興味など無い顔をしているのにそわそわと落ち着きのない子供を前にして、坊は極限の選択を迫られていた。 無理だ。絶対無理だ。無謀にもほどがある。 しかし子供のきらきらとした瞳を真に受けて、坊の喉までせりあがった否定はそれ以上の上昇を拒否していた。 さて、どうやって言い聞かせたものか。 魑魅魍魎と意地っ張りな子供 しこたま百合根を掘って帰ってきたら、棲み処が畑になっていた。 いや違う、瑞々しい夏野菜ことオクラ様がちょこんと鎮座ましましていた。上から下まで目に優しい色の着物を着たオクラは、唖然とした坊にこう言った。われをさらうとはいい度胸だ。何か大きな誤解があると気付いたのは、小さな手が握った小刀を叩き落としてからだった。 「子供が物騒なもの持ち歩いちゃいけません、怪我したらどうするんだ!」 醤油で和えて食うぞと言ったのは言い過ぎだった。顔面に強烈な頭突きを食らった。 鼻面を押さえながら見下ろした子供は、尊大な顔をしながらも目に涙の膜を張っていて、ぷるぷる震えていたものだから、坊は怒るのも忘れて「なあ、」と声をかけた。 「お前、誰なんだ? どうやってここに来た?」 「われが知るものか」 「こら、こっち向きなさい。大丈夫、和えて食ったりなんかしない」 ぷいっと顔をそらした子供を引き寄せて、坊はちらりと彼の身なりを確認する。緑色の単衣、緑色の袴。いっそ見事な野菜色。肌は白くて、とても農民の子とは思えない。着物の卓越した肌ざわりと馴染んでいた小刀の存在から、格式高い武家の子息かと推測する。年の頃は弥三郎と同じくらいか。ただし女装趣味は無さそうだ。 「答えなさい。ここはおれ―――坊の棲み処で、勝手に上がりこんじゃいけないところだ。他人の家だからな。お前なら、礼儀くらいわかるだろう?」 「―――松寿丸」 どうして来たかなどわれが知りたい、と松寿丸は答えた。 窓の外を見たらしい。坊の棲み処は断崖絶壁に立っている。 「にちりんをもうでた帰り道、気付いたらここにいた」 「あー…」 うっかり結界に入ってしまったか。恐らく親が血眼になって捜している。坊は、松寿丸が海を隔てた中国の大名子息であることを知らない。 ここらへんの武家の子なら弥三郎に聞けばわかるかなあと思案していた坊は、ふと視線を感じて虚空に漂っていた視線を戻す。視線が音を立ててかちあった。その瞬間、松寿丸は物凄い勢いで視線をそらしてぶすくれた表情を作った。けれども気になるのか、むずむず体を動かしたりちらちら視線を送ったりしている。 あれおれ何か変なことしたかな、記憶を逆回転させる坊に「おぬし、」と声がかかる。 「あやかし、か?」 「ん? ああ、」 坊はばさりと背中の羽根を広げる。鷹のような色の大きな羽根だ。烏天狗と呼ばれる仲間たちと比べて、この色はとても珍しい。 だがそんなことなど人間からしたら大した差ではあるまい。意を受けて自由に動く翼に、松寿丸は釘付けになっていた。 「われを食うのか」 面食らった。 いや確かに食うと脅したけれど。 「食わんよ。おれは天狗だけど、人肉は願い下げだ」 だから安心しとけ、小さな頭を撫でてやれば松寿丸はぺたりとへたり込んだ。余程気を張っていたのか、手が小刻みに震えている。今更震えが来たらしい。 思わず吹き出せば、真っ赤になった松寿丸が坊の手をぺちぺち叩いた。 「こども扱いするな」 「子供が何を言う。大人しく子供扱いされておけ」 今だけだぞぅ、坊はにまにま笑いながら松寿丸を抱きあげた。急激な視点の変化に驚いた松寿丸がぴしりと動きを止める。それが可愛くて「たかいたかーい」とからかってやると、我に返った松寿丸は物凄い勢いで暴れた。しかし、殴られようが蹴られようが屁でもない。所詮は子供と大人、しかも坊は天狗である。常人の何倍もの力を、その細腕で発揮することができるのだ。 「はなせ!」 「放さいでかー! どうだ松寿丸、高いところは楽しいだろう」 「何を…!」 「子供は高いところが好きって相場は決まっとる。素直に楽しんどけ」 松寿丸は湯気のでそうなほど赤くなったが、ふと何かを思いついたらしく大人しくなった。 お、と思った瞬間、その言葉は来た。 「うむ、なるほどわれもこどもゆえ、高いところは楽しい。天狗、もっと高いところに行け。むしろ飛べ」 「え?! えーっとぉ、それはちょっと…」 「坊、きさまは天狗だろう。その翼はなんのためについている」 天狗のプライドにかけて飛べませんとは言えない。 ―――完全に、完膚なきまでに飛べないわけではないのだ。 ただちょっと滑空方向転換上昇その他が苦手なだけで。 例えば森の中を飛ぼうものなら、木にぶつからないように気を付けるのが精一杯で歩いた方が早い。 例えば棲み処まで飛ぼうものなら、反対側の崖に叩きつけられる有様だ。 自分一人の飛行にも難儀するのに、子供を抱えて飛ぶなど考えたくもない。 黙りこくった坊の手から降り、松寿丸はツンとしつつも言葉を重ねた。それが坊を更に追い詰めるとは知りもせず。 「わ、われをにちりんまで連れて行ってみよ。そうすれば、数々の無礼もゆるしてやろう」 本当は太陽まで行きたいだけなのだろう。太陽を拝むために天狗の棲み処まで迷い込んでくるような子供である。早寝早起きの老人よりも、太陽に対する思い入れはひとしおなのだろう。 しかしこれは大問題だ。太陽までの旅路だなんて、終わりのない旅路に等しい。しかも子供を連れてなど、上昇ではなく墜落するのがおちである。空への旅路が黄泉の旅路になってはたまらない、坊はなんとか誤魔化そうとした。 「連れて行って、くれるな…?」 ああ無理だ。きらきらきらめく瞳に負けた坊は、がっくり床に膝をつく。反則だ。どうして子供はああなんだ。 断らなければならない、しかし良心がちくちく痛む。負けるなおれ。命にはとても代えられない。みすみす松寿丸を死出の旅に出すわけにはいかない。命を大切にしない奴なんて大嫌いだ。 恥を忍んで白状すべきか、何か他に良い言い訳はないものか。 坊は、空腹を覚えた松寿丸が彼を見限り台所を漁り始めるまで、壮絶に悩み続けた。 |
オクラ様はがきんちょ時から意地っ張りの女王様 使えるものはなんでも使う 080826 J |