「靴の話・1」 現代政宗とカイリ 靴を買おうと思った。とびっきりの新しい靴。 (た、高い) 特別収入が少ないというわけではないのだけれど、自衛本能というか節約が身に染みついているカイリはメンズの靴売り場で立ち尽くした。 売り場は白が基調のすっきりとしたディスプレイ。棚に並べられた靴はやはりというか女性物が圧倒的で、男性物は売り場の隅っこに追いやられるようにして飾られている。革とゴムを混ぜ合せたような独特のにおい。 「何かお探しですか?」 「はっ?!」 近づいてきた店員に声をかけられて我に返る。マッシュルームボブの女性店員がにこにこと人好きのする笑みを浮かべていた。ターゲットロックオン。 狩人の微笑みに内心たじろいだカイリだったが、すぐに普段の調子に戻って言う。 「Si(うん)、これが欲しいんだけどさ」 「わあ、ハイセンスですね。こういう靴ならワンポイントになるし、絶対お勧めですよ!」 「可愛い女の子に勧められると買いたくなっちゃうなぁ。でも、ちょぉーっと、高くない?」 「そんなことありませんよー、このテの靴としては安い方ですって!」 「でも、こういうクセのある靴って、履き手を選ぶでしょ。合わせにくそうな靴に、気に入ったってだけで大枚はたくのはちょっとさ」 普段から一癖あるアイテムを好んで着ているくせに、店員に割引させるためだけに嘘をつく。交渉はいつだって本音と建前の使い分けだ。 しばらくセールススマイルの駆け引きは続いたが、買いそうな気配をちらつかせるだけちらつかせ、あーだこーだためらうカイリに店員は苛立ったのか、ややひきつった笑顔ででしたら、と広い方の売り場を指し示す。指の先にはレディース売り場。 「わざわざメンズでなくても、新作がたくさん入荷していますよ。あちらのヒールとか、似合うと思いますけど」 「………ん………?!」 ちょっと待ってそれどういう、と訊ねようとした時背後で盛大に噴き出す音が聞こえた。 振り返るとよく見知ったモデル体型が顔を覆って震えていて、 「………マサムネ、何やってんの?」 「S,…sorry, I can’t help laughing……!(わ…悪ぃ、笑いが止まんねぇ……!)」 「……お姉さん電話! 不審者! 117!」 「You’re silly(アホ)、そりゃ時報だ! やめろ、これ以上笑わすな!」 腹筋が痛ぇ、と身をよじるので非常に気持ち悪いと呟きつつカイリは店員を庇って距離を取った。 せっかくの美形が台無しである。 ひとしきり笑った政宗は、未だひくひく痙攣する頬を押さえながら、 「Shopping mollのショップで値切る奴なんざ初めて見たが、靴買いに来て性別間違われる奴も初めて見た」 「Stai zitto!(うるせーよ!)そういうマサムネは何しに来たのさ」 「靴屋にいるんだから、靴買う以外に目的があるかよ。You see?」 言いながら政宗はカイリの目当てを手に取った。あ、と言った声が思っていたより残念そうで、しまったこんな声聞かれたら値切り交渉に支障がと思ってしまう。 どうやらまだ値切る気でいるらしい。 「Oh…相変わらずいい趣味してんじゃねぇか」 「そりゃThank you でもそれ、ちょっと高くない?」 「そうか?」 「ボンボンめ……」 金銭感覚おかしいんじゃねぇのと小声で呟くが、実際のところ値段は至って標準であったのでそれは濡れ衣だ。 政宗はしばらく靴をためつすがめつしていたがやがてぽつりと、 「お前になら似合うだろうな」 吐息のように呟いたから空耳かと思った。思わず見上げた左目はじっと靴に注がれていてきっとその目には今その靴を履いた自分が想像されているに違いなくて(やめろそれは俺のだ!)視線を引きはがすみたいに靴を奪い取った。 「ぅあ、あれ」 ぱちくりと瞬きする政宗はなんだかとても幼かった。夢から覚めた子供のような。 (俺は一体何がしたかったんだ?!)なんだか奪られたような気がして誰に何をだそれは。違う靴に自分の幻に政宗を奪られたなんてそんな、よりにもよって! 「おいカイリ?」 「ッ! こ、これ買います!」 政宗の追及を避けるように勢いよく反転して、店員に靴を突きつけた。 あまりの勢いに店員は一瞬呆然として、やがてぱっと顔を輝かせる。 「お買い上げありがとうございます!」 「……別に、奪ったりしねぇっての……」 元気のいい店員の言葉に隠れるようにして落とされた呟きを、カイリは背中で黙殺した。 嬉しいのは新しい靴を買うからで、断じて似合うと言われたからじゃない。 「靴の話・2」 現代政宗とカイリ 履いて帰ると言い張って、今まで履いていた靴を袋に入れてもらったカイリがスキップをしている。 よっぽど嬉しいのか彼は時折ステップまで踏んでにまにまするものだから、つついてみたくなるのも当然というものだろう。 「あんまりはしゃぐとコケるぞ」 「マサムネみたいに軟弱なバランス感覚してないよ」 「んだとコラ。じゃあお前それでフェンスの上とか歩いてみろよ」 「お安い御用―っとね。クラウンなめんな」 「チッ! 落ちろ」 「聞こえたぞ Porca miseria……!(こんちくしょう……!)」 器用に飛び乗った青緑のフェンスの縁を歩くカイリは、足元の高さにある政宗の頭に蹴りを放った。 「Ups! 危ねぇなこの野郎!」 「口はバイオハザードのモトじゃ」 「……災い、か? カイリお前日本語勉強しなおせ、一体どんなことわざだそれ」 「わ、悪いことって意味じゃ間違ってないだろ?! っぃて、う、わわわ?!」 「ッ! カイリ!」 大声を出した拍子に、カイリは一瞬顔をしかめバランスを崩した。 無防備に宙に放り出された体を政宗が掴む。引き寄せられたカイリは一瞬息を呑み政宗は全身で受け止めた体重に息を詰めた。 「Mi…Mi scusi(ごめん)マサムネ、ありがとう」 「……っのFucking boy!(馬鹿野郎!)大怪我するとこだったぞ?! 何がバランス感覚いい、だ!」 耳元で怒鳴られてカイリは首をすくめた。 現在彼らは、政宗の腕がカイリの胸の前で彼を抱き止めている状態だ。身長体重共に開きがあるので、カイリの両足は政宗の脛のあたりでぶらぶらしている。 いい加減少ないとはいえ周囲の通行人の目が気になってくるので、離してくれないものかとカイリは思った。しかし政宗はそんなこと頭になく、頬を紅潮させて唾を飛ばしている。汚いからやめてほしい。 政宗は5キロくらい全力疾走したような動悸を感じていた。冗談抜きで心臓が凍ったかと思った。スローモーションのように落ちていくカイリを抱き寄せられたのは奇跡だ。手なんて今更震えが来て、目の前でカイリが大怪我をしたかもしれないと思うとすうっと背筋が寒くなる。 腕にかかる負荷に、布越しの体温に大袈裟なほど安堵した。 「Bad boy……!」 「わ、悪かったってば……」 だからもういい加減離してくれとカイリが身じろぐので逆に離したくなくなったが、公の場所であったことを思い出して慌てて放り出す。何だ俺今何で離したくないとか、 先ほどとは違う理由で体が熱くなる。 (そういえば心臓がうるさいくらいばっくんばっくんしていたが、まさかそれ聞こえてなかっただろうな?!) 放り出されたカイリは素早く足をついてうまく着地しようとして「い、」音が一言だけ口をついて出た。い? なんとか着地した彼はしかしすぐに座り込み、新しい靴をじっと見つめている。ああもしかして、 「靴ずれか?」 「そうみたい……」 慎重に靴を脱いだ素足は踵の部分が赤くなっている。どうやら皮が破れて薄く血が滲んでいるようだ。 顔をしかめたカイリはもう片方の靴も脱ぎ、 「あっちゃー、こっちも」 「阿呆な歩き方するからだ」 からかってやれば、カイリはあからさまに膨れた。柔らかそうな頬だ。 衝動に駆られてその頬に人差し指を勢いよくつきたてると間抜けな音を出して空気が抜け、「……ッ! Pazienza! Pazienza!(がまん!)」ますますむくれたカイリはそっぽを向いた。いやお前それちょっとかわい、Stop俺そこから先は考えるな! 政宗が悶々と戦っていると、拗ねたカイリがぽつりと、 「せっかく似合うって言ってくれたのに……」 「……………ッ!!」 政宗は全力でそっぽを向いた。駄目だ今こいつを見たら何かが終わる。 よそ見をし、悶えそうな衝動を必死で押し殺している政宗は気付かなかったが、反対方向を向いたカイリは顔を真っ赤にしていた。俺今一体なんて言った? 思うだけでも悶絶物の思考をうっかり声にだしてしまった道化師は、普段の飄々ぶりはどこへやらものの見事に茹であがる。 みっともないくらい赤くなって座り込み、反対方向を凝視する二人は異様といったらなかった。 「Ah−……なんだ、その」 「……んだよ」 「そのだな! し、仕方がねえから、ほら!」 顔を見ないように体をひねる。赤くなった耳が髪の間からちらちら見えるが、カイリに背中を向けた格好だ。 わけがわからなくて眉を寄せたカイリの雰囲気を察し、政宗は上擦った声でまるで言い訳のように話した。 「あ、歩けねぇんだろ。Hurry up! 俺は早く帰りてぇんだ!」 「え、えーと」 つまりおぶされということか。 カイリは盛大に困惑した。おんぶなんて団長にもしてもらったことない! いつまでもカイリが乗ろうとしないので、そのうち政宗は焦れてきた。くそ、この格好のまま待ってるなんてかっこ悪いじゃねえかさっさと乗れ、この俺がせっかく申し出てやってんのにそれとも俺じゃ不満ってか! もう勝手にしろと言い捨てて立ち上がろうとした時、そろそろと真っ赤な手が肩に置かれた。どうやら覚悟を決めたらしい。 「お、お願いしマス……」 「……お、OK」 背中に重み。熱く感じるのはどちらの熱か。 靴を拾いぎくしゃくと立ちあがると、視点が高くなったためか肩に置かれた手が一瞬力を込める。カイリに政宗の首の前に腕を回す度胸は無い。 歩き出したが会話はなかった。お互いの髪から漂うシャンプーやらワックスやらの匂いが混ざって、また靴売り場にいるような感覚に襲われた。しかしここは靴売り場では断じてないし、カイリの新しい靴は政宗が持っていて、彼の脚は政宗の膝のあたりで揺れている。 帰ったら思いっきり染みるように消毒してやろうと、わけのわからない恥ずかしさを誤魔化すように強く思った。 「魔除け」 政宗と景之 黒髪に芽生えたばかりの新芽の緑が映えていた。彼が動くたびに高い位置で結われた髪が揺れ、それを追うように緑が揺れる。さらさらゆらゆら。まるでかんざしの花房のようだと思う。 「Hey 景之、随分とcoolなモンをつけてるじゃねぇか」 「ああ、―――喜多殿に頂きました」 呼びとめてやれば困ったような微笑を返す。その表情に面映ゆいものを見つけて政宗は喉を鳴らして笑った。 彼の気持ちはよくわかる。政宗と共に育った景之にとって喜多は姉でもあり母でもあった。彼らが彼女の背を追い越しても関係は変わらず、けれど単純に姉と慕うこともできない心理も育った。だからこそ時折与えられる喜多の贈り物(それは物であったりそうでなかったりするのだけれど、)に照れくさいような嬉しいような気持ちを抱いて、ほんの少し持て余す。 もう少し歳を重ねればそういうこともなくなるのだろうかと政宗は思ったりするのだが、それは随分と先のことのように思われた。 「Hm……come here よく見せてくれ」 「Yes your majesty(かしこまりました)」 シュッと裾をさばいて近寄ってきた景之はそこそこの距離で止まろうとしたので、手をひいて引き寄せる。触れた手は水に浸したようにひやりとしていた。 「That’s good……cuteな髪飾りだ。似合ってるぜ」 「はぁ。喜ぶべきですかね」 「喜んどけ」 「はい」 凡そ同じ男のものとは思えぬ白い頬を緩ませて、景之は美しく笑った。この男は美しいという形容がよく似合う。とても小十郎の血縁とは思えない。 女の眉のような柳葉からは青々とした匂いがした。まだ夏のものほど強くは無い。 柳の芳香の儚さは、その脆い清さゆえにどこか神聖なものを感じさせた。 「柳の新芽か……春の報せだな」 「ああ、そういえば春めいて参りましたね。……喜多殿が飾ればよろしいのに」 「Ah? お前も似合ってるじゃねぇか」 「男が飾りたててなんとしますか」 「言うじゃねえか。俺は好きだぜ? 自分を飾るのもお前を飾るのも」 「政宗さまは男らしく飾っていらっしゃる。私など、――喜多殿に文句を言うわけではありませんが、柳にしたって女性的ですよ」 文句じゃねえか、と思いつつ政宗は喉で笑った。景之の口調には不満の尻尾が見え隠れしている。 確かに政宗や喜多が景之を飾るとき、趣向はどうしても女性的な美しさを求めた。景之にとって不幸なことに、彼は猛々しさからは程遠い。 線の細い容貌を笑いを含んで眺めていると、景之は尚も不満を漏らした。 「喜多殿は、柳は魔除けの力があると……女子供ならともかく、私に神隠しの心配などありませんのに」 「……………」 柳は他の植物より早く春を感知することから、高い霊力を備えると信じられている。 元服も済ませた男子にそんな心配など無用と景之は呟いたが、政宗は喜多の贈り物にしみじみと納得する。 景之なら魔に魅入られてもおかしくはあるまい、そんな雰囲気が彼にはあった。静寂を湛える容顔。その右目を覆う眼帯。その眼窩に片目を抉ることすら激痛すらものともしない、狂おしいまでの激情が隠されていることを知っている政宗は、だからこそふと不安になる。(いつか幻のように消えてしまいそうで、)政宗は花弁のように冷たい景之を抱きしめる。 (果敢無い美しさに危うい純粋。それこそ魔の好むところではなかったか) 「政宗さま?」 傍にいることを望んで片目を抉った男。くちづけ、性急に舌を絡めると一瞬の戸惑いの後すぐに反応を返した。呼吸もままならないくちづけを続けると、やがて景之の頬に朱が昇ってくる。体が熱い。唇を離すと、銀糸を滴らせとろんと陶酔した瞳で微笑んだ。そこに危うさが潜んでいる。娼婦のような媚を含み、それでもなお神聖な。 清らかな魔物は微笑んだ。美しく。景之の首筋に添わせた手に柳が触れる。 (遠くに行ってしまった)(それはきっとお前が片目を抉った日から)(お前は人ではなく、美しい魔物となったんだ) 「金柑頭」 政宗と光秀とカイリ 「そういや、ミツヒデの頭って金柑じゃないね」 突然訳のわからないことを呟いた道化師を政宗は胡乱な目で見つめる。言うに事欠いて殺人狂が柑橘類? 話の矛先を向けられた光秀はにこにこ笑って首を傾げた。この男はいつでも笑っている。笑顔の種類がどうであれ。 「私が金柑とは、どういうことでしょうか?」 「んー、なんかでさぁ、ミツヒデ=金柑頭って読んだ気がするんだ」 「カイリ、そりゃきっと気のせいだ」 金柑は薬にもなるが、光秀に金柑は似合わない。 こいつに似合うのは返り血か血止めの膏薬だ。 「そうかもなぁ…。ミツヒデ、別に頭が丸いわけでもオレンジ色ってわけでもないもんなぁ……」 「オレンジとは何ですか?」 「蜜柑色のこと」 政宗は想像する。鬱陶しいロン毛を刈って坊主みたいに頭を丸め、蜜柑っちい色に染まった光秀。 ――――脳が想像を拒絶した。 「Oh…level高いぜ」 「どしたの?」 「金柑っぽい明智なんざ、想像もつかねぇ」 「おやおや…ひどいですねぇ……クククククッ」 何が楽しいのか笑い出した光秀の間合いから距離を取った政宗は、真剣な表情でうつむいているカイリを見て嫌な予感を覚えた。 果たしてその勘は正しく、 「ねえマサムネ、コジューローに頼んだら蜜柑くれるかな。あとハサミ」 「やめろ悪夢は幻のままにしておけ!」 「桃太郎」 幸村と佐助とカイリ なんかお話を聞かせてくれとせがんできた二対の瞳に俺様はあんたらの母親でもなんでもないのだと呆れ、それでも結局おねだり光線に耐えきれず「昔々…」と話しだしてしまう自分はどうかしていると思う。そもそも忍なんてのは陰惨な生き物で実際そのように生きていくべきなのだ。就職先を間違えたかもしれないと思ったが、例えば真っ当な(というのも変だが)忍らしい仕事が待っているであろう織田にでも行くかと言われれば考える間もなく否定するだろうから結局俺様はここが好きなのだろう。 「佐助―、一寸法師は前聞いたでござる。他の話がいい」 「旦那は俺様に何を期待してるのさ……」 「他の話」 「………」 そんなもん、佐助よりそこらの村人の方が詳しい。 娯楽より修行の人生だったのだ、おとぎ話など片手の指の数しか知らない。それすら聞きかじりだ。 「サスケぇ、俺タローが聞きたい」 「タロー?」 「ええっと、なんか果物の名前のタロー。この前子供らと話してて、熊に乗ったタローとどっちが強いかってなって」 「ああ、桃太郎ね」 それならなんとか知っている。佐助は記憶を辿りながら話しだした。 「昔々、あるところにおじいさんとおばあさんがいて……」 謹聴後、やはりというかなんというか幸村は「某、桃太郎に負けぬ武士になるでござるぅぅ! お館さむぁ――――!」空に向かって叫んだ。カラスが一羽飛んでいる。アホー。 この年になって桃太郎とか叫ぶなんて、恥ずかしいから真剣に止めてほしいが止まるまい。鬼ヶ島にでも特攻かけそうな勢いだ。その場合鬼はやっぱり四国の半裸なのだろうか。 一方、同じような馬鹿騒ぎを始めるかと思われたカイリは意外なことに動かなかった。「イチミヤの旦那?」不審に思って覗きこめばあれ何その不気味な笑い。 「ふっふっふ……いいこと聞いた……!」 「あれー? 桃太郎ってただのおとぎ話のはずなんだけど」 そんな興奮する話だったっけ? 首を傾げる佐助にカイリはにこやかに、 「だって普通に暮らしてる農民が金銀財宝蓄えられるような国なんだろ、日本って! 桃太郎が強奪した鬼の宝物って、もとは農民から奪ったやつだもんな! だったらもうちょっと俺におひねり包む余裕はあるってことじゃん!」 「………ああああ馬鹿がここにもう一人……! おとぎ話だよ指摘しないでやれよその矛盾はさぁ……!!」 「チューリップ」 政宗とカイリ 「What’s this?」 それは不思議な花だった。アロエのように肉厚の葉、鮮やかな赤や黄色の花弁は椿のように艶やか。たった6枚だけの花弁はしかし大きくて、太い茎の頂点に南蛮渡りの杯のような花を形作っている。 異国からもたらされたその花は、気持ちよさげに春の光を浴びている。艶めく花弁はビロォドを型抜きしたようだった。 「あれー、チューリップだ」 「ちゅうりぷ?」 不意に現れた道化師が、ひどくあっさり花の名前を口にした。 異国帰りの彼は懐かしそうな色を目に浮かべて、鉢植えのチューリップに手を伸ばす。大ぶりな花を指がつついた。ゆらゆら。赤色が揺れる。 「これ、ちゅうりぷって名前なのか」 「チューリップだってば。うわー懐かしいなあ、そうかもう春だもんね」 「お前、詳しいのか?」 「そんなに詳しいってわけじゃないけど」 言いつつ彼は黄色のチューリップへと指を伸ばす。茎をつまんで、愛撫するように撫で上げる。その仕草はとてもこなれていて、ああそういえば彼は女性を愛することを呼吸に等しくやってのける奴なのだということを漫然と思い出した。 指は花弁の真下で止まる。まるで掌に杯を載せているようだ。 「酒でも注ぎてぇな」 「いいね、花の味がしそうだ」 注いだって、花弁の間から零れてしまうだろう。美しいものはいつだって幻だ。 「ああでも、このチューリップは黄色だから、悲しい味がするかも」 「…? What’s mean?(どういうことだ?)」 「黄色のチューリップの花言葉は、希望のない恋だから」 綺麗なブーケになるけれど、女の子には贈れないんだよと大袈裟な嘆き。 「花言葉? なんだそりゃ」 「種類や色ごとに想いを込めるんだ。桜なら精神美、椿なら高貴な人とか」 「Ah-ha. じゃあ、チューリップは?」 「全般的には思いやりとか優しさだったかなあ。黄色とか白は悲しい意味だけどね」 失恋とかさ、と続けて、彼は花弁に唇を寄せる。それはまるで花へ睦言を囁いているような倒錯的な情景で、いっそその口で花弁を食べてしまえばいいと頭の隅で思った。 希望のない恋は、それでもきっと甘い味がするだろう。あんなに鮮やかに、まるで王冠のように咲き誇っているのだから。 「そもそもチューリップの昔話が悲しいんだよ。望まぬ相手の求愛を受けた女の子が姿を変えたのが、チューリップだったんだから」 「Ha! そりゃまた随分な思いやりだな」 「ほんとだね。でも、どうしてかなぁ。こんなに愛らしいのに、悲しい逸話だなんてさ」 「I don’t know. だが、わざわざ花一つに花言葉やら逸話やら、手の込んだことだ。暇人もいたもんだな」 一々覚えるてめぇもたいがい暇人だと鼻で笑ってやる。カイリにそういう知識がなければ政宗が花言葉やら逸話やらを知ることもなかったわけであるが、そこは棚上げだ。 政宗にからかわれたカイリはぷくっと膨れた。 「No, 馬鹿にすんな! 花言葉は案外役立つんだよ!」 「俺は知らなくても困ったことはねぇな!」 「そりゃマサムネが男臭いからさ! 高得点の女性ほどそういう知識も豊富なんだよ、下手なチョイスはできないんだ!」 「結局暇人の所業じゃねぇかこのスケコマシ!」 「うるせーよオトコゴロシ!」 「………Hey you, その言葉どこで覚えてきた」 「男にしか興味の無いマサムネには縁のないところですーぅ」 「誤解を招く言い回しをするんじゃねぇ!」 政宗は手近なものを投げた。赤いチューリップ。しまった、鉢植えじゃねえか! 当たったら怪我ですまないかも知れない。 「やべ、カイリ避けろ!」思わず叫んだ政宗の予想に反して、意外なことにカイリは鉢植えごとチューリップを受け止めた。頬を赤い花が叩く。 「Sorry! Are you ok?!」 「………え、ええー」 焦って覗きこんだカイリは無事だったけれども、無事だったけれども、 「……? なんて顔してやがる」 「いやーうん、これはさ……あー何でもないわかってる、なんでもない」 お前が無知なのはよく知ってると腹立たしいことを呟いたのでとりあえず拳骨一発。それでも奴は笑っているような照れているような困っているような泣いているような怒っているような表情で、顔色を赤に青にと目まぐるしく変えている。 危険物を投げたことに対しての抗議はないのかと不思議に思っていると、カイリはおずおずと、 「あのさあ、このチューリップ貰っていい?」 「……? 構わねぇが……」 「ん、Grazie」 わけがわからないまま許可すると、カイリは赤いチューリップの鉢植えを抱きしめて笑った。 一気に機嫌が上を向いたらしい彼はさっさと歩きだす。口から単純なメロディーが紡がれ始めた。咲―いーたー、咲―いーたー。 (お前が知ってるわけないってわかってるけどさ)(赤いチューリップの花言葉)(愛の告白、なんだぜ) 「あけぼの」 カイリ(と政宗) その腕は力強く温かかった。どく、どく、頬を寄せた胸の奥深くにしまわれた心臓が命の脈を打っている。ハート型の器官から押し出された血液はこの皮膚を隔てた体を巡り、カイリを抱く腕にその活力を与えている。 自身に比して、彼の体温は高かった。触れたところから染み込むぬくもりに、いっそ一つに溶け合えたらいいのにと思う。 そうしたら、こんなふうに彼のせいで苦しくなることも、切なくなることもないだろう。 二人が一つに満たされたら。砂糖菓子のように甘い夢を見て目を閉じる。 猫がすり寄るように甘えるカイリの頬に、節くれだった長い指が触れた。六爪を自在にあやつる五指は微かに乾燥していて、いくつもの古い傷痕があった。 指は愛するように頬を滑り、そっとカイリの顎をとらえる。上を向かされたカイリは、猛禽類のように鋭い独眼を捕えた。日本人にしてはやや色素の薄いシナモンブラウンの瞳に、物欲しそうに呆けた己が映る。 それがどうにも恥ずかしくて、カイリは気まずく視線を彷徨わせた。 何を照れているというのだ、ファーストキスでもないくせに。思った途端いたたまれなくなって瞳を薄い涙の膜が覆う。自分は鼠のように薄汚れていたのだ、このぬくもりなど望んではならないほどに。 けれども、このぬくもりの檻を抜け出ることなどできるはずがなかった。 強欲さを思い知る。他の誰にも、彼を渡したくなんてない。狂おしいほどの執着。 不意に、背中に回されていたもう一本の腕が力を込めた。 より近く抱き寄せられて、水晶の欠片のような水滴乗せた睫毛が震える。 思わず見上げた顔が、呼吸さえためらうほどに近かった。視線が絡む。もう、彼の瞳に自分を顧みることはできなかった。瞳は、瞳しか映していなかった。 自然と瞼が落ちていく。思考が甘いぬくもりに沈んでいって、ただ唇に落とされるであろう幸福を待ち望む――――………・・・ ・・ ・ 「わあああああああっ!」 悲鳴を上げて飛び起きた。全身が熱い。心臓が早鐘のように鳴っている。血液が駆けまわる足音が頭の中で響いていた。 「いっ、いい、い、今のっ……ゆ、夢……ッ!!」肩で息をしていたカイリは、見慣れた自室の布団の上に一人で座っていることを確認して深く深く息を吐いた。 頬が熱い。唇に手の甲を押しあてて、カイリはばたりと後ろに倒れる。最近やっと慣れてきた古い型の枕を弾いてしまったが、そんなことはどうでもいい。 やたらリアルな夢だった。 腕の感触も胸板の温かさも、唇にかかった吐息さえ、 「うわああああああ!! ナシナシ今のナシ、ただの夢だってば俺……!!」 カイリは頭を抱えて唸る。思いだすだけで赤面ものの内容だ。 夢は自身の願望というが、まさかアレが自分の願望だなんて断じて認めない。もしそうだったら恥ずかしさで悶死できる。 でもちょっと残念だったなーという思いが思考の片隅をよぎって、カイリは奇声をあげて頭をかきむしった。 「うあーどうしよ、今日マサムネなんか見たら」 どうなってしまうかわかったもんじゃない。そう考えて、うっかり政宗を思い出してしまったものだからカイリは余計唸り声をあげた。 「紅、一点」 佐助(とカイリ) 「あれま」 それについて何と言ったらいいものか、とりあえず佐助は間抜け面で間抜けな声をあげる。 「よくもまあ、綺麗に飾られちゃったもんだね」苦笑いを含んだ主に、首に桜花の輪を飾った忍烏はカアと一声不満げに鳴いた。 「ごめんごめん、責めたわけじゃないよ。似合ってる似合ってる」 佐助の仕える主の炎よりずっと冷たくて暗さを含んだ一対の紅い瞳は、無機質で透明な宝石だった。闇を練って作られたような忍烏は、しかし首元に淡く愛らしい色を咲かせていた。白に紅を一滴だけ混ぜたような、美しくも儚い色。それは硬質な色しか持たない忍烏から著しく浮いていたのだけれど。 「全く、イチミヤの旦那にも困ったもんだね。お前まで誑かすなんてさあ」 第一お前も、主人の俺様に内緒であの男に触らせるなんて。 ぶつぶつ文句を言いながら、佐助はためつすがめつ花輪を眺めた。桜なんて弱い花なのに、小器用なことにうまく編んでいる。 どうせあの道化師は、「お前綺麗な羽だねー。よし、俺がもっと綺麗にしてあげる」とかなんとか言って編んだのだろう。桜の木に登り、脚をぶらぶらさせて、鼻歌でも歌いながら。 黒というなら彼も夜色の髪をしているから、桜の薄紅に埋もれたそれはよく目立ったことだろう。 きっと美しかったに違いないその光景を見逃したことを、佐助は少しだけ残念に思う。 カア、忍烏が羽を広げた。春霞に浮きあがる黒色。 「あ、」風圧に負けた薄紅が一ひら、漂うように舞い落ちた。思わず手を伸ばしたが、花びらは指先を掠めて流されていく。 けれども桜の首飾りは、それ以上を風に奪われることもなく。 「これも春……ってやつかねぇ」 参ったなあ、佐助は無用になった手で頭を掻いた。 「春先メランコリィ・1」 佐助とカイリ(と政宗) 政宗が引きこもりになったと聞いてカイリは思わず蓋の開いた缶コーヒーを取り落した。とくとくとく、カイリ最愛のコーヒーがのどかな光を浴びたコンクリートをつややかに黒く濡らしていく。 引きこもり? 誰が。 16の夜に現金一括払いで購入したハーレーに跨り高速を一周して家に帰ってきた政宗が、よもやまさかの宗旨替えである。天変地異でも起こるんではなかろうか。 「何があったのさ…?! 失恋? 燃え尽き症候群? ニート? 痔?!」 「うーん最初はともかく最後は一体どう突っ込めばいいのかね」 「そりゃもちろん、」 「はいそこまででやめようねー。かわいい顔して妙なこと口走るんじゃないよ」 第一痔になるならイチミヤの旦那じゃないの? 佐助はその言葉を笑顔の裏で飲みこんだ。こういうネタでカイリをつつくのは危ない、取り返しのつかない誤射事件が起きそうだから。 (独眼竜の旦那といる時はちゃんと猫なのにねえ)彼以外との組み合わせにおいてカイリは大体隠れ女王だ。恐ろしい。 佐助は缶コーヒーを拾ってやる。中身は半分以上失われてしまっていたが、普段なら「3秒ルール!」とか言って落としたお菓子を拾い食いするカイリは持ち前のいじきたなさも見せずに話の続きを聞きたがった。 「で、どうして空から死体が降るの?!」 「死体じゃなくて槍だって。発想が怖いよイチミヤの旦那……。やー俺様も聞いた話だから詳しくは知らないんだけど」 日差しがぽかぽかと温かかった。暴走小僧の落書きだらけの壁は冬を抜けた太陽を存分に受け、もたれかかった佐助の背中を温めてくれる。 「この前旦那のお菓子と夕飯とトイレットペーパーを買いに行ったらね、」佐助は相変わらず苦労しているようだ。 「竜の右目がやたらたくさん食材買っててさぁ、カゴ3つ分」 「それって特売日だろ? コジューローがドサ買いするのはいつものことじゃん」 「でも、特売日には大体竜の旦那もいるでしょ? あの人あれで料理好きだからね、下手の横好きのくせに」 「創作料理はちょっとアレだけど、レシピ通りに作ればマサムネは上手いよ。こないだまたカンノーリとズコットもらった」 両方イタリアのお菓子である。ノロケかよ、と佐助は思う。これで本人たちはくっつくどころか自覚さえまだなのだから始末に負えない。 「まあまあ、固いこと言わないで。でもその日、竜の旦那はいなかったんだ。片倉の旦那に聞いても沈痛な顔で首振るだけでさあ。ありゃ、絶対何かあるね」 「ふーん」 相槌をうちつつ、カイリは既に心ここにあらずといった状態だ。表情は全くいつも通りだが、内心心配でたまらないに違いない。 (ま、本人は心配してるってことにも気付いてないんだろうけどね) やれやれである。 ここで「竜の旦那がそんなに心配?」とでも言ってやれば奴は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしたあと盛大に茹であがって勢いよく舌を回すだろう。それはそれで面白そうだが、もし「心配なんかしてないさ! マサムネの世話はコジューローが焼くだろうし、病気じゃないならミマイに行く必要も無い!」なんて言われてしまったら悲劇が起こる。 (頼むから見舞いに行ってやってくれよ〜……!) 佐助は切実に切実に、適当な神に祈った。お願いします日輪よー、イチミヤの旦那を見舞いに行かせてナンマイダー。 「ん。教えてくれてGrazie サスケ。俺ちょっと行ってみる」 「ホントに?!」 「Si(うん)、こないだのお菓子の礼もあるし」 いよっしゃあああああ! 内心万歳三唱の佐助である。 「そっかー。じゃあ、竜の旦那によろしくね」 「Ho capito! Ciao―!(わかった! じゃあねー!)」 イタリア語になってしまっているのも気付かず、カイリは思い立ったが吉日とばかりに走りだした。 (あーよかった。これで俺様も引きこもりにならずにすんだよ) カイリと同じ武田荘に住む佐助のもとには、昼夜を問わず暇を持て余した政宗から嫌がらせのごとくメールの嵐が届いていたのである。 携帯は電源を切って充電機に差しっぱなし。 パソコンのメールボックスはパンク寸前。 ここまでくると悪質なクラッカーだ。 しかもその内容というのが実に下らない。カイリは元気か今日はどんな天気だちゃんと飯食ってる? 「ったく、引きこもりなら大人しくゲームとお友達になってなさいってな!」 メール恐怖症と今日限りでおさらばできた佐助は、気持ち良く寝不足の体で伸びをする。 早く家に帰って、ゲームでもして寝たかった。 ……………次の引きこもりは、ひょっとしたら佐助かもしれない。 「春先メランコリィ・2」 政宗とカイリ やたら高級そうなマンションのエントランスで政宗宅のインターホンを鳴らしたら、ものすごい鼻声が返ってきた。 『……カイリふぁ』 「うっわー俺ふぁなんて言うマサムネ初めて聞いちゃったよ……! ちょ、Stai bene?! (お前大丈夫なの?!)」 『……ほれにわかりゅ言葉ではなへ』(俺にわかる言葉で話せ) 「ぶっ、ちょ、マジで大丈夫かよ?!」 ほれってなんだ。りゅって。 幼児言葉もいいところな政宗におかしさを通り越して本気で心配になる。風邪? 失恋大泣き後? まさかまさかまさかの幼児化?! 「マサムネ、俺でよかったら力になるよ……!」 『いひゃお前じゃ無理らって』 「でも何でもするからさ! 家事も話し相手もこなすぜ、頼むから何かさせてくれよ……!」 カイリの頭の中で政宗はそりゃもうすんごいことになっている。 明日の命も知れない友人に、できること全てをしてあげたいと考えるカイリの心がけを責める者はいないはずだ。 「俺、俺役に立つからさあ…、お願いだから……」 『カイリ……』 インターホンの向こうで政宗は感激しきりである。あのちゃらんぽらんを絵に描いたようなカイリが自分の心配を…! 思わず涙ぐむ彼にも多分罪はない。 今生の別れになるかもしれないと思っているので、カイリは泣きそうになりながらインターホンにしがみつく。 エントランスを通り抜ける人々は一体何事だと思いっきり彼を避けて足早に過ぎた。しかし刺さる視線もなんのその、カイリは突然の永訣を嘆くことで忙しい。 『……ロック解除しら。かほん(Come on)』 「マサムネ……!」 インターホン越しのドラマは、どうやら政宗の部屋で続くらしい。 以前遊びに来た時からそんなに時間は経ってないのに、随分と久方ぶりに感じる玄関扉を見つめる。 この部屋のベッドで政宗は寂しく最期の時を待っているのだろうか。 どうして知らせてくれなかったんだ、とカイリは眼尻に溜まった涙を拭う。心臓が引き絞られるように痛かった。こんなことならもっと一緒にいればよかった。こんな早々と終わってしまうなら。 せめて最後の最期まで一緒にいようと決意する。笑顔で送ってあげたくて、崩れ落ちそうな心で必死に笑う。 ―――カイリの中で、政宗はすでに危篤である。 「あー、うぇるはむ」 「っ……!」 いつもの流暢さを失った歓迎にカイリはぱっと顔を上げる。その目に涙が浮いていて政宗は盛大に焦った。 口をぱくぱく開閉する彼は思ったより元気そうだった。カイリは安堵して、嬉しくて、考えるより先に政宗に抱きついた。 「うわあああああん、マサムネマサムネマサムネェェェ!」 「えちょををををををを?!」 ここで抱きしめでもすればタラシだが、そんなことができればキングオブヘタレの王冠が彼の頭上に輝くことはない。 顔を真っ赤にして、カイリの肩を抱けそうで抱けずにわきわき無意味に手を動かす政宗は、怪しいといったらなかった。 自分の胸に顔を埋めて大泣きするカイリが天使に見える辺り、別の意味で末期かもしれない。 「ほ、ほひ、はっとはふん?(お、おい、What happened?:何があった?)」 「佐助に聞いたんだ、マサムネが危ないってさあ!」 「猿……」 何か知らんがGJ。 犯罪紛いの行為を繰り返していた政宗は、思わぬ計らいに親指を立てる。今度マックでもおごってやろう。 「で、でも元気そうでよかった……」 「うあー、ほれなんらが(それなんだが)」 「え?! やっぱりどっか悪いの?!」 「いや……ほりあえず、あがってふれ(あがってくれ)」 部屋に招きいれ、扉を念入りに閉める。 先にリビングへ踏み込んだカイリは、意外なほど澄んだ空気に首を傾げた。病気の気配はかけらもない。 しかしテーブルの上に散乱しているのは紛れもない処方箋やら錠剤やらマスクやらで、ごみ箱にはティッシュの山が築かれている。 「ええっと……病気じゃないのか?」 「いちほう病気らな。花粉症ら」 ずびびびびーっと政宗は鼻をかんだ。ぐすっと鳴った鼻頭は、泣き止んだカイリのそれより赤い。 一応薬も飲んではいるのだが、以前母親手製のホウ酸団子を間違って食べてしまった時から薬効はあまり期待できなくなった。ちなみに政宗の母親は凝り性で、「より効果的なホウ酸団子を」と研究した結果美味しそうな餃子に特製の薬を練り込んだ。彼女はまさか息子が泡を吹くとは夢にも思わなかっただろう。 そういうわけで、政宗は薬、ティッシュ、空気洗浄機の三段重ねで部屋に引きこもっていたのである。 「それで買い物とかはコジューローがしてたのか…」 「いへす。らが、あひたはらいがくにいかなひゃならねへからな(だが、明日は大学に行かなきゃならねえからな)」 「じゃあ、どうすんの?」 「ほうやって」 政宗はマスクを二枚重ね、ゴーグルタイプのサングラスをかけた。まるでどこぞの銀行強盗である。 「はーへくとらろ」得意そうな顔をしているがお前それやめとけ絶対職務質問されるから。 「あ゛−もう、なんか一気に力抜けた」 カイリはぼすりとソファに座りこむ。スプリングが利いたそれは皮張りだ。くそ、ぼんぼんめ。 「心配して損した」 「あんらと?」 「だって、俺本当にマサムネ死んじゃうんじゃないかって思ったんだもん」 生きた心地がしなかった。そう呟かれて、お茶の用意をしていた政宗は不覚にもヤカンをひっくりかえした。 「わ、マサムネ大丈夫?!」大丈夫だから近寄るな今顔赤いから! (ちょ、嘘だろ俺たかがカイリごときの心配が嬉しいなんてそんなこと、) 「あってたまりゅかあああああああ!!」 「ぎゃああ、まままマサムネやっぱり大丈夫じゃねーよ救急車ァァァア!!」 |
順番ぐちゃぐちゃになってすみません 今読むと埋まってしまいたいのが幾つも……!! 080608 J |