はれっきとした日本人で、今年18になる予定の健全な青少年だ。
 容姿はやや女顔だがレベルとしては普通。黒髪黒目黄色人種。体格は17歳の青少年としては華奢だがあまり気にしていない。男らしさが欲しいとお星様にお願いしたい日もあるが、基本的に今の体格の方が便利だからだ。

 何がどういうふうに便利だというのか。
 新宿二丁目か、ニューヨークかと問う連中には拳を見舞うことにしている。


 の職業は、クラウンなのである。


 正確にはクラウン見習と言うべきだろう。彼はまだサーカスデビューはしていない。
 しかし技なら、親を亡くして、父の友人だった団長のコレジオに引き取られた12の時から磨いてきた。
 正式に訓練したわけでなく、見様見真似であったが、今ならブランコ乗りのカルロより上手く空中演技ができるし、手品師のジョリオをペテンにかけることもできる。玉乗りやダーツなんていわずもがなだ。


 学校には行っていない。
 コレジオに引き取られてイタリアに渡ったは、原色溢れる舞台に魅せられてしまったのだ。
 コレジオは渋るかに思われたが、彼自身叩き上げであったので、意外とすんなり許可は下りた。
 かくしては“サーカスの子”となり、巡業にひっついて雑用をしつつ、ちまちま芸と知識を学んできた。芸を覚えるより言葉を覚える方に苦労したのはご愛嬌だ。

 そんな生活も早5年。
 ジャグリングから軟体技まではサーカスの誰よりも上手くなった。
 パントマイムなんて、そこらを見回しても匹敵する奴はいないんじゃないかと思う。
 モノマネも得意で、女性のフリをしつつ外出したらナンパ野郎が列を作った。ダンサーの姐さん方直伝の化粧のせいもあったのだろうが、複雑すぎたので遠慮なく蹴り飛ばしておいた。
 どこを。
 男の弱点をだ。
 日本男児を甘く見るな、吐き捨てたは大層男らしかった。


 そんなにも悩みはある。
 サーカスの同僚たちは、の芸は舞台でも通用すると太鼓判を押しまくってくれるのに、肝心のコレジオがのデビューに首を縦に振らない。
 なんでだと聞いたら「笑い方も知らないガキんちょにクラウンが務まるか」と返された。
 これ以上笑ったら頬の筋肉がとんでもないことになりそうなのに。

 ガキんちょというなら、先月舞台に上がったファビオはなんなのだ。
 彼はより二月も遅生まれだ。芸も、一応見れはするが、とは比べられたもんじゃない。
 ことあるごとに昇進を自慢されるは、何度その馬面をコンクリートで固めてアドリア海に沈めてやろうかと思ったか知れない。
 余談だが、サーカスの本拠はシチリア島にある。


 不満の種を抱えながら、は健気にも練習に励んだ。
 我ながら、今時の若者に模範例として見せたいくらいのいい子だと思う。

 団長の言葉は、笑顔が身上であるには不可解なものだったが、無い頭を必死に絞って考えもした。
 5秒で諦めた。
 練習の合間に、街に出て路上パフォーマンスをしてみた。
 1年分の小遣いが一日で溜まった。
 老若男女を問わず笑いかけてみた。
 ストーカー被害に遭った。

 どないせーっちゅーねん、というのが結論だ。

 それでもいつかデビューさせてもらえる日が来るさ、そう自分を慰めて来たのだが――――……



 結果として、のサーカスデビューは永遠に果たされなかったのである。










 1 / 2 のクラウン!  Uno : 人生万事塞翁が馬









 何故に。


 の思考はそれに尽きた。
 見渡す限り目に優しい緑色だ。マイナスイオン大放出中の雄大な自然は初夏という季節のせいか蒸し暑い。じっとりと汗ばむような暑気には覚えがあった。約5年ほど前まで毎年巡りあっていたものだ。イタリアの乾燥した夏に慣れた身には懐かしさより厭わしさが先に立つ。纏わりつく湿気を好むのは水棲生物か黴だけと相場が決まっている。
 晴れ渡った空をトンビが一羽、飛んでいた。
 ぴーひょろろろろろ。
 平和だ。

 「…………………………って平和であってたまるかこんちくしょう!」

 アニメ日本●話のオープニングのような光景には全力で駄目だしした。
 しかし駄目だしに返ってきた声は市原悦子でも常田富士男でもなく、木霊した自分の絶叫だった。
 ぴーひょろろろろろ。
 あくまで平和を維持したいらしいトンビにさえ馬鹿にされたようで、はがっくりと膝をつ……こうとした。

 「ぎゃえ」

 思わず踏まれた猫のような声が出たが、それもしかたない。
 が立っていたのは、地上8メートルはあろうかという楠の枝だった。
 高所恐怖症の人なら目眩を起こして、数秒後には哀れなトマトになっていただろう。
 サーカス育ちで、ブランコ乗りのカルロと壮絶な空中戦を繰り広げたり、荒っぽい練習の途中でぶっちぎれた安物リボンを果敢に操って生還したりしていたでさえ、落ちることはなかったが肝が冷えた。

 「G, Grazie(ありがとう) 俺の三半規管……!」

 5年の修行が培ったバランス感覚に惜しみない感謝を捧げ、は慎重に体勢を整えた。
 足元がとりあえず安定したのを確認し、視線を周囲に遣ってみる。
 目に優しい色、豊かな自然。
 本能が安らぎを覚えるはずの光景に、何故だかとてもしょっぱい気持ちになった。
 原色サーカスはどこへ行った。目に痛いはずのどぎつい色がとても見たい。


 はいつものように、芸の稽古をしようとサーカス小屋の隅に向かっていたのだ。
 巡業中だったので、旅行における必需品が入った鞄を肩にかけ、蓋をぱかぱか鳴らして今日は何の練習をしようかと思いながら街角を曲がった。
 曲がった先は森だった。

 何故に。

 埃っぽい壁もコンクリートの道路も見当たらない。
 街中にいたはずだが、知らないうちに迷って郊外に出てしまったのかと一瞬思ったが、前後左右見事に緑色でしかも地上8メートルの枝の上。しかも多分国さえ違う。数分前まで吸っていた空気はヨーロッパの街の排気ガスっちいそれで、今は日本(でなかったとしてもアジア)のマイナスイオン。
 一体どこをどう迷ったらこんなところに出るのか。
 方向感覚で片付けるには無理があった。
 迷子というにはあんまり規模がでかすぎる。

 「………UFO?」

 の脳裏に、半年前巡業したアメリカで見た特番が過ぎった。
 リトルグレイを皮切りに、地球は宇宙人に侵略されている、今も攫われている人がなどという内容だった。
 アメリカ人はどこまでUMAが存在していてほしいのかと笑いながら見ていたのだが、まさか我が身がUFOに誘拐されるとは。
 世界は予想外の塊らしい。

 「しっかし………どうやって帰ろう………」

 リトルグレイもETも近辺にいないから、解剖される危険は無さそうだ。
 だが、未成年を誘拐して他国に放り出すというのはどうなのか。
 この場合不法入国になるんだろうか。
 国籍はまだ日本人らしいはここが日本であることを切実に祈った。北のピー国だったら笑い話にもならない。

 「ちくしょうリトルグレイの野郎、拉致するならしっかり責任とりやがれ……!」

 どうせならヨーロッパに放り出してくれればよかったのに。
 は現在地がアジアのどこかと仮定して、イタリアまでの運賃その他を概算してみた、
 ………………………絶望した。

 どうやって稼げというのだ。
 どうやって帰れというのだ。

 手に職があるから日銭は稼げるかもしれないが、旅費なんて月より遠いだろう。
 まじめに働き口を探したって、高校どころか中卒でさえない17のガキをどこが雇うのか。
 日本の就職氷河期やアジア諸国の低賃金をはよっく知っていた。
 イタリアに帰る前に飢え死にする自分を想像して、思わず鞄に手を突っ込む。
 指先に触れたビンに息を吐いた。


 保存食はちゃんとある。


 何故そんなものを常備していると聞くなかれ。
 これには深いわけがあるのである。
 そのわけのせいでは孤児になり、日本を離れ、干物を詰めたビンがなければ不安な子供になったのだ。
 断じて同情しないでほしい。
 あれだ、携帯がないと不安なのと一緒だ。
 言い募れば言い募るほど可哀相になることには気付いていなかった。

 ともあれ保存食の存在に安堵したは、まずはここから動いてみようという気になった。
 いつまでも枝の上にいたって何の得も無い。枝に座っているのが似合うのはもの●け姫の木霊くらいだ。
 小さく息を詰めて覚悟を決める。


 だいじょうぶ。
 俺はクラウンなんだから。


 次の瞬間、は勢いよく地上8メートルの枝から飛び降りた。
 すぐさま重力が彼の華奢な体を捕らえ、鞄と髪がばさりと靡く。
 刹那のうちに鮮やかな夏草の地面が迫る。
 明確な危機を心臓が認識する前に、は猫のように着地した。

 「………ッは、」

 こここここ怖かった!
 今更アドレナリンを大放出している体を抱え、は大きく息を吐いた。
 肺に流れ込んでくる新鮮な空気が美味しい。
 ばくばくと心臓が脈打っていた。流石に紐無しバンジーは怖かった。しかも8メートルだ。

 「俺クラウンで良かった……!」

 徹底的に磨いた技と修行の日々に限りなく感謝。
 ひっそり人間を超えてしまっていることには気付かなかった。










 その後は機嫌よく、適当に太陽の方角へと歩いてみた。
 いくばくも行かないうちに踏み固められた道を見つけたのでこれはOK。
 どうやら頻繁に使われる道らしく、露出した土面にはほとんど雑草が生えていなかった。

 「………農道かな?」

 日本の道はコンクリートなイメージしかなかったので、トスカーナ地方の農道と比較してみる。
 うん多分農道で間違いない。
 トラクターが通るには狭そうだが牛が通るには問題ない広さだ。
 この道に沿っていけば民家に行き会うだろう。
 希望満面、は全開の笑顔で歩き出す。

 「ドナドナドーナド〜ナ〜」

 口をついた鼻歌は、はなはだ相応しくなかったが。





 陽気な微笑みや緑を楽しむ仕草は、ハイカーか登山客のようだった。
 本来なら、帰れそうも無い自身に嘆くか、これからの不安に垂れ下がっているべき眉は愉快そうな弧を描いている。
 何故か。
 絶望でおかしくなったのか。


 あいにくそんななよっちい神経は存在しなかった。
 の神経はペンペン草よりも逞しく、ブタクサよりもしぶといのである。


 はイタリアがある(ということにした)方角に一度盛大な投げキスを送ると、「Addio(さようなら)皆! 俺は強く正しく清純に、ホップステップジャンプで生きていく!」と別れの挨拶をして完結した。
 非常にすがすがしい笑顔付き。

 5年間の恩と義理はあるが、帰ることを目指していたら生活できない。
 思い出はいつも綺麗なものだが、それだけではお腹がすくのである。










 更に暫く歩き、太陽も大分傾いてきた頃。
 空きっ腹に虫を飼いつつあったは、ようやく念願の人を見つけた。
 しかも一人ではない。
 景観保存条例が敷かれたような町並みの間を、少なからぬ人間が行き来している。
 は嬉しかった。
 たくさんの人間=飯の種である。なにせはパフォーマンスで金を稼ぐのだ。


 が、素直に喜べるわけではなかった。
 近付くにつれ2.0の視力が泣きたくなるような光景を提供したのだ。

 ハゲ。
 ハゲ。
 何故に。

 右を向いても左を向いても、見事な頭皮が夕陽に映えている。いや、むしろ反射?
 時代劇なんかでよく見る古臭い格好(着物と言うのだったっけ)をした主に男性たちの頭頂部に目が釘付けになったは、あんまりな事実に目頭が熱くなった。


 景観保護のために、住民まで髪を剃らねばならんとは。


 日本のサービス精神とはかくも雄雄しいものなのかと感動したは、もはや回復は困難と思われる中年男性の毛根の為に惜しみない賞賛の言葉を贈った。





 あそこに踏み入るために、もしや自分も頭を剃らねばならんのではと思い至ったの血の気が引くのは、この数分後のことである。


主人公は帰国子女
080123 J

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