坊は釣りの腕がすこぶる悪い。あんまり釣れないものだから、一緒に釣りに行ったとき、弥三郎は針がちゃんと曲がっているか確認しろと何度も何度もせっついた。
 ぱっかぱっか釣っていた弥三郎とは逆に、松寿丸ははかばかしい釣果をあげていなかったが、それでも坊よりはマシで、横目に「太公望を気取っても似合わん」と言い放った。
 余談だがこの中では彼が一番必死である。何せ釣った魚は今晩の主菜になる予定で、見かけによらず食い意地の張った松寿丸は力の入れ方からして違う。
 ちなみに彼は坊によって魚が食べられるようになった。好き嫌い撲滅運動万歳。
 閑話休題。しかし釣果はともかく、坊は釣りをするのが嫌いではない。
 ぼけーっと川の輝きやら魚の影やらを見ていると、瞑想するより心が鎮まる。陰陽師は山で修行するべきだ絶対。いやそれは最早修験者か。
 竹竿をなんとはなしに持ちながら、夏山に呑まれていく感覚を、坊はいたく気に入っているのであった。





 魅魍魎と眼の子供




 谷川で馴染みの河童と物々交換で手に入れた川魚をびくに入れ、坊はぜーはー言いながら庵へ続く坂道を登る。坊は天狗のくせに飛ぶのが苦手だ。釣りも下手だから魚は胡瓜と交換する有様だ。おれのいいところってなんだっけ、といいこと探しを始めた坊は足元をみていなかった。
 あ、と思ったのが空中。

 「お゛お゛お゛お゛お゛ぎゃあああああっ」

 濡れたクマザサをうっかり踏みつけ、盛大に滑った坊は今来た坂道を転がり落ちた。盛大な土煙がまるで入道雲のようにあがる。あまり美しくない。
 巨石に激突して止まった坊は、陸に上がった魚のごとく痙攣をした。

 「し、死ぬ」
 「天狗だから平気だろ?」
 「頭割れたら流石に死ぬわ!」

 人種(?)差別的な信頼に断固抗議する。人間に比べて多少丈夫であっても所詮は生き物、生命維持の基本は健康な体だ。天狗が生き物か妖怪かに関しては議論の余地がある。
 涙目の坊は、クマザサを右手に持った子供をきっと睨みつける。睨まれた少年は子供らしからぬ涼しい顔だ。

 「もうお前には魚焼いてやらん、梵天丸」
 「かーむだうんかーむだうん」
 「何ぞそれは!?」
 「おちつけ、って意味らしいぜ」
 「普通にやまと言葉で話せ!」
 「こっちのがくーるだろ?」
 「何が来ると言うんじゃい!」

 梵天丸はけたけた笑って、坊に手を差し出した。十歳そこらの子供の手はつかまるには細すぎる。
 坊は独力で立ち上がると、無言で梵天丸の頭に拳骨を落とした。

 「ってー! 何すんだ!」
 「それはこっちの台詞じゃわい! 悪戯ならもっと危害が及ばんものをせい!」
 「危害が及ばなけりゃいいんだな」
 「っ、て、訂正! 遊ぶなら人で遊ばず健やかに遊べ!」

 言っている意味がわからない、そんな顔をした梵天丸の肩をぽんと叩いて、「子供の仕事は遊ぶこと」と付け加える。釣りでも虫取りでも合戦ごっこでも好きなことをするがいい、ただしクマザサの罠は二度とするな。結構本気の願いごとだ。
 坊は道端に転がっていたびくを拾い上げる。魚は坂道の方々で土塗れで跳ねていたり、狐にさらわれたりしている。これでは食えん、と坊は嘆いた。彼の好物は魚の塩焼きである。
 不意に、腰元に軽い衝撃。梵天丸が抱きついていた。隻眼がきらりと光る。

 「魚釣りなら、オレ得意だぜ」
 「嘘を言え。この間まで畑の水やりもできんかったくせに」
 「あれから小十郎を手伝ってるから、もう畑の手入れは完璧だ! じゃなくて、魚釣りならオレ城で一番だぜ!」
 「釣り大会でもしたのかえ」

 平和じゃのーと森に引きこもりの坊は和んだが、胸を逸らした梵天丸はとんでもないことを言った。

 「お師匠の池の鯉、全部捕まえた!」
 「何をしとるか罰あたりぃぃ!」

 お師匠とは梵天丸の師、虎哉禅師である。今よりもっと幼いころ、従弟たちと共に学んだ寺の庭で、梵天丸は悪業の限りを尽くしていたらしい。
 禅師様申し訳ない、と遠い目をした坊は、その直後虎哉禅師が行ったおしおきの凄まじさを知らない。
 それにしても、捕まえたと表現される漁法は釣りとは呼べない気がする。

 「一つ聞くが、竿を使ったことは?」
 「時宗丸に使った」

 使用用途が根本的に違う。
 坊は深刻な目眩を覚えた。早いとこ正しい釣りを教えとこう。そんでもって何か奇跡が起こって、梵天丸が瞑想してくれたら万々歳だ。

 「おれが教えてやる。梵天丸、釣りに行こう」
 「構わねえけど、ちょっと待て。小十郎から野菜もらってきたから、川で冷やそう」

 魚と一緒に食えばいい。そう言って庵まで走って行った梵天丸は、すぐにざる一杯の野菜を持ってきた。
 流石小十郎の畑産と言うべきか、玉蜀黍は青々とした皮に黄金色の豊かなヒゲを持ち、胡瓜は瑞々しい濃緑だ。若いのに中々やるな、と坊はようやく青年になろうとしている強面を思い出す。まさかあの面構えで畑とは、全く人は見かけによらない。にこにことざるに意識を戻す。茄子は見事に大きく、ざるの中で一際存在感を醸す赤は艶々と……

 「なっ、何だそれ!? 食い物か!?」
 「あぁ」
 「わーっ! 梵天丸、無暗に食うな! 毒があったらどうする!」
 「小十郎の畑だ、これ以上なく安全だろ?」

 かぶりついた梵天丸は、うまそうに赤い野菜の汁をすすり、あまつ坊に投げてよこした。

 「も食ってみろよ。とまととかいう、南蛮渡りの野菜だ。うまいぜ」
 「お、おれはやまとの野菜だけでじゅうぶ」
 「好き嫌いはもったいないお化けが来るんだろ?」

 うぅ、と躊躇する坊であったが、まさか普段子供たちに口を酸っぱくして食わず嫌いを直せと言っている自分が食べないわけにはいかない。
 坊は不安げに、日光にきらきらと輝く赤を見た。ひんやりずっしりと手に伝わる触感は、今まで知っていたどんな野菜とも違う。四方に跳ねる葉っぱの形なんかどことなく不気味だ。
 目敏く山桃を見つけた梵天丸が一生懸命背伸びして取ろうとするのを手伝ってやりながら、坊は覚悟を決める。
 ええい、ままよ。
 皮に立てた歯はあっさりと埋まり、瑞々しいうまみを舌に伝えた。坊はぱちくりと瞬きする。何だこれ、意外とうまい。

 「……河童に会ったら胡瓜の代わりに勧めてやるか」
 「感想がそれかよ!」
 「うまいもんは皆で食う主義だ」

 言って、坊は二口目をかぶりついた。トマトの果汁が頬に散る。「なあ?」と梵天丸を見返した瞳に、ざるのあいた部分を山桃で埋めた梵天丸は一瞬不意を打たれて、それからにやりと笑った。

 「おーけー、それじゃあこれからも色々持ってきてやるよ!」
 「……お前、ひょっとして餌付け感覚か……?」


 夏といえば水辺
 一年ぶりに天狗主書いたー
 090812 J