何かが燃える臭いがした。
 大分鈍ったとはいえ常人より遥かに鋭敏な嗅覚で、佐助はそれを捉える。
 しかしそれは思考の表面を滑るだけで、大した興味も惹かれない。
 佐助の世界はとうに閉じられている。

 銀つばを作らなきゃ。

 佐助の主が御所望だ。
 とびきり美味しい銀つばを作らなければならない。
 それ以外のことなど知らぬ。


 ――――拙者は佐助の菓子が一等好きであった。


 やめて、やめて、そんな別れの言葉みたいなものは聞きたくない。
 朗らかに笑う幸村がかき消えるなど、あるはずがない。
 ほら、幸村はそこで笑っている。

 銀つばを作らなきゃ。

 佐助はふらふらと厨へと向かう。廊下の板を踏んだ瞬間、足裏を刺す冷たさを感じた。
 早、冬が巡ったらしい。
 茫洋とした目の片隅に、日光を反射する雪が映る。
 奥州の冬は早い。

 ふと、白銀の庭に赤を見た。
 政宗が火を焚いている。紙を燃やしているようだ。



 幸村の 手紙  を



 金切り声が空気をつんざく。自分の喉から出たとは信じられない音調のそれは冴えた空気を切り裂いた。
 獣じみた動作で一足飛びに政宗を襲った。分厚い雪を素足が踏みぬき、細かな雪塊が跳ねあげられる。
 炎に突っ込んだ手を、情け容赦なく蹴り飛ばされた。
 もんどり打って倒れた雪まみれの佐助の胸を、政宗が体重をかけた足で踏みつける。
 みしみしと嫌な音がした。

 「Don’t disturb me.」

 邪魔するなとか、そういうことを言っているのだろう。
 鬼気迫る眼光を睨みあげた。

 「殺してやる」
 「旦那を殺すなら、あんたを地獄に突き落として殺してやる」

 政宗は嘲笑った。
 その独眼が悲哀と憐憫に揺れたのを、憎悪に燃える佐助の両目は見逃した。


 「真田は死んだ」


 だからオレはもう未来へゆく。
 例え片翼となろうとも、政宗は飛ぶ。
 それが伊達政宗という男だ。

 佐助は激しく拒絶した。

 「旦那は生きてる!」

 ほらそこで笑っている。
 俺様にははっきりと見える。佐助、佐助と呼んでいる。

 「だからやめて、旦那を燃やすのはやめて。燃やすくらいなら俺様に頂戴よ。いらないなら誰が持ってたって」

 体内で嫌な音がした。目も眩むような激痛。
 肋骨を折られたのだと気付いた時には、足をどけた政宗に胸倉を掴み上げられていた。
 凍てつく雪渓よりも冷たく燃える、射殺すような独眼が佐助を睨みつける。

 「やらねぇ」
 誰にもやらねえ。



 「あいつの生も死も、オレのものだ」



 例え猿、お前にも幸村はやらねぇ。
 狂気走った眼光に何を言い募ることができよう。竜とまで称えられた男は剥きだしの激情を覗かせ、佐助の反論の一切を封じた。
 力の抜けた佐助を雪の上に放り出す。人形のように、為すがまま天を仰いだ佐助は、もう一度狂気が呟かれたのを聞いた。


 「幸村は誰にも、やらねぇ」


 ぱちり、幸村が灰塵へと帰していく。