真田幸村が、死んだ。



 訃報を聞いたのは陣中であったように思う。
 世に言う大坂夏の陣。甲斐の若虎よ紅蓮の鬼よと畏れられたさしもの幸村も所詮は人の子、その命の灯は、戦場の篝火の中で遂に燃え尽きて果てたという。

 その時、自分は何を思ったのだったか。
 宿敵と心を定め、いつしか今生この上なき相手と契りを結んだにも関わらず、彼の死に触れた時の思考はやけに淡々としたものだった。


 そうか、逝ったか。


 やけに現実感の薄い月が昇っていた。前立ての弦月がそのまま浮いたかのような三日月で、振り下ろした刃の煌めきに似ていた。
 夏の濃い生気を、戦場を駆ける腥風が揺らしていた。暗闇の浅い夜の向こう側に、死者の声が聞こえそうな宵である。

 思い立って陣幕の外に出る。ぬらぬらと、骨片のような月に照らされて、落城間近の大坂城が荒んだ影を浮かび上がらせていた。
 幸村、いるか。
 闇を払う篝火から離れ、まとわりつく夜に身を浸して問いかけた。

 応、などと、聞こえるはずもない。
 鍔競り合いの狭間に炎のちらつく瞳を見た日は永久に去り、睦みあったひと時などなお遠い。

 らしくもなく、感傷的になったのか。
 苦笑一つを夏草の上にこぼし、一瞬の瞑目を捧げる。目を開けた時受容したのは、幸村の辞去した世界だ。
 踵を返し、陣へと向かう。
 明日には城も落ちよう。その先にあるのは太平の世界。最早、命懸けて刀を打ち合う日々もあるまい。ほんの少し、それを物足りなく思う。待ち望んだものがもう少しで手に入るというのに、後ろ暗い背徳の色を携えながら、かつて己の身を支配した熱い衝動がそれを厭うている。身の内に未だ燻ぶるその熱は、緋色の男が象徴していたもの。



 ――――政宗殿。



 「………!」
 刀を抜いたのはまさに反射というべきだった。
 刹那のうちに抜き放たれた六爪は、死者の命を吸ってか重い空気を切り裂いて、念入りに手入れされた血に飢える刀身に冴え冴えとした月光を反射する。

 しん、と、死んだような凪。

 獣のように鋭い呼吸は一人分。渦巻く夜の帷の向こうに、囁きを落とした命は無し。
 警戒を解かぬまま刀を下げる。輝く槍の穂先は無かった。

 「幸村」
 「幸村、いるのか」
 「そこにいるのか」

 言葉を重ねても、詐欺のように、闇は澄まして答えない。
 まるでたゆたうような心地がした。薄ら寒い、生暖かな夜の向こうに、冥府へと去った男の息遣いが聞こえるような気がするのに、彼岸と此岸は厳格に隔てられていて、ただ気配を手繰りあうだけのような気がしていた。

 一歩、踏み出す。
 二歩、進む。
 三歩、歩いて、歩みを止めた。

 愚かなことだ。幸村は最早、死んだのだ。
 黄泉返りなどあるはずがない。黄泉比良坂を辿り、道返しの神を踏み越えて、この世に舞い戻って来るなど、従容として落日の豊臣についたあの男に限って為すはずがない。最後に合わせた顔を思い出す。死を覚悟したその貌を美しいと思うなど、殺し合いの末に共寝したあの頃には考えも及ばなかった。


 ――――政宗殿。
 「幸村」
 ――――政宗殿…。
 「幸村!」


 耳の奥に響く死者の残響を乞うように、政宗は声を嗄らして叫んだ。
 重苦しいほどの静寂を劈いたそれは、慟哭と呼ばれるものだったのかも知れない。






 拝啓