真田幸村が眠っている。


 政宗は疲れ切った体を睡眠に沈めた青年を見つめる。
 汗で、栗毛が頬に張り付いていた。長い睫の影に疲労がとごっている。散々喘いだ唇は薄く開かれ、その熟れた果実の隙間から規則正しい寝息が洩れていた。
 どこからどう見ても、在りし日の真田幸村だ。
 境界を失うほどに蕩け求めあって尚、穢れとは無縁だった貌である。

 (違う)

 眠っているのは幸村だ。愛を交わし、睦みあった幸村だ。
 一つしかない視界がぶれる。幸村に被さるように幸村の幻影。どちらが本当の幸村だ。


 真田幸村が眠っている。

 その横顔を何度もいとおしんで夜を数えた。朝日の運ぶ別れを憎みながら、何度もおまえを慈しんだ。

 真田幸村が眠っている。

 ――――貴方が見ている真田は、貴方の記憶の中の真田から、少しでも変わりましたか。

 真田幸村が眠っている。

 これは違う。
 幸村は生きていた。けれどこれは違う。こんな横顔は知らない。
 ここにいるのは幸村だ。それなのに違和感、新しい何かを重ねていく、見たことのない動作をする、政宗の記憶に無い幸村が眠っている。



 ――――真田幸村は死んだのです。



 政宗はふらりと立ちあがった。夜着をまとい、幸村の眠る寝床を抜けて庭に出る。
 空気が冴え冴えと冷たかった。
 明月の容赦のない光が、生臭いぬるま湯に浸かっていた体を無理矢理清めていく。
 夜は透明に孤独だった。
 蔭には、最早何も潜んではいなかった。幽冥界の境は月が見張っていて、透徹な眼差しが峻烈な壁を築いていた。


 幸村が死んだ夏は去った。


 政宗は己の手を見下ろした。
 還ってゆく蛍火に囲まれて、幸村を閉じ込めた掌には、何も残ってはいなかった。

 「幸村」
 ――――政宗殿。
 「幸村」
 ――――政宗殿。


 「幸村、あんたは死んだのか」


 答えは無かった。
 夢から醒めたように、秋虫の降るような合唱に気付いた。
 包み込むような音の雨に時の移ろいを知る。庭の隅に彼岸花が咲いていた。