「やあ、夏目」

 お久しぶりですと応えるには些か短いスパンで夏目に投げかけられる声の主は、これまた笑顔で迎えるには些か濃すぎる人間、つまりようするに名取であった。夏目の頬は反射的に痙攣し、柿を狙って木のぼりしていたニャンコ先生は前足を滑らせて獲物ともども落下した。それでも柿を逃さなかったのは流石と言うべきか。名取の背後で、柊がぼそりと「豚も木から落ちる…」と言った。
 夏目は痙攣を制して振り返る。

 「お久しぶりです、名取さん」
 「すっかり空気も冷たくなってきたね。君の高校の制服も、冬用に衣替えか」
 「名取の小僧は相変わらずだな。言葉の端々が気色悪い」

 残念そうな視線を学ランの袖にじろじろ注ぎ、とどめに特大の溜息を吐いた名取にニャンコ先生でさえ及び腰だ。妖とて変態には近寄りたくない。
 夏目は首筋を吹きぬけた秋風が一層冷たいものと思えて、思わずぶるりと身を震わせる。
 大事な主をけなされたことを察したのか、瓜姫と笹後がどろろんどろんと顕現し、ニャンコ先生に牙を剥く。「主様を侮辱するとは許せん!」「気持ち悪いところが最大の萌えポイントだと何故わからぬ!」わかりたくないですそんなこと。叫びを押し殺した夏目は、ふとVSニャンコ先生戦陣に加わらない柊の姿を認める。名取から微妙に距離を取っている。ああ心の友はここにいた。夏目の視線に気付いたのか、柊はふっと遠くを見遣った。「昔は、かわいかったんだ…」季節は秋なので、空は涙が出るほど高かった。

 色々ダメージを負いながら、夏目は「何か御用ですか」と名取に尋ねた。名取が夏目に会いに来て、何事もなく済んだことは一度もない。
 関りたくなければ、ええ寒くなってきましたね名取さんも風邪にはお気をつけてではこれにてと会話を畳めばいいものを、結局こうして話を聞く姿勢を取ってしまうのが、夏目の最大の美点にしてつけ込まれる隙なのであった。主に名取とかとか妖とかに。一番最後が一番マシな気がしないでもない。夏目はつくづく人間運が無いらしい。

 「どうやら悲しい誤解があるようだね。用が無ければ会いに来ないなんて…」
 「え、あの…」
 「いいかい夏目、覚えておいてくれ。私は君を大切な友人だと思っているんだよ」
 「言葉で言ってくださればわかりますから手を離してください」

 馬手に眼鏡弓手に夏目の手を取って、タラシオーラ全開の名取は糖度MAXで煌めいた。夏目としてはドン引かざるをえない。昔はかわいかったって本当か柊。時は人を変えるのか。それとも芸能界が変えたのか。何があってもおれは芸能関係の仕事にはつかないぞと夏目は決心する。日曜歌謡ショーにだって出るものか!

 夏目が堅実な人生を己に誓っていると、「あれ、夏目ぇ」名取と並んで色々突っ込みどころの多い友人の声がした。頭に落ち葉をくっつけて、茂みからが顔を出す。
 ローファーで豪快にざくざく落ち葉を踏みつけ、スーパーのビニール袋をがさごそさせて林から出てきたは、――――何やらちまっこい妖をわらわら引き連れていた。

 「ひぃっ」
 「悲鳴上げるにはタイミングずれてんぜ少年。悲鳴も歓声もツッコミも、タイミングを逃さないのがブレイクするコツだよ」

 思わず悲鳴を上げた夏目を斜め上の理論で諭すの頭やら肩やらに、コケシ大の妖がキノコのごとく座っている。一匹一匹の見た目はもののけ姫の木霊のようで、愛嬌があると言えなくもないのだが、いかんせん数が多すぎる。シメジかエノキのような密集状態では、そりゃあ悲鳴も上げるというものだ。見えないが心の底から羨ましい。
 しかしながら、大量の妖に囲まれては、いかにが霊感0でも何か影響を受けるのではないか。
 心配した夏目は、思わず名取を振り返る。悪影響具合で言ったら妖とどっこいではあるものの、仮にも一応まがりにも妖祓い人なのだから、知識の量は夏目の比ではない。

 (名取さん…! あれ、大丈夫なんですか!?)
 (…………)
 (………)
 (………!)

 ニコッ!

 焦りを多分に含んだ視線を受けた名取は、何を思ったかうさんくさいこと120%増量の笑顔で返した。意味がわからない。
 わけがわからない夏目にきらきらビームを送っておいて、名取はビームの照準をへと移す。気まぐれに吹いた秋風に美容室に行くのをサボったような長さの髪を揺らし、その毛先に木霊どもを戯れさせながら、何も見えないはきらきらビームを受けて立った。

 「初めまして、私は名取周一というんだ。君は、夏目の友人かい?」
 「初めまして、です。いーえ夏目の愛人ですよ、有名人の名取さん」
 「……小僧、お前意外と早熟だな」
 「わーっ! 違う柊、も冗談言うのやめろ!」

 柊の感想に茹であがった夏目は、面の上から柊の口を押さえるという暴挙に出る。案の定瞬時にして柊の木刀が閃き、見事な一撃を受けた夏目は殴打を受けた側頭部を押さえてうずくまった。
 涙を滲ませた先に二三匹の木霊。コロコロ頭を捻って愉快な音を出している。くそう腹立つ。
 なんとか立ち直った夏目だが、顔を上げるとのぱちくり顔と名取の何とも言えない顔に出迎えられた。一瞬後、自分の行動を顧みて夏目は頭の鈍痛を忘れて青くなる。おれは今何を。見えないの前で、何をした。
 思考がめまぐるしく回転するも、焦るばかりで何も思いつかない。どうしようと、そればかり。
 足元で溜息をついたニャンコ先生が、やれやれと後ろ脚に力を込める。もしどうしようもなければ最後の手段、見えないのをいいことにの脳天に跳び蹴りをかまして気絶させる。目覚めたら記憶の混乱とでも言えばいい。捏造万歳。夏目のためなら多少荒っぽい始末もつけるニャンコ先生は、まったくもって親バカが進行している。夏目は周囲からはた迷惑な愛情を注がれるのが宿命らしい。

 「夏目、」
 (どうしよう、どうしよう!)
 (夏目、ここは私に任せなさい)
 (名取の小僧は引っ込んでおれ! 今私が華麗な回し蹴りを…)

 「そんなに愛人は嫌?」

 はい? 柊以外の全員が毒気を抜かれて聞き返した。
 は宝塚のように、スーパーのビニール袋をぶら下げた手の小指を立てる。

 「わたしとしたことが夏目の趣味を誤るなんて…! 愛人じゃ物足りないのねそうなのね! よろしい以後君のことは先生と呼ぼう!」
 「それだけはやめてくれ!」
 「セ・ン・セ・イっ」
 「……なんというか、小僧がそう呼ばれると違和感があるな」
 「ブサ猫と同じ呼び名とは哀れな」
 「いいじゃないか夏目、ニャンコ先生とお揃いで」

 まさに三者三様である。
 夏目は好き勝手に批評しくさった二人と一匹に我慢の限界を試されていると確信する。諸悪の根源であるは、試練に耐える夏目などには目もくれず、「名取さんは『ニャンコ先生』を見たことあるんですか?」と食い付いた。
 羨ましそうな視線を受けた名取はおや、と眉を上げる。

 「さんは、見たことないのかい?」
 「一度たりとてありません。常々会ってみたいと思ってるんですけど」

 皆が愉快だ愉快だ言うもんだから、これは一度拝まねばと思いはするんですけどもとは言う。褒めているのか貶しているのか判断に悩む。
 私はここだーここにいるぞーとアピールするニャンコ先生に一瞥たりともくれず、は写真の一枚も持っていないかと名取に聞いた。生憎名取にブサ猫コレクションの趣味は無かったので、のニャンコ先生を拝もう計画は白紙に戻る。
 夏目は少し複雑だった。には、この場で交わされる会話の半分が聞き取れない。自分の頭に乗った木霊にも気付かない。これは気付かない方が幸せか。
 なんともちぐはぐな光景だ。普段の自分は、こんな風に見えているのか。それはさぞかしちぐはぐだろう。

 「……ところで、は、林で何をしてたんだ?」
 そんでもってそのビニール袋はなんだ。しつこいようだがが手に持つスーパーのビニール袋には、肉も魚も生鮮コーナーの野菜も入っている気配が無い。そもそも林の奥にスーパーはない。
 会話を逸らすためもあり、わりと必死で探した話題にはあっさり乗ってきた。これ? とビニール袋を軽く掲げ、嬉しそうにがさごそ振る。

 「どんぐり。煮て炒って剥いて砕いてクッキーにするの」
 「どんぐりって食べれるのか」
 「当たり前だぞ夏目、レイコも近所の悪ガキどもからかっぱらってよく食っていた」
 (レイコさん…)

 祖母のエピソードは時折夏目をどんよりさせる。お母さんが生まれたときからお母さんでないのと同じように、レイコも生まれたときから祖母ではないのだ。それにしてもレイコの逸話は、夏目が彼女に一般的な祖母のイメージ、つまりは穏やかなお年寄り、のイメージを抱かせるのを見事なまでに阻害する。
 肩を落とした夏目をどうとったのか、はどんぐり袋を振って言った。

 「殻剥き手伝ってくれたら、現ブツ払いでお裾分けするよ」
 「なんとけちな人の子だ。お裾分けくらい無償でせんか!」
 「(ニャンコ先生、欲張りなこと言うなよ…)え、いいのか?」
 「もっちー。それでニャンコ先生を釣ってくれるとなお嬉しい」
 「こだわるな」
 「あたぼうよ。名取さんもどうですか?」
 「いいのかい? 嬉しいな、お菓子作りなんて初めてだよ」
 「……わーお、そこはかとなく不安フラグ乱立…」

 若干慄き気味のであったが、一度発した言葉はシンデレラのカボチャ馬車であろうと追いつけぬと腹をくくる潔さが彼女の特徴であったので、遠慮の空気を漂わせ始めた夏目の腕を有無を言わさず鷲掴む。
 名取が「私は駄目なのに、彼女はいいのかい?」と呟く一幕もあったが、精神衛生上そこは華麗に無視を決め込み、三人の人の子と二匹の妖と数十匹の木霊はの家へと行進することとなった。
 ようこそ我が家へと歓迎を受けた夏目と名取が、家中をちょこまか走り回る無数の小妖に取り囲まれ、あまりに野放図な妖怪屋敷ぶりに絶句するのはこの十五分後のことである。





 団栗

 「なんていうか、凄い家だな…」
 「これで何も起こっていないというのが不思議だ…」
 「二人とも、しゃべるのはいいけど殻を剥きたまえ。それと、古い家でも耐震工事は完璧だよ」
 「主様、気を抜きませんよう」
 「カリカリするな柊、それよりさっさと殻を剥け!」



 今までで一番人数書いたかもしれない…
 リクエストありがとうございました!
 091019 J