妙なものを拾った。 年齢も境遇も違う二人は、その日その瞬間、初対面にして奇しくも一字一句違わぬ第一印象を抱き合う。 それが、彼らの始まりだった。 魑魅魍魎と碧眼の子供 記憶が正しければ、大して多くもない自分の着物を収めていたのは古びた行李だったはずだ。四国が一山に巣食う天狗こと坊は己が棲み処に我が物顔で鎮座する桐箪笥に、手に持っていた川の幸をどさどさと落とした。鮎を刺した笹が丁度足の上に落ち、湿った魚の感触が坊の触覚を刺激する。もったいない。 「あ、お帰り。坊」 ぱあっと顔を輝かせて走り寄ってきたのは数日前に拾った子供だ。名を弥三郎と言うらしい。まだ十かそこらだろうに、立派な女装癖を持つ見た目だけはおしとやかなお子様だ。坊は柄にもなく彼の将来をひっそり心配したりしているのだが、今のところその思いが届いたためしはない。 妹系の笑顔で寄ってきた弥三郎に坊は辛うじて「ああ」と言う。十かそこらの弥三郎は昭和妻が夫の鞄を持つように坊の足の上の鮎を拾い、邪気のない笑顔でこう口走る。 「ご飯にする? おふろにする? それとも」 「や、やめなさい! 嫁入り前の娘が言っちゃいけませんそんなこと!」 「坊、僕男だよ」 自覚があるならその女装癖をなんとかしろ。坊は全力で嘆いた。 「大体なんでいるんだよお前。ここは危ないから来るなと言ったはずだぞ」 坊の棲み処は天狗にふさわしく深山渓谷の半ばにある。翼を持つものでなければ辿りつけないような絶壁の途中にへばりつくような格好だ。自分の家ながら住み心地はあまりよくない。窓辺は怖くて近寄れない。坊は高所恐怖症である。 そんなところでもなんとか棲んでいられるのは、出入りが怖くないように棲み処の森全体に張った結界のおかげだ。森の中にいくつか出入り口を設けているので、飛ばずに家まで帰れるのである。妖力の無駄遣いというなかれ。これほど効率的な利用は無いと、坊は考える。 ちなみに弥三郎の侵入経路は、この出入り口の一つである。断崖絶壁よりは安全とはいえ森の奥にかわりはないので、弥三郎の安全上使用はぜひとも控えていただきたい。いくら言っても聞かないが。便利も考えものである。 「だって、城よりここにいる方が楽しい」 拗ねたように言う子供は、この国では珍しい碧眼を伏せて俯いた。弥三郎の小さな手が可愛らしい柄の着物をきゅうっと掴む。その手が震えているのを見て、坊は怒る気が萎えていくのを自覚する。 弥三郎は、その珍しい容姿と大名の子には不釣り合いな気質から、城内では浮いた存在なのだそうだ。その事情を薄ぼんやりと知っているだけに、坊は強く出ることができない。 仕方がないな、と溜息一つ。白銀の髪に手を置いて、「今回だけだぞ」と不承不承の許可を出す。ちなみにいつものやりとりだ。『今回限り』を続けて、坊の棲み処に弥三郎の私物が増えていく。 それに気付かない間抜けな天狗の手の下で、小さな子供はニヤリと笑った。 「うん、ありがとう!」 「じゃあ、この魚塩焼きにでもするか。旨いぞ」 「わあい! ねえ坊、それ食べたら遊んでくれる?」 「ああ、構わんよ」 鮎を受け取り、台所に向かった坊は弥三郎の目が光ったのに気付かなかった。 彼の頭はいかに鮎を上手く調理するかで占められており、最初に彼の度肝を抜いた桐箪笥のこともさっぱり消え失せていたのである。ここで思い出していたら後の運命も違ったろうに。 「よーし、手は洗ったか? それじゃあせーの、」 「「いただきます」」 行儀よく挨拶をして焼いた鮎に食らいつく。香ばしい。やっぱり怖いのを我慢して塩を採ってきた甲斐があったと坊は感激に浸る。隣では弥三郎が旨い旨いとご満悦だ。 見た目だけは完全に童女の彼の天晴れな食いっぷりを微笑ましく見守りながら、今度は一緒に魚釣りに行こうかと考える。 実は塩も弥三郎のために採ってきた。坊の意識は着々と親ばかが進行しつつある。 食べ終わった弥三郎は片付けをする坊の周りをうろちょろし、手を拭き拭き「おまたせ」と振り返った途端歓声をあげた。 子供はいいなあと和んだ坊は促されるままに座らされ、目を輝かせた弥三郎の小さい手が彼の修験者のような着物を脱がせにかかる。 「ちょっと待てェェェ!!」 待て。待て。どういうことだ。 坊はかなり本気で弥三郎の手を振り払うと、何故だか脱がされかかった着物を慌てて引きあげた。弥三郎が不満げな声を上げる。坊は泣きたい。 「お前女装癖に飽き足らずそんな趣味が、今からそれってどうなんだ頼むからマトモに育ってくれ!」 半泣きで絶叫した坊に弥三郎から反論、 「僕と遊んでくれるって言ったのに」 「子供はおとなしくきゃっきゃ遊ぶべし! にゃんにゃん方向禁止!」 「坊、意味がわからないよ」 じゃあお前は何がしたいんだ。人を脱がして一体何がしたいんだ。 今時の子供って侮れないと思いながら坊が戦慄していると、弥三郎が桐箪笥を開けた。 「これ、着てほしいんだ」 引っ張りだされたのは見覚えのない打ち掛けだった。弥三郎は次から次へと着物を広げ、大して広くも無い床が鮮やかな小袖や打ち掛けで一杯になる。女物しかないのは一体どういう了見だ。 弥三郎は夢見る口調で今日のお題目を述べ上げた。目がきらきらしている。蒼白になった坊など丸無視である。 「坊がおかあさんで、僕はむすめだよ。おとうさんは源氏のぶしょうで、僕たちはおとうさんの無事をねがいながら隠れ住んでるんだ!」 これは胸を撫で下ろして良い状況か。女物の着物をずずいと差し出され、坊は真剣に悩んだ。 何が悲しくて女物。 「えーっと、弥三郎? 源平合戦の話が聞きたいんだったらいくらでも話してやるから、今日はお話し会にしないか?」 「やだ」 「え、えーっとほら、木曾義仲と巴御前の話をしよう! お前気に入ってただろ。おれ奴らと知り合いだから、絵巻物には載ってないことまで」 「坊のうそつき」 遊んでくれるって言ったのに。子供の大きな目にじわりと涙の膜が浮かびあがる。碧い目が滲んでとてもきれいだ。 坊はうっと言葉に詰まった。まずい。何がまずいって弥三郎が泣きそうだ。しかしここで折れたら自分も女装だ。それは勘弁願いたい。 しどろもどろ途方に暮れる坊を見つめたまま、弥三郎の目から最初の一粒が零れおちた。ほろり。 坊の口が勝手に動いた。 「わかった! やる! 遊ぶ! おれが母親で弥三郎が娘だな!」 良心がプライドに勝った瞬間だった。がくりと肩を落とした坊に、一瞬で泣きやんだ弥三郎が抱きついた。 「わあい! ありがとう!」 「は、はは……」 じゃあ早速脱いで襦袢着て、とやる気満々の弥三郎が今度こそ坊を剥きにかかる。どうやらやたら本格的なおままごとを始めるらしい。 流石に脱がされるのには抵抗があり、坊は真っ赤になって立ちあがった。 「じ、自分で着替えるわい!」 「そう? じゃあ、出来たらよんでね。髪ゆってあげる」 待ちかねたように道具箱を取り出す弥三郎に坊は泣きたくなった。お前、ひょっとしておれをその道に引きずり込もうとしてるのか。 弥三郎は真剣な表情で坊に着せる打ち掛けを選び出した。中々決まらないらしく、坊は嫌な予感を覚え始める。 予感は外れず、結局この日彼は弥三郎の着せ替え人形と化したのであった。 |
やってしまった 桐箪笥には弥三郎の持ってきた着物がつまってる 080826 J |