甲斐源氏武田氏が現当主信虎は、五十に手の届く齢でありながら、その性状はまさに猛虎が人に転じたものと言って差し支えはなかった。
 彼の半生は剣戟の歴史である。
 信虎は、武田氏第十七代当主であった信縄の嫡子として生まれた。しかし、信縄死後の政権移譲は穏やかなものであったとは言えない。
 それというのも、信縄生存中から、武田氏の家督は信縄と弟信恵の間で揺れていたのだ。
 信縄の死によって、雌伏から天に駆け昇ろうとした信恵は当然ながら謀反を起こした。父の喪も明けぬうちから、信虎は伯父の首をとるべく陣幕を張った。
 伯父の首級を挙げてのちも、信虎は明け暮れを戦場で過ごす。甲斐というのは独立の気風の強い土地である。室町幕府の弱体化に伴い土着した守護・地頭ら国人領主がはばを利かせていたこともあり、信虎は、戦国時代への移行期とも呼べるこの時期を、彼ら国人領主の征服で埋め尽くすことに精力を傾けた。
 おかげで武田氏は、甲斐に勃然たる勢力を誇っている。
 信虎の手腕によって、甲斐国守護であった武田氏は、消えていった幾多の守護・地頭らと一線を画し、戦国大名への脱皮に成功したのだ。
 やらねばやられる、これが信虎を突き動かした原理であったと言えよう。
 常に追い詰められた位置にあった若年期の信虎に、慈悲などは無用のものだった。
 その思想は今なお信虎に色濃く染みつき、彼を一匹の獰猛な老虎たらしめている。


 晴信は大井夫人の部屋を辞するや、その足で父を訪ねた。
 躑躅ヶ崎館で最も日当たりに恵まれた部屋に一歩入る。室内は既に暗い。冬を抜け切らぬことを示すように、陽光のぬくもりの名残は、早や消え始めている。
 晴信の来室で停滞していた空気が揺れたか、燭台の灯火が小さく揺れた。信虎の戦場焼けした顔の上で影が揺れる。両眼は、窪みに溜まった影の中から晴信を見据え、まるで獲物に対した猛獣を思わせる。
 「父上にはご機嫌も」
 「悪いわ」
 破れ鐘のような一声に挨拶を遮られ、晴信は腹にわだかまるものを努めて押さえながら顔をあげた。信虎の目には、敵意が色濃い。
 晴信と信虎の間には、父子の気安さなどありはしなかった。それを嘆くよりも、溜息を吐くよりも、双方が双方の頑なさを感じ取ってより空気がひび割れていく。
 そうとなれば、老虎が攻撃の手を抜くはずがない。
 「うぬの顔を見て、気が落ちつくはずがあろうか」
 あれに言われて来たのであろう。信虎は、晴信の来訪に大井夫人の介在を言い当てた。
 「今更機嫌を取ろうが遅い」
 「お言葉ながら、息子が父を訪うのに打算など」
 「黙れ」
 信虎は億劫な口調で晴信を制すると、にやりと唇をめくりあげて笑った。
 「近く、信濃に出兵する」
 「……父上、お言葉ながら、多年につぐ戦で民は疲れきっております。それでなくとも去年は冷害でした。作付の春に兵を動かしては、農民たちは自らの口を糊するだけの稲も作れませぬ」
 「先軍は次郎に執らせる。そちは、留守居よ」
 晴信の諫言など耳に入らぬ。信虎は攻撃的に微笑する。虎の憎悪の表情である。
 「望み通り、安穏と過ごすが良いわ。次郎の手柄を、指をくわえて見ておれ」
 時代は勇者を好む。
 それでなくても、武門の棟梁をもって任ずる甲斐源氏の武田氏は、殊のほか武勇を愛した。戦いに明け暮れた信虎もそうであることは、語るまでもない。
 しかしここで、奇妙な相克が起こる。
 信虎は晴信を軟弱者と罵ったが、晴信自身の戦歴はむしろ戦の巧者である。晴信は初陣に際し、堅城と名高い海ノ口城を一夜にして落城させるという軍才を披歴している。
 武勇を愛する信虎ならば、後継の軍才を愛しこそすれ、彼を憎むはずがあろうか。
 だが実際には、信虎が愛するのは晴信ではなく、次子の次郎なのだった。
 晴信は、父の態度が一変したきっかけをよく覚えている。それはいみじくも、初陣の労をねぎらわれたその席だった。
 あるいは晴信が、初陣の興奮に頬を赤くして、父のねぎらいに目を潤ませれば良かったのかもしれない。
 しかし現実には、晴信は戦の具合はどうであったと聞く父に、居並ぶ群臣も目を剥くような落ちついた返答をしたのである。
 そのとき、次代を寿ぐ群臣の声の中で、晴信は父の瞳に剣呑な光が浮かぶのを見た。
 それが武将としての嫉みに発するものであると気付いた頃には、最早溝は決定的なものとなっている。
 武を好む時代の奇妙さである。兄弟、血縁は言うに及ばず、親子でさえも競争相手とみなすことがままあった。
 晴信と信虎の衝突もまたそういうことなのであろう。






 なな  ここのつ