尻尾を振って出迎える姿を想像しながら部屋に戻ると、そこはもぬけの殻だった。
 この城は、重要な部屋は全て、沈みゆく日輪の最後の光すら見つめられるように設計されているらしいが、それすらも残照となった部屋にも庭にも小柄な体は潜んでおらず、政宗は首を巡らせて弟の名を呼んだ。

 「、この城、securityはどこまで信用できる」
 「せきゅてーとは何ぞやな。まあ、なんとなく意味はわかりますがの…弟君がどこぞに遊びに行ったという可能性は?」
 「崇将がオレの言いつけを破ることはありえねぇ」

 どうにものんびりしたの言い草に苛立ちが募る。
 政宗の手の中で、剛力に締めつけられた米菓子が砕けた。このままでは城内城下をくまなく探すと言いだしそうな様子に、は軽く頭を掻いてこう呟いた。

 「動物の生息地を、探してみますかのう」



 場型犯罪(未遂)


 噴火直前の政宗をなんとか宥めて、が案内したのは城内の道場だった。強弓の誉れ高い毛利家らしく、剣道場の隣にはいくつもの的が並んでいる。
 練習用の弓の片付けをしていた兵士たちは、の姿に気付くと即座に整列して彼らを迎えた。一糸乱れぬ統率された動きは、最早団体行動の美すらある。

 「やあ、練習ご苦労、ご苦労。ところで、元就様を知らんかの」
 「はっ! 元就様でしたら、二刻(四時間)ほど前から剣道場に…」

 ばっしーん、と派手な音が上がったのはその時だ。同時に小さく子供の声。
 耳に馴染んだその声に、政宗は矢も盾もたまらず走り出した。

 「二刻もやっとんのか…」

 呆れたように天を仰いだは、兵士にねぎらいと薬箱の依頼を与えて政宗の後を追う。
 途中目に入った井戸端には行水のあとが残っていた。どうやら吐くまで痛めつけてはいないらしい。はやれやれと溜息を吐く。優しいのやら、厳しいのやら。



 政宗が道場に殴り込んだ時、神棚に見下ろされたそこでは、一人の大人と一人の子供がいて、つまり見知らぬ青年に崇将が躍りかかっているところだった。
 見事な速度で腹を狙った木刀が、これまた見事な速度で弾き返される。体重の軽い崇将はその反動で二、三歩弾き飛ばされ、よろけたそこへ青年の木刀が襲いかかる。
 ぶちかまそうと構えていたHELL DRAGONをぐっとこらえ、政宗は刀を鞘に納めて腕を組んだ。視線の先で、辛うじてかわそうと身を捻った崇将の脇腹を、変則的な動きの木刀が躍るように殴打する。
 げっほ、と大きくせき込む声が場内に響いた。

 「おやおや……お止めにならないので?」

 追いついてきたが熱気のこもる道場に顔を突っ込んで問いかける。政宗はNo,と短く答えた。崇将がふうふう荒い呼吸で立ちあがり、ふらつきながらも木刀を構える。じりじりと距離を測る目に兄の姿は映らず、ただ目の前の青年の隙を探している。

 「稽古中だ」

 崇将が一歩を踏みこんだ。頭上に掲げた木刀を力の限り振り下ろす。と、崇将の木刀が蛇のように動いた。汗でも踏んだか足の力がついに尽きたか、がくんと体勢を崩した崇将は、それでも敵に食らいついて曲線的な太刀筋を生んだ。青年の反応が遅れる。執念のなせる業だろうか、ついに崇将の木刀が青年の道着を捕えた。
 しかしそこで青年の木刀が崇将のそれを弾く。道着をひっかけるに留まった木刀は弧を描いて宙を飛び、からからと乾いた音を立てて政宗の足元に転がった。
 ついに力が尽きたのか、ひっくり返ってしまった崇将の呼吸音だけが道場の薄闇をかき混ぜている。

 「貴様、中々やるな」

 崇将のそれに似た抑揚の少ない声がかけられ、青年は子供に手を伸ばす。
 ふらふらしながらその手を掴んだ崇将を引っ張り起こし、青年は野性味が凝縮されたような獰猛な笑みを浮かべた。

 「寝て、喰って、遊んで、励め」
 「勉強も入れてやってくれませんかのー」
 「やかましい。こやつは、お前より筋が良いぞ」

 と軽口を叩く青年を、崇将はぼんやり見上げていたが、ふと握手した手に力を込めた。
 もう力など残っていないと思っていたのだろう青年の意外そうな視線とかちあうと、崇将は無表情の中に勝気な雰囲気を滲ませて言う。

 「稽古、ありがとうございました……次は、勝ちます」

 青年は満足そうに受けて立った。

 「望むところよ」

 崇将はそのままばったり倒れ、健康的な寝息を立て始める。政宗は、気持ちよさそうに眠る崇将に歩み寄ると、汗でびしょぬれになった体を抱き上げた。
 子供の体力を考えてやれとに怒られている青年に視線を転じ、異国語で短く礼を述べる。青年は―――元就は、理解できない言葉に眉をひそめた。
 しかし政宗に、日本語で礼を述べるつもりはさらさらない。
 兄として、どういう成り行きかはわからないが崇将に稽古をつけていた元就には感謝を贈りたい。しかし、政宗ですら初見の、崇将の負けず嫌いさだとか勝気さだとか、そういうものを知らないうちに引っ張り出して、政宗を差し置いて友情らしきものを結んでしまった元就が、有体に言えば面白くない。非常に面白くないのだ。娘に彼氏ができたような気分だ。成実が見たら兄馬鹿と指をさして笑うだろう。

 「Thank you very much.アンタ、毛利元就だろう。輪刀以外も扱えるとは知らなかったぜ」
 「武器にこだわっていて生き残れるものか。そういう貴様は、伊達の小童か」
 「アンタに小童って言われると妙な感じがするな」

 年齢は兎も角、元就は小柄な上に頭一つ分低いのだ。加えてまだまだ若々しい。せいぜいが、少し年上といったところだろう。

 「ふん、貴様なぞ小童で十分よ。外交に来て弟を人質に取られかけるとはな」
 「……んだと?」
 「気付いておらんのか。我は実際にその子供を分捕る機会が二刻以上あった上、こうして貴様の手中に戻った今も、その子供は我らにとっての人質ぞ?」

 の差しだす井戸水に浸した手拭で汗を拭きながら、元就は残忍に笑って見せる。

 「他国との繋がりを持つ者は、えてして謀反の疑いをかけられやすいのだ。そうでなくても、当主の弟ならば、貴様に不満を持った家臣に祭り上げられることもあろう。―――我の接し方次第で、その子供の立ち位置は変わるぞ?」

 その子供、未だ貴様の軍で確固とした立ち位置を得ていないのだろう。
 これが小十郎のように、政宗からも周囲からも認められる立場の人間であったなら、元就がどんな働きかけをしようと立場の揺らぎは微小であろう。
 しかし、崇将は小十郎ではない。
 政宗は唇を噛んだ。崇将が奥州に帰っても毛利家の人質というのは、あながち誇張ではないのだ。いつの間に。改めて毛利家の諜報網と智謀に歯ぎしりする。伊達軍内での崇将の立ち位置を調べ上げ、政宗の中で崇将がどれほど大切かを正確に把握し、それを逆手にとってしまうとは。しかも、元就と崇将が今日出会ったのは偶然なのに、元就はそれすら好機に変えてしまった。諜報力もさることながら、真に恐るべきは機会を活かしきるその智謀だ。

 「ほれほれ元就様、若人をいじめるのはその辺にしてやりなされ」
 「ふん」
 「伊達殿も安心なされよ。これは、ちょいとした挨拶みたいなもんですわい。大事な商売相手の弟君を、本当に人質にしようなど思いません。今のところ」

 付け加えられた言葉のおかげで、全く安心できない。

 「じじいたちからの教訓ですえ。大事なものはやすやすと手放すな、手放すならば独り立ちできるほど強くしろ。血を分けた親族ほど、愛おしくまたややこしいものもありますまい」

 はどうか知らぬが、元就は兄弟関係でそれこそ血みどろの抗争をしている。だからこその言葉だろうか。
 そして政宗とて、親族間の問題には身を切るほどの痛みを味わったことがある。
 政宗は独眼竜の本性をさらけ出したような形に唇をつりあげ、爛々と輝く瞳でこれを受けた。

 「ああ……肝に銘じたぜ」

 まるで、機会をとらえれば、お前たちの国さえ喰ってやるというような。
 野心と智謀が渦巻く独眼をにこやかに見返し、あるいは挑発的に鼻を鳴らし、謀略家たちは同じく猛禽の目で答えた。

 「良い目です。それでこそ、わっちらも伊達殿と組めましょう」
 「我らを使い捨てにできると思うなよ」

 伊達と毛利の、軍事物資を含む通商条約が成立する前夜のことである。




 +++
 (楽屋裏)
 「いやあ、なんとも羨ましい兄弟愛でしたのう」
 「弱味をさらけだしておったわ、青二才め」
 「わかりませんぞ? あれはいずれ化けるでしょうからの……それにしても、崇将殿は良い子でございましたのう。元就様の餌食にしてしまい申し訳ない」
 「膳を整えたのはそなたであろう。これ見よがしに我の隣室に招き、我の菓子を喰わせおって。しかもそなた、崇将が一人で留守番するのを見越していたであろう?」
 「さて、どうでしょうなあ。元就様にもう少し崇将殿のような素直さがあれば、お教えしたのですが」
 「ふん、素直な我がみたいと申すか?」
 「怖いもの見たさで」
 「三途の川で待っておれ」


 兄弟は大事にしましょう、というお話でした。
 崇将君、野猿の相手お疲れ様です!

 100712 J