「食欲の秋」 千寿坊、弥三郎


 山は装い、目に美しい季節がやってきた。
 高く澄んだ空に紅葉の赤が映え、下生えの草に積もった枯葉さえ黄金色に彩られて見える。
 かさりと踏んだ足元に小さな木の実が落ちていた。愛らしいその形に思わず笑顔がこぼれてしまう。

 「千寿坊ぉ! 見て見て、こんなにキノコが採れたよ!」
 「弥三郎はキノコ見つけるのが上手いなぁ」

 ぱっと顔を輝かせ、着物の前に獲物を集めて走り寄ってきた子供に更に顔の筋肉を崩壊させて、千寿坊はどれどれと成果を覗きこむ。季節は秋、元気な子供には食欲のと冠するのが相応しい。
 お城育ちの姫若子とはいえこうやって楽しんでくれるのは嬉しいなあ、自分で採ったキノコは後で食べさせてやろうと考えながら食用か否かを判断しようとして、千寿坊は笑顔を盛大にひきつらせた。

 「っおま、ちょ、待て誰を毒殺する気だ!? 捨てなさい、そんなもの持ってちゃいけません!」

 お約束と言うべきか、弥三郎が抱えていたのは全てが全て猛毒キノコばかりであった。
 ベニテングタケのように、明らかに奇抜すぎる色彩が目に痛い。赤、黄、紫、むしろどうして弥三郎がこれを食用と認識したのかその辺膝詰めで問い詰めたい。殿様教育もいいがもっと生きる知恵を身につけなさい!

 「どうして…? これテングタケでしょう?」
 「わかっとるなら何故採った!?」
 「だ、だって……千寿坊に、って」

 まさかの毒殺フラグ!?
 弥三郎の眦に滲んだ涙に、千寿坊は二重の意味で眩暈を覚える。
 名前までわかってるなら何故採った。毒キノコと知った上でおれに盛る気か。
 憎まれることをした覚えはないはずだが、と高速で記憶を巻き戻す千寿坊に、涙をこらえながら弥三郎は言い募る。

 「千寿坊はぁっ、……天狗だから、食べるのかなって……」
 「弥三郎……」

 だがそれは誤解というものだ。
 感動しつつも教育の必要性を痛感する千寿坊である。妖怪というだけで無邪気に毒を食わされてはたまらない。

 「ありがたいけど、流石に毒キノコは食えないんだ。別のものを探そう、弥三郎は何が好きだ?」
 「……僕、栗ごはんが好き」
 「栗か。良いな、それを探そう」

 たんと見つけて一緒に栗ごはんを作ろうなと言うと、涙の粒を霧散させて弥三郎は大きく頷く。
 期待に膨らんだ頬に笑いかけつつ、さりげなくキノコを捨てさせ土のついた手を取った。二度と目を離してなるものか。
 きょろきょろと周囲を見回して栗の木を見つけた千寿坊は、弥三郎の手を引いてその大木の下まで来た。
 辺りにはごろごろと狐色のいがが転がっており、つやつやと陽光を弾く実が零れおちている。弥三郎が歓声をあげた。

 「すごい、千寿坊すごいよっ! 栗がいっぱい落ちてる!」
 「そうだな。さあ弥三郎、一杯集めるぞ」
 「うん!」

 弥三郎は勢いよく地面に突進すると、丸丸と太った実を夢中で拾い始めた。目がきらきらと輝いている。
 しばらくの間それを微笑ましく眺めていたが、やがて千寿坊も「どっこいせ」という掛け声と共に栗を拾い始めた。これが今宵の晩飯である。
 次第に栗拾いに夢中になっていった千寿坊は、迂闊にも弥三郎から目を離してしまった。
 それに気付いたのは、弥三郎の甲高い歓声が鹿の声のように響いた時である。
 やけに遠くから聞こえたその声に首を巡らせると、「千寿坊ぉー!」なんですかそのふわふわもこもこした可愛らしい、

 「ウリボー!」
 「ぎゃあああああっ、やっぱりぃぃ!?」

 満面の笑みで走り寄ってきた弥三郎の手に抱えられていたのは、生後間もないであろうぬいぐるみ的な野生動物だった。
 もごもご動きつつもちまっとした見てくれで、頬を紅潮させた弥三郎とのコラボはそりゃもう可愛い。奇跡的な可愛さだ。
 しかし、千寿坊は一気に血の気が失せた。
 可愛いけども、可愛いけども、弥三郎が抱いているのはウリボーだ。ウリボーすなわちイノシシの赤ん坊。リボリボ鳴く某ぬいぐるみ生物ならまだしも、野生のウリボーがいるなら近くに親が、野生のイノシシがいるわけで。しかも産後で気の立っている母イノシシがいるわけで。
 ヤバイ。いくら可愛くてもこれはヤバイ。
 怒り狂った母イノシシとタイマン決める度胸はない千寿坊は、蒼白になって弥三郎を怒鳴りつけた。

 「は、離してやれ! もといた場所に戻してらっしゃい!」

 途端に弥三郎の眉が垂れた。
 ふわふわウリボーをぎゅっと抱き、泣きだす一歩手前である。「いやっ! この子飼う!」や、やめてくれそれだけは!

 「駄目だ弥三郎、そいつは家族のもとに返してやれ」
 (頼むから早く離してくれ母イノシシが来ないうちに!)
 「やだ! 僕が面倒見るもん…っ」
 「だ・め・だ! 朝顔すら枯らしたのは誰だ?」
 (離せほら離せさあ離せ、)
 「………ッ!」
 「そ、そんな顔しても駄目だからなっ」
 (うわああな泣くな弥三郎ぉ…! おれだってこんなこと言いたくは「ブヒー」

 思考の全てが停止した。
 山を駆け耳に届いた不穏な声に恐る恐る振り向くと、そこには眼を怒らせた母イノシシ様が四足を踏ん張って位置についてよーい、

 「ッ、弥三郎!」

 咄嗟に弥三郎を栗の太い枝に上げ、その腕の中からウリボーを奪い去る。弥三郎は小さく悲鳴をあげたものの、彼の声を塗りつぶさんばかりにイノシシがスタートの雄叫びをあげた。

 「ブキキィィィ!!」
 「ギャ―――ッ!!」

 ウリボーを地に放ったが時既に遅く、イノシシは凄まじい速度で千寿坊に特攻をかけた。
 たくましい足が地を蹴り、逃げる千寿坊を蹄にかける。倒れた背中を容赦なく踏み潰し、千寿坊は再び悲痛な悲鳴を上げた。悲鳴がやまびこになって返ってくる、ぎゃー、ぎゃー、ぎゃー。

 かなり悲惨なエコーが尾を震わせて消える頃、弥三郎は恐る恐るイノシシの去った地面に降り立った。
 念入りに踏みしだかれた千寿坊はぴくりともしない。
 その辺に落ちていた枝でつつくと、僅かながら指先が動いた。つんつん、ぴく。つんつんつん、ぴくぴく。つんつんつんつんつん、ぴくぴくぴく「いってぇぇぇぇ!」

 絶叫と共に飛び起きた千寿坊の体のあちこちに、栗のいがが突き刺さっていた。
 まるで生け花のようである。ギタラクルもどきはあまりの痛みにのたうち、そのたびにぽろぽろと栗がこぼれた。栗ごはんには十分な量が集まりそうな気配だった。


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 狩人は試験編までが好きです





 「人恋し」 現代政宗とカイリ


 音もなく雨が降っている。
 ほんの少し前、夕立ちの猛々しさや蛙の嬉しげな声を聞いたはずなのに、今灰色の空を埋める水滴はひどく寂々としていた。
 ひんやりとした空気に季節の閉じていく気配を感じながら、散らかったソファの上で毛布に丸まったカイリはつけっぱなしだったテレビのボリュームを上げる。静かなのは嫌いだ。まるで何かを、それはきっととても寂しくて救いようもないことがらを、思い知らされるような気がする。

 「ほんとなら、今日はイベントのはずだったのに…」

 芸術の秋と銘打って、野外イベントが行われるはずだった。けれども女心と秋の空、天気は頑なに雨マークを打ちだして、結局イベントはお流れになってしまった。
 あとには手持ち無沙汰のカイリが残された次第である。
 もう寝ちゃおうかなぁ、ぽてっとソファに横たわり、カイリは訪れもしない睡魔を無理矢理たらしこもうとする。

 瞼の裏にテレビの明滅を感じつつ、本格的に寝に入ろうとしたそのとき、備えつけの機械的なチャイムがこのときばかりは愛想良く鳴った。

 「……ッ、はい!」

 ぱっと飛び起きて確認すると、おなじみ隣室の伊達政宗である。
 この際訪問客なら誰でも嬉しいカイリはもどかしく鍵をあけ、しかしチェーンを外し忘れて頭を打った。

 「づぁっ」
 「Oh!? ……A, are you ok?」
 「No……」

 ぐすっと鼻を鳴らしつつ今度こそドアを開けると、心配と呆れを絶妙にブレンドした政宗がじっと額を見つめている。コブになっているのだろうか、患部に手をやると鋭い痛みが主張してきて思わず顔をしかめた。

 「Don’t touch it! あーあー、こりゃ腫れるぞ」
 「くそ……お前のせいだばっきゃろ―」
 「Ah? オイタを言うのはこの口か?」
 「いひゃいいひゃい! やへろ怪我増やふんひゃねへよ」
 「この俺が力加減間違えるとでも思ってんのか?」

 至極楽しそうにぎぅーと頬を引っ張りながら、政宗は湿布の有無を尋ねた。
 仕事柄打ち身の類には慣れっこなカイリは当然siと返し、救急箱を取りに行く。鏡を見ながらぺたりと貼ると、なんとも間抜けな子供が出来上がった。

 「風邪でもねぇのに冷えぴた貼ってるみてぇだ…」
 「Ha, よく似合ってるぜ?」

 茶かす政宗の脛を無言で蹴りあげる。「Oh!?」なんて悲鳴があがり、カイリは満足げに鼻を鳴らした。人をからかっちゃいけないんだぜ!

 「それで、何の用?」
 「Go to hell…!」
 「それが用かこの野郎」
 「ま、待て! 違う!」

 その辺に転がっていた練習用のジャグナイフだのロープだのをカイリが手に取ったので、政宗は疑惑を高速で否定した。危険回避は生命活動の基本である。
 政宗は「あー、その」と何やら妙にかしこまり、

 「その、秋だろ?」
 「ん、秋だね」
 「イモとか、カボチャとか、小十郎の畑も豊作だったみたいで」
 「知ってるよ、俺いっぱいお裾分け貰ったもん」

 この時点で政宗は察しろよと思った。普段の勘の良さはどこへ行ったお前。
 この時点でカイリはあれカボチャって夏野菜じゃなかったっけと思った。ついでにもじもじしてる政宗って気持ち悪いなあとか考えていた。

 もじもじ政宗は覚悟を決めるように数回深呼吸を繰り返し、むせた。

 「ぱんぷ、げっほぐほ!」
 「ちょ、おいマサムネ大丈夫か!?」

 ぜーはー息を整える政宗の背を撫でつつ、カイリはぱんつってなんだろうと頭をひねる。パンツと野菜に一体何の関係がある。聞き間違えとは常に喜劇と悲劇を生むものだ。

 「っは、はー…」
 「落ち着けー。ねえ、それでパンツがどうしたんだよ」
 「は!?」
 「野菜畑にパンツでも落としたの?」
 「違ぇ! んなことしてみろ殺されるぞ!? 俺が言いたかったのは、パンプキンパイだ! 焼いたから食うかって、誘い、に……」

 言っちゃった。
 覚悟もすっとび、勢いだけで誘いきった政宗はぽかんとしたカイリに勢いをなくしてしょんぼり尻切れトンボになった。
 だが言葉はもう取り消せない。大の男が発した言葉は四頭馬車より速いのだ。
 政宗は今更おたおたし始めたが、対してカイリは嬉しそうに頷いた。

 「マジで!? 行く、食う! なあお前が焼いたの!?」
 「Y, yes…」
 「ワォ! じゃあ期待してこっと」
 「Ha, クセになるなよ?」

 湿布の貼られた額に触れないようにカイリの頭を軽く叩いて、二人は雑然とした薄暗い部屋に背を向けた。


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 微妙に通じ合ってない二人。政宗先行?





 「甘い毒」 戦国佐助とカイリ


 あまいあまい匂いに釣られるのは主ばかりだと思っていた。
 意識すれば拡散してしまうのに、地面に散ったそのオレンジの花のごとく空気中に撒かれた匂いは、季節の移り変わりを儚さとはうってかわった雄弁さでもって佐助に伝えた。
 うっすらと引き伸ばされた香は大気を秋色に染め、そろそろ旦那のために栗でもとってこようかと頭の端に忍としては確実に間違った思考を芽生えさせる。いやそれとも芋を買ってきた方がいいか。焼き芋をするから庭を掃いてくれといえば、幸村は喜んで佐助の手伝いをするだろう。

 (イチミヤの旦那も、箒ふりまわすかもね)

 どっちが多くの落ち葉を掃き集めるか幸村と競争でもしそうだ。その情景が目に浮かんで、佐助は思わずくすりと笑う。僅かな呼吸と共に甘い匂いが肺を満たした。
 そのとき、ふと何か動くものが佐助の視界の端に映った。
 条件反射的にそちらを振りむけば、動いたものは見慣れた己の烏だった。ひょん、ひょんと落ち葉を踏んで、愛らしい小花を陽に輝かせている金木犀の木蔭に入る。
 なんだ、脅かすなよと思っていると、木の向こうからゆる、と手が伸びてきて、佐助以外には気を許さぬはずの烏の小さな背を撫でた。

 (嘘だろぉ?)

 まるで木から生えたように細いその手を振り払うでもなく、烏はカァ、と一声鳴く。赤い目がきょるりとこちらを見た。
 思わず一歩を躊躇した佐助に烏がもう一度カァと鳴くと、「佐助?」ああやっぱりお前だったか。
 嘆息して近寄ると、金木犀の木蔭、膝を抱えたカイリが動物じみた仕草で見上げてくる。

 「何やってんの、イチミヤの旦那」
 「んー、何かしてると思う?」
 「思わないなぁ」

 ふふ、とカイリは膝の上で笑った。白い膝だ。まるで女のように細い脚だが、うっすらと巻いた肉の下に活発に動くための筋肉が見てとれる。
 軽い動作で立ち上がったカイリは髪に金木犀の小花を絡ませていた。

 「いい匂いだね」
 「そうだね。俺、この匂い好きだな」

 カイリが動くたびに甘い香りが揺れる。金木犀の香り。
 小花を踏んで木蔭を動き回る烏を見ながら、あまり長居したら匂いが移ってしまうかもしれないと佐助はぼんやり考える。
 同じ光景を見ながら、カイリはぽつりと、零した。

 「まるで、死体が埋まってるみたいだ」
 「―――っは、」

 何だと? 死体?
 金木犀の何をもってそんな不吉な感想を抱いたものか、思わず眉をしかめた佐助にカイリは懐かしく笑って見せる。過去を懐かしむ笑顔。秋の陽を浴びて、それはそれは綺麗だった。

 りりぃ。どこかで虫が鳴いていた。
 さくり。烏が甘い空気をかき混ぜた。

 「死体はね、甘い匂いがするんだよ」

 その瞳に宿るのはいとおしさだけで、昔を懐かしむその光に悲しみはどこにもなく、ただ美しいばかりで。
 カイリは花を踏む烏に顔を向けると、そうだよねえと同意を求める。
 答えるように烏が鳴いた一声は、やっぱり甘い空気の中に溶けていった。


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 気をつけなさいそこには甘い毒がある目も眩むような甘やかな、





 「芸術の秋」 松永と果心居士


 遠く奥山に鹿の鳴く声が聞こえる。
 それは透明に晴れた秋空に吸い込まれるようにして、残響を耳に残しながら消えていった。

 「―――ああ、好い」

 畏怖と共に梟雄と呼ばれる男は、まるでその血生臭い呼び名が嘘のような隠者じみた歓びに胸を震わせる。
 猛禽類を思わせる鋭い眼差しを瞼の裏に閉じ込めて、紅葉を踏み分ける彼は風流人と呼ぶにふさわしい。元々整った容姿も相まって、一幅の画にでもすれば一攫千金が狙えるかもしれない。狙った瞬間阿鼻叫喚の地獄の門が開くであろうが。

 さわさわと、色づいた葉を渡る風の音がする。久秀は思う存分その匂いを味わった。
 さらさらと、清流の流れる音がする。その水面に映る極彩色と煌めく陽光を思い、久秀は深く深くため息をついた。

 けーん。近く、鹿の鳴く声がした。

 おや、鹿は警戒心が強いはずだがと不思議に思いつつ久秀はすうっと目を開ける。葉の隙間に高い秋空。
 味わい深いくねった枝の姿を褒めながら見まわした先に、小鹿に乗ったアルテミスがいた。

 「けっ…けっ……」
 「む? ひーちゃんも鳴くのかね? いやあ侮れんなあコノコノ。その歳で現役とはひーちゃんもやるのう」
 「………ッ!」

 いかん。反応したらこちらの負けだ。
 久秀は年の功で培った自制心を総動員して叫びだしたい衝動を飲み下す。この辺がそこらの若輩者たちとの歴然たる差であり、楽斎に絡まれる理由でもあるのだが悲しいかな彼はそれに気付いていない。
 薄衣をするりと纏い、年甲斐もなく美脚をかなり際どいラインまでさらした楽斎は、愛らしい小鹿の背に揺られて久秀の隣に並ぶ。久秀は即座に移動した。しかし化けもの染みた脚力で楽斎on小鹿は成長しきってない癖に久秀の隣にぴたりと並ぶ。

 「……卿は、一体何がしたいのだね」
 「ワシが言わずとも、ひーちゃんならばわかるだろう」
 「わかりたくもないが」
 「ふむ、いけずな男よの。娘に嫌われるぞ?」
 「生憎だが、程度の低い女は願い下げでね」

 例えばはしたなく脚を出しているような。久秀はせいぜい厭味ったらしく言ってやる。もっとも対象は女ではないのだが。
 楽斎は見ているこちらが寒くなるような格好だ。二の腕も太もももこれでもかと露出させている。どこか異国情緒漂う姿ではあったがいかんせん季節感はゼロ。更に言うなら、その格好で町中へ行けば悪い意味で注目の的なのは必至だろうし、頭の具合も心配されるかもしれない。
 それでも久秀が上着を貸してやろうとしないのは、相手が楽斎だからである。
 こいつ相手に常識は通じない。今だって、「上着くらい貸そうと思わんのか」とも言い出さない。言う必要がないからだ。
 どうやってかは知りたくもないが、彼にとってひんやりした外気は問題にならない範囲らしい。楽歳のことだから、全裸で真冬の東北地方に放り出しても平然としているのではないかと、久秀は半ば本気で考えている。

 「良きかな良きかな。男は高嶺を狙うてこそぞ」
 「そういう卿はどうなのだ。ああ失礼、浮世に染まろうにも卿は最早取り返しのつかないものに染まっているのだったね」
 「うむ、ひーちゃん色に染まっているぞ」
 「………」

 それは全力で遠慮したい。
 本気で嫌そうな表情を浮かべた久秀をにやにや観察してから、楽斎はからからと笑った。

 「残念ながらワシは惚れた腫れたより、今は腹が減ってなあ。狩にきたのだ」
 「………その格好でかね」
 「異国の狩猟神だ。なかなかそそるじゃろう」
 「謹んで遠慮させていただこう」

 というか、楽斎は弓矢さえ持っていないのだが。
 ああもうその辺はやっぱり楽斎だからいいのだろうか、と狩猟用にしては非常識極まるコスプレ野郎を放置したくなった久秀だ。

 「狩でもなんでも、好きにするがよかろう」

 卿に秋の情緒がわかるとは思っておらんよと言えば、楽斎はおやと首を傾げた。
 そりゃあ斬った張ったを繰り返している戦国大名が情緒などとは偽善もいいところだが、久秀はその道で鳴らした風流人である。これだけの付き合いでまさか知らないわけでもなかろうに、楽斎は秋を愛でる久秀を心底不思議そうな眼で眺める。

 「秋の情緒、とな?」
 「卿にわかるとは期待しておらんよ」
 「会話を切るでないわ。ひーちゃんは何を持って秋の情緒というのだね」
 「ふむ…そうだな、例えば…」

 タイミングよく、どこかで鹿が三度けーんと鳴いた。

 「あのように、」

 久秀はどこかうっとりと陶酔した目を漂わせる。

 「伴侶を恋う鹿の声などはよいものだ。人間などより獣の方が、よほど本能に忠実で美しい」
 「ふむ…つまり、秋は恋の季節だと」
 「話を聞いていたかね? どこぞの風来坊が囀りそうな言葉で括らないでもらいたいものだ」
 「そうかの……ともかく、ひーちゃんはアレが聞きたくてわざわざ山歩きなんぞ年寄りの冷や水を買って出たわけか」
 「卿には言われたくないものだ」

 高々と組まれた生足に久秀がジト目を向ける。
 彼に比べれば己などまだまだ年相応であろう。
 冷や水を通り越して氷水を浴びながらも平然としている楽斎は、やがてニヤリと邪悪に笑った。久秀は思わず一歩引く。
 自尊心を総動員してそれ以上の後退、むしろ逃亡は阻止したが冷や汗が滲むのは止められない。
 眼をキラリと輝かせ、アルテミス楽斎は鹿の上に仁王立ちした。

 「ならばひーちゃんのその願い、叶えてやろうではないか!」
 「余計なことはするな!」
 「遠慮するな、ワシとひーちゃんの仲じゃ!」

 そーれ、久秀の制止も虚しく楽斎は小鹿の背で一回転した。薄衣の裾がスレスレまで捲れあがる。
 久秀の脳内で、逃げようか留まろうか本能と意地が壮絶なガチンコ瞬間バトルを始めた。しかし大抵において、いくら彼の決断力が蓄えられようとも、いくら一瞬の判断を下そうとも、楽斎が何かしたならもう遅いのだ。どんな迅速な行動を取ろうと既に手遅れなのである。

 けーん、遠くで鹿の声が聞こえた。
 けーん、どこかで鹿の声が聞こえた。
 けーん、近くで鹿の声が聞こえた。
 けーん、背後で鹿の声が聞こえた。

 「………」

 どうしたことだ。せせらぎが聞こえない。聞こえるのは鹿の鳴き交わす声と鼻息と地を揺るがすヒズメの音。
 どうしたことだ。秋山の匂いがわからない。漂ってくるのはむっとするような獣臭い、

 「………ッ!」

 ごりり。体中にこすりつけられた濡れた鼻先に、久秀は己の状況を理解した。
 現実逃避を決め込んでいた視線を引きずり戻せば、そこにいるのは鹿、鹿、鹿。つやつや輝く無数の大きな瞳が怯える久秀を大映しに映し、ハァハァと獣臭い息を吐いている。
 耳元で上がった鳴き声は情緒もへったくれもない雄叫びだった。

 地面を埋め尽くさんばかりの鹿の山に包囲され、再び現実逃避を始めたそうな久秀に悪魔の如き追い打ちがかかる。
 いわずもがな、安全地帯でにやにや笑っている楽斎である。

 「ひーちゃん、その鹿全部オスだぞう」
 「………なにを!?」
 「頑張れぇ、高嶺の花殿ぉー」
 「楽斎貴様ァァァ!」

 名状しがたい鳴き声の海に囲まれて、久秀の悲鳴は高い高い秋空に余韻を響かせて消えていった。


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 松永と楽斎はどうしてこうも胡散臭くなるのかw





 「季節の変わり目」 現代政宗、カイリ、幸村、佐助


 起きた時からどうにもおかしいとは思っていたが、その違和感の正体を突き止めることはできなかった。
 だからじんわり重たい体を無理矢理起こし、まだまだ冬には遠いというのにやたら寒かったので厚着をして、喉がひりひりしたからポカリをガブ飲みしてから部屋を出た。
 最初の一歩を踏み出した時から世界がぐるぐる回り始める。
 やっぱおかしい、これは部屋に戻って大人しくしておいた方がいいかもしれない。
 だが今更部屋に戻るのは億劫で、何よりしんとしたあの部屋に籠って過ごす休日というのは是非とも遠慮したいものである。
 かといって雑踏の中に紛れこむ気にもなれず、カイリは唐突な孤独感に苛まれてしゃがみこんだ。
 駄目だしゃがみこんだりなんかしちゃ。殴られたら対処できない、蹴られたら転んでしまう、どうにか安全な場所を見つけなければならないのに心が分裂したみたいに言う事を聞かない。
 どうしよう、俺どうしちゃったんだろう、疑問と孤独感がぐちゃぐちゃと思考を食い荒らして、まともな考えなど浮かびもしなかった。

 「わ、イチミヤの旦那!?」
 「カイリ殿、いかがなされた!?」

 イツモフタリデを地で行く友人たちの驚いた声がつむじに降ってきたが、カイリは顔をあげる気力もわかず膝を抱えたままだった。
 心配そうな視線を向けられているのはわかる、幸村が何事か話しかけてくれているのだが、言葉は認識する前にぐわんぐわん鳴る鼓膜から逃げて行った。

 「ちょっとごめんよ。――うわ熱っ! 間違いなく風邪だね」
 「……ッ」

 突然ぐいっと顔を上げさせられ、ぴたりと額に手が添えられる。
 ぎょっとして手を押しのけ飛び退ったが、その僅かな動作でさえ目が回った。
 手負いの獣のようなカイリに幸村は心配そうな顔をして、佐助は呆れた顔をする。俺様たちにはいつまで経ってもそうなわけね、そんな状態でよくもまあ。
 いやむしろ風邪で本能が発露しているから余計に警戒するのかもしれないと考えなおしつつ、佐助は携帯のアドレスをいじる。
 目を潤ませ、真っ赤な顔で荒い息を吐きながらも最警戒モードに入ったカイリの相手を幸村に一任し、佐助は3コールの後に聞こえた不機嫌極まる声に手短に用件を告げた。

 「イチミヤの旦那が風邪ひいてえらいことになってんだけどさー」
 ゴッ!
 「ぎゃっ」

 佐助の繊細な鼓膜にはちょいとばかし挑発的な音が響き、バタバタバタバターンガチャリとオートロック防音構造のお高い玄関ドアが閉められる過程が聞こえた。「おーい竜の旦那ぁー?」呼んでみても声は虚しく機械に吸い込まれていくだけで、佐助はパタンと携帯を閉じる。
 どうやら携帯を落っことし、そのまま飛び出して行ったらしい。行動が早いのは大変よろしい二重丸だがもう少し周りの様子を見ましょうねと小学校の通知表みたいなことを考えつつ、佐助は手負いの獣と猪突猛進の子供の方を振り返る。

 「ほら、怖くない、怖くないでござる」
 「………ッ!」

 じりじり手を伸ばし、余計に警戒されている幸村がいた。
 蟲と青服少女のDVDを見せすぎたかもしれないと佐助は後悔に駆られた。情操教育に良いと思ったのに、知能指数を下げるとは。とんだ落とし穴である。

 「あーもー旦那、」

 仮にも人間相手に対キツネリス行動を選択した幸村を止めようとした時、大変聞き覚えのあるガラの悪い声が近所迷惑な声量で響き渡った。Hey you, don’t touch him!
 いくら近所とはいえマンション違うのに早すぎねと思った佐助の脇を走り抜け、政宗は幸村を押しのけてビーストカイリに詰め寄り、あからさまに具合の悪い彼に眉をひそめる。
 カイリは焦点の合わない視線を彷徨わせていたが、やがてふぅっと体が傾ぎ、咄嗟に差し出された政宗と幸村の腕の中に倒れ込んでしまった。
 やはり相当キていたのだろう。政宗は鋭く舌打ちをすると、幸村の手からカイリを完全に奪ってぐったりとしたその熱い体を抱え上げる。

 「Shit! 面倒ばかりかけやがる」

 その割には誰にも面倒見役を譲る気はないんだなお前とひっそり突っ込む佐助をよそに、「世話かけたな」と一言残し、政宗はすたすたと歩き去ってしまった。

 「佐助…カイリ殿は」
 「ああ、ただの風邪でしょー。竜の旦那がばっちり看病するだろうし、心配することないよ」
 「うむ……だが」

 幸村は沈痛な顔でのたまった。

 「政宗殿、ズボンを履いておられぬのだが……」
 「……急いでたんでしょうよ」

 人に見られないことを願うばかりである。


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 やっぱりというか春夏とテンションが違うorz


 カイリが鬱々してますな
 秋ってことで許して下さいorz
 090104 J