ショーウィンドウ、いやむしろこの場合は陳列棚と表わすべきだろう、いい感じに使い古され感の出た木枠のガラス棚を境にして、夏目はと対峙した。深い色合いの板壁には早咲きの桜が一輪ざしされていて、枝先に綻んだ二つ三つの小さな花と薄紅色のつぼみたちが愛らしい春を告げている。墨痕鮮やかなる七辻堂の看板を背に、藍色の三角巾とエプロンをまとったは昭和薫る店の雰囲気をぶち壊すかのように苦々しいことこの上ないとでも言いたげなしかめっ面をしていた。客商売としてどうかと思う。

 「あの…
 「はい、なんでございましょー」

 丁寧語すら棒読みだ。壁掛け時計がかっちこっちと振り子を揺らすのに同調して、夏目の困惑は深くなる。陳列棚にべっとりはりついて舌なめずりするニャンコ先生に構う暇もない。
 夏目が七辻堂に来たのは少しの偶然と頭の痛い必然だ。今日夏目が七辻堂の近くを通りかかったのは偶然だが、七辻堂を贔屓にしているニャンコ先生が勝手に走り込んでしまったので必然的に夏目は入店することに相なった。塔子もこの店が好きらしいから、何か買うのは構わない。それにしても最近のニャンコ先生は躾がなっていないと思う。このままではただでさえ丸い体がゴム毬になる日も近かろう。早急に「待て」を覚えさせなければ。夏目はニャンコ先生を犬か何かと間違えている節がある。

 (違うそうじゃない、)

 いつの間にか思考がすり替わっていた。ニャンコ先生も問題だが、今考えるべきはレジの前に立ったのしかめっ面だ。
 自他共にアルバイターと認めているが、七辻堂でバイトをしていても特におかしなことではない。しかしだからといって、客商売は笑顔が基本。七辻堂はどこぞのチェーン店のようにスマイル¥0とメニューに書くことこそないが、それは不文律であるからだ。夏目よりもよほどその辺のことを身に着けているであろうは、しかし今にも歯ぎしりしそうな勢いである。おれ何かしただろうか。ひょっとしたら妖が見えるのがばれたのかもしれない。だからは、おれに近くに来てほしくないのかも。
 思い当たった一番の可能性に夏目の空気がずんと重くなる。フラッシュバックするのは、これまでの暗い過去の記憶。またここでも、と諦めを帯びた悲しみが鎌首をもたげる。
 は舌打ちしそうな表情のまま、「他にご注文は?」と他人行儀に聞いた。夏目は首を振るだけで返事する。の顔をまっすぐに見るなど、できない。

 「おおっ、見ろ夏目、私たちの分で桜餅は売り切れだ。しめた!」

 陽気なニャンコ先生に返事を返す気力は無い。はトングで桜餅を取り出している。彼女の目には、ガラスに張り付いたニャンコ先生の涎まみれなブサ顔は映らない。ニャンコ先生は招き猫の媒体があるため力の無い人間にも見えるという触れ込みだったが、はその限りではない。彼女には徹底的にそういう力が欠如しているのだという。鈍感な女だとニャンコ先生は言い、夏目は少し羨ましいような、少し残念なような気持ちになった。彼と対極のところにがいる。
 がさごそと桜餅を紙袋に入れ、レジをすませる。差し出された紙袋を受け取って、さっさとその場を走り去ろうと思った。

 しかし、掴もうとした瞬間紙袋は後退した。

 「………」
 「………」
 さっ、がさがさっ。
 「………」
 「………」
 さっ、がさがさがさっ。

 夏目が受け取ろうとするたびに、は素早く紙袋を移動させる。どこに商品を客に渡さない店員がいるのかと思うがここにいた。ニャンコ先生の賑やかな非難も耳に入らず、これもいじめかと更に沈んだ夏目であったが、が絞り出すように呟いた言葉が鬱を困惑へと変容させた。

 「おのれ、閉店間際の客め」
 「……は?」

 思わず顎を落とした夏目をぎろりと憎々しげに睨みつけ、はくうぅと拳を握る。こんな店員いるのかと思うが以下略。

 「せっかく! 滅多に残らない桜餅が今日は二つも余ったのに…! 余ったら桜餅が食べられるのに、あと15分で閉店なのに…! 一人で二個も食うなよ夏目。おのれ、わたしの楽しみを奪いおって」
 「……えぇと…」

 つまりは何か。
 のつっけんどんな態度は、涙ながらに力説するかなり理不尽な食べ物の恨みが原因か。
 理解した夏目は愕然とした。なんという八つ当たり。
 は、他の客ならこんな態度は取るまいが、客が夏目であったがために遠慮なく拗ねてみせたのだろう。彼女は常日頃から夏目に遠慮がない。散々からかわれたあれこれが走馬灯のように駆け巡る。思わず遠い目になった夏目をジト目で睨みつけ、「わたしの涙でしょっぱいぞ、罪悪感にうちひしがれながら味わうがいい」と捨て台詞を吐きながらが今度こそしぶしぶ紙袋を差し出した。

 (良かった、嫌われたわけじゃなかった)

 ニャンコ先生が見えないの手前、ぎゃんぎゃん騒ぐ彼に反応を返さず店を出る。まだぶつぶつと言い続けるニャンコ先生に桜餅を与えて沈静化させて、夏目は近くにあったバス停のベンチに座った。暮れなずんだ空に薄衣をまとった妖が弾むのを見て唇を緩める。あれらは春先に姿を見せる妖だ。もうすぐ、ここらも桜色に染まるらしい。

 「何だ夏目、食わんのか?」
 「やらないぞ」

 うさんくさいお気楽顔でにじり寄ってくるニャンコ先生から紙袋を遠ざけて、夏目は桜餅をつまんだ指を舐めてみる。餅米のおかげか少しべたついていた指先は、なるほど確かに甘い春の味がして、の言った通り少しのしょっぱさを感じたのだった。





 桜餅

 「あれ、夏目なんでそんなとこいるの?」
 「言い忘れたことがあって。お疲れ様、
 「これは桜餅…ありがとう夏目…! お前いい奴だ…!」
 「………小僧め、色気づきおって」


 夏目は弱気だけど心憎い気障野郎だと思う(褒め言葉
 090313