春はあけぼの、やうやう白くなりゆく生え際。

 本来ならば暁なんぞ知らぬ存ぜぬを決め込みたいが、残念極まりないことにわっちも松寿丸様も春眠どころの話ではなかった。夜中、泥まみれで転げ回ったわっちらだ。寝巻なんぞ農着もいいところだ。そのままお布団に這いずり込んだら下女に殺される。松寿丸様には手を出すまいからわっちが二人分殺される。
 あまりの未来に怖気震い、ねぐらに帰ろうとする松寿丸様を口八丁で丸めこみ、ともかく二人して寝巻を洗濯することにした。洗濯桶に水を張り、杉の大方様を起こさないよう水音を忍ばせるわっちの横で、下帯一丁の松寿丸様はバッシャアアアと勢いよく桶をひっくり返した。

 「しょ…松寿丸様…」

 何やっとるんだ、この人。
 頭から水を浴びた松寿丸様は、犬のように頭を振って水滴を飛ばすと、「行水よ、髪が土臭い」と当然のようにのたまい、もう一度汲みあげた水を今度はわっちに浴びせかけた。裸の肌を伝う水の冷たさよ!
 何食わぬ顔で、荒々しく寝巻を揉み洗う主に、わっち早まったかなと省みずにはいられない。

 「おい。汚れが落ちぬぞ」
 「あーあー、松寿丸様それじゃあ土を摺り込んどるようなもんですぞえ」

 しかしまあ、色々色々ねじ曲がってはいるが根は素直、と言えるかも。
 松寿丸様は洗濯なんぞしたことがないだろうし、言い包められたとはいえいくらでもわっちに押しつけられる。だのに律義に付き合ってくれている。大分扱いは酷いが、文句も言わない辺りは実に好感が持てる。大分扱いは酷いが。大事なことなので二回言うておく。
 覚束ない手つきで布を擦る松寿丸様より一足先に洗い上げ、力いっぱいぎゅうぎゅう寝巻を絞りながら、わっちはちょいと、確かめることにした。
 案の定逆巻きのつむじめがけて問いかける。

 「のう、松寿丸様。松寿丸様は、どのように生きてゆかれたい」
 「我は、ばさらものになる」
 「それは昨日も聞きんした。婆沙羅者になって、松寿丸様は槍と柱、どちらになります」

 毛利を支える一の槍か、それとも支柱の一本か。この差はささいなものではない。
 何も考えず敵を屠ればよい戦士として輝き、戦時も平時も主君の意向に沿って生きていくのか。それとも戦だけでなく、政にも入り込んでいくのか。
 前者はある意味、とても楽な生き方だ。武士の本分を果たせば良い。ヤアヤア我こそはと武勇を追い求めて行くならば、雑事に煩わされることもない。ただひたすら、主君の御恩に報いれば良い。
 けれども、松寿丸様のお立場では、毛利家でのその道は叶うまい。
 ただ力を追い求めるなら家を捨て、武芸者としての名を追い求めていくことになる。その先でどこぞの家に仕えるか、ただ戦を求めて漂白するか。戦の已まぬこの乱世では不可能な生き方ではない。

 一方政に参加していくなら、その道は、戦士の歩むそれよりも暗く、血みどろの暗夜行路。
 武者よりも裁量の幅を持ち、人に利用される立場ではなく、むしろ人を操る立場になるが故、逆に利用されることもあり。魑魅魍魎の迷路道、雑事はひっきりなしで足元を掬われる懼れも大きくなる。闘って殺して褒められる、武者の単純な世界ではない。
 きっと報われることの少ない世界だ。けれども、己が手で、より大きなものを動かしてゆける。

 松寿丸様はむっつりと黙りこんだ。曙光が水を含んだ髪の毛をきらめかせる。
 暫くの沈黙ののち、松寿丸様は淡々と吐き出した。

 「きのう言ったはずだ。我は毛利家など知らぬ。我は我として生きてゆく」
 「ほう、それでは、吾が主君は槍を選ばれまするか」
 「ちがう」
 「う?」

 松寿丸様は、まだところどころ汚れた寝巻を、ざっと水から上げた。ぼたぼたと垂れる水を親の敵のように雑巾絞りし、わっちを蹴りつつ物干し場に移動する。
 物干し竿に干した着物を、わっちの真似して伸ばしながら、血を吐くように囁いた。

 「だれにも指図されて、たまるものか」

 ただ便利な槍よと言われるのも、大名や家臣に縛られるのも我慢がならぬ。
 我は、我である誇りを忘れるものか。

 ちっぽけな痩躯のがきんちょが抱えるにしては、まるで王のごとき誇り高さだ。不釣り合いにもほどがある。
 けれども、一笑して終わらせるには固すぎる決意だ。そのくらい、燃え盛る猛禽の目を見れば良くわかる。
 そしてその目は、昨夜、わっちの魂を呑んだのだ。
 吾が王の目だ。


 その目に仕えることを心地よいと思うのは、我ながら、御家人の血の為せる業かもしれんなあと溜息を吐いた。





 王の雛


あれまじめなの続いた
110806 J

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