政宗が毛利の家臣と外出してから、崇将は大人しく部屋で留守番をしていた。 障子が開け放たれた座敷には燦々と日光が差し込んでいるが、風通しに配慮してあるのかさして暑さは感じない。 潮の匂いは既に遠いが、奥州とはまた違う風の匂いに崇将は目を細めた。寺で鬱々と過ごしていた頃には想像もできないほど遠い地で、些細な違いに目を細めているとは何の巡り合わせであろうか。 耳は静寂のうちに中国の自然の音を聞き、城で働く人々のさざ波のような音を聞く。奥州と似ているけどもどこかが違う。兄の不在を、崇将はかすかなこそばゆさを伴う物思いで埋めていた。 と、その時である。 足音が一つ、迷いのない速さで崇将たちに宛がわれた部屋を目指してやってきて、警戒した崇将が刀を探る暇も与えずに障子を影が通りすぎた。 現れたのは、先程の毛利の家臣と同じ年頃の青年だ。 成実がよく着ているような道着を纏い、涼しげな目元に汗の臭いを発散させたその青年は、崇将を興味なさげに一瞥し、その膝元に置かれた菓子鉢を見て夜叉のごとき顔となった。 昔語りに聞いた道成寺の清姫だ、と崇将は直感する。 青年の凶眼が蛇のようにするすると空間を這い、兄によく似た顔を強張らせる崇将の視線とがっぷり組み合う。 不穏を察した庭の小鳥が、慌てて枝から飛び立った。 劇場型犯罪(未遂)中 広大な中国地方を領する元就の城下町は、伊達のそれに匹敵、いやそれ以上に繁栄していた。 旧主であったという尼子、大内の領土すらも吸収し、数多の金銀鉱山を領有しているためか、貨幣の質も良いし工業従事者も多い。鏃や弓の生産に携わる者の多さと質の高さには、良質の玉鋼を領内に産する政宗であっても目を見張る。 また大陸との貿易が盛んな北九州に勢力を拡大しているためか、政宗好みの南蛮ものでこそないが、唐人風の商工業者も目についた。 「話にゃ聞いてたが、流石西国一の都だな。場合によっちゃ京より華があるんじゃねぇか」 流した視線の先で、廓の二階に鈴なりに並んだ女たちが嬌声をあげる。 は微笑ましいものを見るようにそれを眺めながら、「この街がそのような言葉をかけて貰えるようになったとはのう」と爺臭い発言をした。古くから奥州に根を張っていた伊達氏とは違い、毛利氏は元就一代で大きく拡張した族である。創業の臣であるには、舐めた辛酸踏んだ修羅場の総数からして感無量の光景だろう。 「都は一朝一夕に作れるもんじゃねぇ。自然発生的な行政と区画作りじゃすぐにslamになりやがる。かといって統制が強すぎれば経済の活性なんざ見果てぬ夢だ。ぜひとも苦労話を聞きてぇな」 「年寄りの昔話ほどつまらんものはありゃしませんぞ。知りたいことは、自分で盗み取ってみなされ」 「言うねえ」 「酒の相手ならやぶさかでは」 「Ha,どうせオレの酒量も調査済みだろ?」 「おやおや、よくおわかりで」 からかいやはぐらかしを織り交ぜつつもは政宗の質問に丁寧に答えた。 急峻な山々と長い冬に閉ざされる奥州と、海に開けた中国とでは抱える問題も違うためそのまま用いることはできない。しかし、全てを一から作るか、奪うかしか道の無かった簒奪の国の宰相の話は、為政者としての政宗に多大な示唆を与えてくれる。 年寄りは若者に甘いものです、と、いくらも年の違わぬであろうは語った。 「その甘さで元就公に便宜を図っちゃくれんかね」 「油断のならん小童ですのう。行政ならばともかくも、長曾我部でなく毛利を選んだ梟雄に、わっちの助力はいりますまい」 雑踏の中で切り込まれて、政宗は悪童の表情を浮かべた。 「I guessed you might have understood.(やっぱりわかってやがったか)」 「独り言なら有効に使いなされ。目の前で呟いても意味が通じなければ、呟く意味がございませんぞ。意味の無い言葉は頭の中にしまいなされ」 「Ha,こりゃ頼もしいこった。流石謀神の一の臣」 食料や反物を買う人々、主君の嗜好ゆえ城下には特に多いとされる餅売りの声に紛れ込んで、政宗は低く喉を鳴らす。 通商条約とは、すなわち軍事同盟だ。 北国に勢力を持つ政宗には、天下獲りに地理的、気候的な問題が付きまとう。一年の四分の一を領国に押し込められる枷は大きい。その間にも、畿内を中心とした武将たちは華やかなる武力闘争を繰り広げ、血で血を洗う合戦の果てに天下への道を邁進している。 「大内菱、三階菱に五釘抜、三ツ盛木瓜、武田菱、木瓜、五七桐、三ツ葉葵……中央じゃ、息つく間もない主演の取り合いだ。オレは舞台を竹に雀で席巻したくてね。それには、不動の一文字三ツ星と仲良くしときてぇのさ」 「七ツ片喰の方が、貴公には心易いかと思いましたがのう」 「そりゃ、オレ自身にとってはな。兵士たちの気性も似てる。が、似すぎてbusiness partnerにゃなれねぇよ」 伊達氏にとって、同じ遠国でも気脈を通じるならば長曾我部氏より毛利氏だ。 吹けば飛ぶような塵芥からのし上がってきた老獪な毛利氏には、長曾我部氏のような不安定さを許さぬ経験と知恵がある。野心に溢れた政宗にとって、元親は友ではあるが、同時に獲物であり敵勢力への生贄だ。例えば豊臣が中国に侵攻してきたら、元就は元親を生贄にできるだろうが、元親に元就を生贄にする知略は無い。 己の軍勢の特長を良くわきまえているからこそ、政宗は敢えて元就を選んだ。 此度の通商条約は、商業よりもむしろ軍事的な色合いが濃い。 「全く、近頃の若いもんは本当に油断がなりませんのう。使えるものは使う、使えぬものはポイですかえ」 「当たり前だろ? アンタにも、身に覚えが無いとは言わせねぇぜ」 「あなや、人の世の因果なこと」 いつまでたっても、人は同じことを繰り返すものですのう、と、はからからと笑う。 二人の謀略家の笑い声を吸いこんだ夕焼け空の色を見て、はそろそろ戻りますかのと城に足を向けた。薄青い夕闇の迫る市は一頃の活気も散って、家路を急ぐ人々のほくほく顔が政宗の脇を通りすぎていく。 「それで、弟君を置いてきたのですか。やれ、兄馬鹿ですのう」 「Shut up.崇将が表舞台に出ると決めたら、いやでも関わらなきゃならねぇさ」 だが今はまだ、崇将は子供であってもいいはずだ。 からかうの髪をかき混ぜながら、政宗は崇将への土産にと焼いた米菓子を買い求めた。 |
→下 100712 J |