幸村が死んで、もうすぐ一年が経つ。
 風が温み、奥州にも遅い春がそこここで囁かれ始めた。

 雪解け水の匂いが連れてくる春を、お前は嗅いだことがあっただろうか。

 上田庄とて山国だ。甲斐の土に育まれ、雪に凍れる森に遊んだであろう幸村が、春の匂いを知らぬはずがない。
 それでもそんなことを考えてしまうのは、彼ならば甲斐と奥州の春の違いを嗅ぎ分けそうであったからか。

 目の端を花弁が掠めた。

 花と捉えて、振り返る。団子を持ったその人の影が、花弁の裏側に差した気がした。


 ――――政宗殿、団子はいかがですか。


 楽しげに微笑んだ誘いは、初春の陽光に溶けた。

 花弁などありはしなかった。当然だ、春とはいえ木蓮さえ蕾のままで、甘い香を漂わせるにはあと数日を要するだろう。
 政宗は見開いた瞳をゆるゆると戻す。



 真田幸村は、死んだのだ。



 何度言い聞かせたのかわからぬ事実を己の上に上塗りする。粉雪が積もるような頼りの無さを覚えた。

 近頃では、ふとした拍子に懐かしい声を聞く。
 それは独り過ごす夜に語りかけたり、食膳についた時であったり、何気なく端坐した折であったり。女の嬌声にかぶって聞こえた時など、かつての情事以外何も考えられなくなってしまった。

 数多の民の命を預かる身だ、いつまでも過去に囚われるわけにはいかぬと思えど、それをどこかで心待ちにする己がいるのも確かなこと。


 ――――政宗殿。


 はにかむ幸村に唇を寄せて、苦く笑う。
 深い自嘲の笑みだった。罪人のように瞳が暗い。

 「幸村、どこにいる」

 春が近い。春が過ぎれば夏が来る。夏が去れば、秋になる。秋が死ねば、冬になる。
 お前はそれを、どこで数えているというのだ。

 死は彼らの日常だった。
 別れて、会わぬが当然だった。
 真田幸村は死んだのだ。


 それでもお前が生きていると、そんな気がするのは何故だろう。
 幸村が死んでいるということが信じられない。



 がさりと近くの茂みが揺れた。
 政宗は刀を抜かない。そこに佐助がいることは、とうに分かっていた。

 風の噂に聞いた。佐助は、幸村の死後忍をやめたと。
 そんな輩に命を狙われる理由は無い。

 「落ちたもんだな。気配がだだもれだぜ?」

 佐助は何も言わない。
 そういえばこいつは何故死んでいないのだろう。いつも幸村の傍らに侍り、彼が死ぬくらいならその身を盾としたであろうこの男は。

 どんよりと濁った目に、政宗はその答えを見つけた気がした。
 他ならぬ幸村に、死から遠ざけられでもしたか。

 幸村は朗らかだが残酷だ。佐助にとって、幸村の亡い世界など苦痛以外の何物でもないであろうに。

 「竜の旦那」
 「旦那は、ここにいる」

 懐から厚紙で包まれた手紙を差し出すと、佐助は泣きそうに顔を歪めた。
 憎悪と羨望が込められた指が、手紙に皺をよせる。


 ――――政宗殿。


 震える手で手紙を受け取った時、政宗は確かに、幸村の声を聞いたと思った。