夏目はその時、どんな顔をすればいいかわからなかった。笑えばいいと思うよなんて古典に従おうものならば、即座に平手打ちの刑が待っていることは容易に知れた。いやそれくらいならまだいいだろう、夏目にとって何が心を串刺しにしたって、それは、悲しさを取り繕いきれなかったの笑顔だったので。

 「す、すまない…!」
 「あー、いいよいいよ。元々かなり危ういバランスだったし」

 神社に向かう途中、枯れた色の草むらに座り込んで、はショールについた枯れ草をぱぱんと払った。乱れた髪にも草がついている。手櫛を通せばぱらぱらと落ちた。少し覚束ない手つきで裾の乱れを確かめる様は常になく女の子だ。馬子にも衣装、なんて呟いたニャンコ先生にはに見えないように鉄拳制裁を下しておく。の背後に回ったヒノエが、枯れた草むらに落ちたおかげでひどい汚れはないようだよ、と夏目には気の回らなかったことを確かめてくれた。流石、妖とはいえ洒落者である。
 夏目は身形を整えたに、枯れ草の間に放りだされてしまったかんざしを差し出した。長いヘアピン状の足に、縮緬で作られた白梅が咲いている。品良く、可憐なそのかんざしは、普段のを思い描くに不似合いにもほどがあったが、意外に細い指で受け取った今のには不思議なほどに似合っていた。彼女が被害を確かめ、受け取ったかんざしに溜息を吐きかけるのまでぼうっと見つめてしまうほどに。

 「なーに夏目。見惚れてんの」

 馬子にも衣装でしょ、とニャンコ先生と同じことを言い、はおどけたように着物の肩をすくめる。母か、おばあ辺りから受け継いだのかもしれない、少し時代を感じる、夏目が言葉を知っていれば大正モダンな訪問着をは着ていた。地は薄紫と灰色を混ぜたような色と、オレンジと茶の間のような抑えた色の大柄な市松模様。灰梅と伽羅色だよ、とヒノエが教えてくれた。裾と袖にはレトロなタッチで梅が描かれており、金粉が華やかさを添えている。帯は思い切って深緑、帯揚げと帯締めは臙脂から辛子色へとグラデーションをなしていた。帯留めは使っていない。
 まあ、お正月だから、とは言葉を重ねた。少し居心地が悪そうにそわそわしている。夏目があまり見続けているものだから、照れが湧いてきたんだろうねえ、とヒノエは小さく笑った。夏目はまだ見惚れたままだ。いい加減にしないとの限界が来る。微笑ましいものを見る気分で、ヒノエは夏目の頭を小突いてやった。

 「…っ、ひ、ヒノ」
 「ヒノ?」
 「っごめん、綺麗だ!」
 「ぅえ」

 咄嗟に我に返った夏目は謝罪と賞賛を同時に叫び、直後耳まで真っ赤になった。つられてが堪え切れずに赤面する。ああ今年は春が早いねえ、とヒノエは暇を持て余したニャンコ先生に話しかけた。どうせには聞こえない、聞こえる夏目には聞く余裕がない。
 夏目は落ちつきなくあちこちに視線を飛ばしていたが、ふとが手の中で忙しなくいじり倒しているかんざしに視線を留めた。先程まで、そう悪ノリしたヒノエとニャンコ先生に追いかけられた夏目がぶつかるまで、彼女の髪をまとめていたかんざしだ。きちんと髪をまとめた完成形を見ていないが、きっと良く似合っていたのだろうと思う。何しろ今のは梅の図案の着物を着ており、しかも意外と似合っていて可愛くて、あの普段の鉄腕アルバイターぶりはどこへ行ったとがむしゃらに尋ねたいほど女の子で、だからきっと小さな梅のかんざしはぴったり似合ったに違いないのだ。それを台無しにしたのが自分だとわかっていても残念になる。

 「あの、……そのかんざし、もう着けないのか?」
 「……え、えーと恥ずかしながら、鏡も櫛も無く自力でセットし直せるような器用さはわたしにはない」

 さっきだっておばあに手伝ってもらってやっとだったし、とはかんざしをくるりと回した。吹き抜けた風がばらばらと髪を揺らしていく。午前の澄んだ日光に流れた髪は、絹糸のように一瞬の光を反射した。

 「もうどうしようもないから、このままいくよ」
 「あ、ちょっと待ってくれっ」

 立ち上がろうとしたを押し留め、夏目はににじり寄った。着物に触れた指先に絹の滑らかな感触を覚える。は慄いて近寄られた分だけのけぞった。傍から見るとなかなか面白い図だな、とニャンコ先生がコメントする。

 「、おれで良かったら髪を直させてくれ」
 「……マジすか」

 頼む、と詰め寄った夏目には陸に上がった金魚のような顔であうあう口を開閉すると、わかった好きにしていいからと夏目の肩に手を置いて彼を押し戻した。伏せられた顔が真っ赤だったのは言うまでも無いが夏目には見えない。夏目は勢い込んで礼を言うとの背後に回った。思ったより小柄な後ろ姿にドキリとした。一瞬静止した夏目は、の後ろ姿なんて見慣れているはずだ、と気を取り直して髪を一房手に取る。軽い質感が皮膚を滑った。(あ、綺麗だな)夏目は追いかけるように、同級生の髪を掬い、取りきれなかった枯れ草を落とすように根元から梳く。花の葉脈に指を入れたような、水分を含んだ感覚。あっという間に指から滑り落ちた髪の感触は、言葉で表すには不思議すぎてくせになりそうだった。夢中になった夏目を尻目に、いじられるは生きた心地がしない。どうにでもなれと半ばやけっぱちで腹をくくる。
 しばらくひたすら髪を梳いていた夏目だったが、これをまとめなければならないことに気付いてハッとした。これを、まとめる? どうやって。夏目はから預かったかんざしを見た。梅が可愛い。けれどこんな、当たり前だがピンでもボタンでも紐でもないシロモノでどうしろというのだ。は不器用だと自己申告したが、これでセットに成功した彼女が不器用なら女子の手先はどれだけレベルが高いんだろうと思う。少なくとも夏目は女子失格だ。男だが。
 すぱーと紫煙を吐き出していたヒノエが、途方に暮れた夏目に声をかける。お困りかい。救世主に向けるような視線で己を見た夏目に、洒落者はニヤリと笑った。





 花簪

 「げ、わたしより上手い。女のプライドが音を立てて崩壊したわ」
 「ははは…(ヒノエ、ありがとう!)」



 110118 J