に走らせる。

 「ねえ、の旦那」

 旦那は殺せるんだね。

 佐助は、道化がその身を赤く染めていくのを見ていた。
 彼の手が握った刀は一切の迷いもなく、それこそ歴戦の忍のような精密さで人体急所を切り裂いたのだ。
 それは、が真っ当な道を歩いて生きてはいないことを、これ以上ない程に示していた。
 一般人でも人は殺せる。
 けれど、見事には殺せない。
 動脈を一撃で切り裂くなどの芸当は、できるはずがない。

 佐助の感想に、は当然のように頷いた。
 善悪の観念はその表情にない。
 いっそ幼いとすらいえるその表情に、佐助は初陣を踏んだ時の幸村を思い出した。
 初めて人を殺めたと泣いた子供。
 命の重さに震える手は冷え切って、爪の隙間が赤く染まっていた。
 彼は成長し今では虎の若子と異名を取っているが、その本質は何も変わってはいない。
 軽い命しか持たず、奪う命に塵ほどの重さも感じない佐助とは違って、その尊さを知っている。
 けれど、は。
 佐助自身が他国の忍ではないと断じた、は。

 「旦那はどうしてこんなところにいるの」
 「逃げてたんだ」
 「どうして?」
 「死にたくなかったから」

 お前はシノビかって言われて襲われて、でも死にたくはなかったんだ。

 は忍ではない。佐助の中でそれは確信だ。
 時折異国語を使い、体術は尋常ではなく、更には無感動に人を殺せる。
 過去はほどんど話さなかった、あんなに人懐っこいのに、よく見ると警戒心も猫のように強かった。それが証拠に彼は必要以上他人に踏み込もうとしないし、同じく踏み込ませようとしない。危地で、力に頼ることさえしなかった。佐助が到着しても短刀を手放さないのがいい証拠だ。彼は幸村や佐助の強さを認めながらも、最後まで自分を守るのは自分の牙だと心得ている。
 平気で嘘もつくだろう。いや、幸村や佐助に見せる姿さえ嘘かもしれない。
 という人間は、忍でないのが不思議なくらい忍らしかった。
 それでも、彼は忍ではありえないのだ。
 彼は恐ろしく無知だった。独眼竜さえ知らなかったのだ。彼はさり気なく情報収集していた。沢山のことを、生きていれば知ることさえ貴重な情報の一つと数え上げていた。忍の里は閉ざされたものであるが、そこまで無知な忍などいるはずがない。
 また彼は、人の輪に好んで入った。
 人を忍ぶ者が忍である。人に紛れることで人目を忍ぶこともあるにはあるが、の行動は忍のそれとは別物だった。

 は忍ではない。けれど、ひどく歪だ。

 近くで幸村の咆哮が聞こえた。
 宙に命の名残の熱が飛んでいる。この戦闘ももうすぐ仕舞いだろう。
 佐助は幸村が一番大事だ。
 掌中の珠なんてガラではないが、それに近いものがある。

 (旦那に旦那でいて欲しい)

 ああ、そのために、この憐れな子供が有害でなかったらよかったのに。


殺せるということについて
いくらごまかしたって血は彼をあさましい生き物に変える
080131 J

9 ←  00  → 11