は長曾我部元親の近習上がりの直臣で、元親の初陣に従って自身も初陣を飾り、文武にわたって彼を支えた忠臣だった。 荒くれ者の多い長曾我部家中において、一人別人種のように眉目はゆるりと穏やかで、一見刀など握れぬ文官のようだから、新参者やら他家の連中に侮られることも多かった。 実際、少しばかりとうは立っていたが、寵童としても侍っていたから、床で禄を受けたなどという誹謗中傷を「謂れのない」嘘と言うのは難しい。 しかし毛利元就は知っている。は、有能な家臣として四国の鬼の評価を得た。 その証拠に、船から降りた元就を迎えに来たのはだ。 は公家のように穏やかな白皙を、緩やかに微笑ませた。 「お久しぶりです、元就公」 、享年二十五。討ち死。 前回元就が四国を訪れて三ヶ月後に死んだ彼は、自身の死後二ヶ月を過ぎて尚、元親に刀を奉じている。 カラリ、カラカラ、カラリ |
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