共に桜を見た日を覚えているか。

 あれは確か、手取川に軍神が張った陣だった。
 同盟の話で集まったのに、あんまり桜が見事なものだから、虎のおっさんが宴をせねばとか言いだして、軍神が酒を持ちだしたんだ。
 随分とbigな杯だったな。女みてぇな顔して、あれを平気で飲み干すんだ。人は見かけによらねぇっつーのは当たってるよ。

 アンタは、酒よりも桜餅に夢中だったっけ。
 相変わらずchildlikeな奴だ。花より団子を地でいってたじゃねぇか。

 次々食うもんだから、猿の野郎が悲鳴あげてたぜ。材料が足りねぇってよ。
 つーか、あの場に材料持ってきてたのか。おいおい、どんな忍使いしてんだよ…。

 そういやあ、前田の風来坊と花見をしたこともあったっけ。
 夜桜が綺麗だっつー触れ込みだったが、あんときゃ喧嘩祭りの真っ只中で、オレもアンタも桜なんかそっちのけだったなァ。
 思えば惜しいことをしたもんだ。京の桜といえば天下に聞こえた美景だぜ。
 でもアンタのことだ、きっと「美しい」の一言で済ますんだろうな。言葉を全部煮詰めたみてぇに、深い深い感嘆で―――…

 「政宗様」

 夢を破る一声で、政宗は眼前に広がった花弁を幻と知った。
 艶やかに風に舞う一片は消え、赤を纏った青年の横顔も記憶の中へ去る。追いすがる手を止めたのは、忠臣の労わりを含んだ諫言だった。

 「政宗様、聞いておられましたか」
 「………Sorry」

 「天下の趨勢は目まぐるしく変わっております。政宗様の挙動一つで、奥州は浮きも沈みもしますぞ」
 「………I know」

 ばつが悪そうに政宗は居ずまいを正した。小十郎はどこか目覚めの戸惑いを引きずる政宗に内心の悲しみを覚えながらも、中断していた政務を再開させる。


 幸村の死を引き金に、政宗は己の裡に篭ることが多くなった。


 宿敵という枠を超えて結びついた二人の弊害だった。
 小十郎は、二人の間に散った凄絶な歓喜も、取り交わされた切ない微笑も知っている。それがため、彼との日々に回帰しているのであろう政宗を愚かと切り捨てることはできなかった。
 それぞれに足りないものを補うように、相手を喰らい、喰らわれるように交わされた愛情。
 狂おしく求めあったそれが今、政宗を片翼の鳥たらしめている。

 政宗は今のところ、時折呆然とするものの、政務に大きな支障をきたしてはいない。

 しかし小十郎の胸には、一抹の不安が拭いがたく存在していた。
 水に落とされた墨滴のようにたなびくそれは、いつか政宗が現実から去ってしまうのではないかというもの。

 それを一笑にふすには、政宗と幸村の絆は深く、強すぎた。
 彼らは鏡に映したように、互いを求め、生きてきた。
 生命の躍動そのものを、互いの中に見つけたのだろう。それほど彼らの季節は、まばゆいものであったのだ。


 真田よ、政宗様を連れてゆくな。


 小十郎たちには、まだ政宗が必要だ。
 しかし小十郎たちは、政宗を引き留める理由にはなれても、政宗を生かす理由にはなれない。

 いつか心の在り処に気付いた政宗が、全ての準備を整えてしまえば、次の瞬間小十郎たちのもとから政宗は消えるだろう。

 政宗の目は、暗闇に去った背中に据えられていた。
 政宗は、幸村だけを、見ていた。

 ずっと、あの二人はずっと、そうだったのだ。

 いっそ残酷なほどに完結した箱庭の住人は、今は大人しく明晰な頭脳を治国のために使っている。
 しかしその目が、やがて過ぎ去った季節に向けられてしまうことに、小十郎はとっくに気付いていた。



 その方が幸せなのかもしれないことにも、とうの昔に気付いていた。