頭が鐘付きの的にされたようにがんがん痛む。
 遠く支那から海を越えて届いた寒風は、雪を舞わせてわっちの頭を強襲した。耳が切られたのではないかというほどびりびり痛い。
 まったく、戦略上重要だからといって、郡山城のような山城はほとほと懲り懲りだ。先年山中に切り開いたこの城は、山全体を砦としたようないでたちで、防御力は非常に高い。
 けれども常時であれば、通勤の苦労ばかりが身に染みる。何せ、寒い中平地からえっちらおっちら登らねばならんのだから、その苦労も言わずと知れるというものだ。もっとも普段の政務は、不便な山中の本丸ではなく山の下方の館で行われているし、元就様もそこで起居しているのだが。
 いずれ、武の騒乱が収まれば、便利な平城が広まるかもしれんなあ。何せ国の基幹は経済だ。金が無ければ生活なんぞ立ち行かん、戦などは論外だ。
 わっちは白い息を吐きだして、よっこらせいと城よりは低い位置の、それでも平地よりは高い場所にある館の石段を登った。
 どら、今日も一日、平城目指して頑張るかい。


 寒風を遮る屋内でぬくぬくと温まりながら密書を確かめていると、神経質気味な足音が廊下を渡る音が近づいてきた。ああ元就様か。今日は日輪も照っておるし、弓の稽古でもしてきたか。元就様はどんなに寒かろうと弓と剣術と輪刀の稽古は欠かさない。念仏と乾布摩擦はいわずもがなだ。一見とても不健康な見た目をしていても、元就様は間違いなく家中で最も健康的な生活をしている。じじくさいとも言うがそこは内緒でお願いしたい。
 しかしまあ、朝も早よからよくやるものだ。付き合わされていたのは昔のことで、当時の武辺ぶりを思えば別人としか言いようのない変貌を遂げた元就様だが(事実、最近では周辺大名は元就様を「詭計智将」と呼んでいる! あの勉強嫌いの野生児が智将とは!)、やっぱり体を動かすことが三度の飯より好きらしい。これは言い過ぎか。元就様は、三度の飯はきっちり食うしおやつの餅も食うものな。

 ともあれそんな元就様が襖を開けて、案の定さっぱりした仏頂面を覗かせた。
 汗は行水で流したか、髪がしっとりと水気を含んでいる。この寒さの中で行水。想像するだけで身震いする。軟弱者で悪いか。

 「おはようございまする、元就様」
 「空気が淀んでいる。早々に換気せよ」
 「あと一刻このままじゃなりませんか。ようよう温まってきたのです」
 「日輪の温みを感じれば良かろう」

 言って、元就様は障子を思い切りよく開け放つ。どっと流れ込む、冬の匂いの濃い冷気。わっちはそそくさと火鉢を引き寄せた。
 元就様はずかずかと部屋に入り込むと、わっちが広げていた密書を手に取った。
 ざっと目を通し、差出人を指で弾く。

 「知らぬ名だな。何者だ」
 「大内の某ですよ。近々陶にも一筆したためねばなりますまい」
 「其方がか」
 「元就様の出番はもっとずっと先ですわい」

 毛利家当主に筆を取らせるには及ばぬ。むしろ、取らせてはならぬ。
 こういう調略事は、いくら詭計と掛かる智将でもその差配を直接取らせては、背負い込む危険が大きいのだ。
 大がかりな調略の前段階ならば、別の筆に任せるが適当。その方が後々余計な波風を立てずにすむ。

 「そうそう、大内といえば、ちょいと面白い噂を小耳にはさみました」

 元就様は嫌そうに顔を歪める。折角美しい造作をしてらっしゃるというのに、目つきの悪さがそれをぶち壊してしまった。いや、これはこれで良いものか?
 家中にこっそりひっそり存在する諸々の集団を思い出す。元就様の犬の会、捨て駒の会、踏んでくださ連合、罵声希望の集いなどなどなどなど。人気があるのは良いことだ。元就様が知ったらどんな顔をするやら。

 「黙れ。其方がそういう顔をするときは、どうせろくでもないわ」
 「どういたしまして。それがどうしてなかなか、お知らせしとかなならんもので」
 「ほう」
 「なんでも如月の十四は、異国では日頃の情欲を発奮すべき日だとか」
 「耳が穢れたわ! それのどこが有用と抜かす!」
 「わっちは有用なぞと、一言も言うておりませんぞえ」

 全く潔癖なご主君だこと。能面みたいに微動だにせず、大内の閨の性癖なんぞを利用した罠を考案したくせに。いやかえすがえすあれはえげつなかったなあ。そういえば、もうすぐあの罠も実を結ぶ頃か。首尾よく大内の首が布団の上に転がったら、また一仕事せねばならんわ。
 わっちはずりずり火鉢を引きながら戸棚に這い寄ると、高杯に載せた大福を引っ張り出した。つるんとまろい赤漆の上に、塩大福の小山。
 元就様が訝しげに眉を寄せる。だが、わっちの目をごまかせると思うな。ぴくりと右手が動いたことにわっちが気付かんと思うてか!

 「異国人というのはまだるっこしいものですなあ。愛欲を菓子に込めて贈るそうですぞ」
 「……それがどうしたというのだ。其方の艶事など聞きたくもないわ」
 「はて、わっちも艶事にはとんと覚えがありませんな」
 「ならばその大福とあのくだらぬ話の相関はなんだというのだ」

 ああ全く、通じない人だこと! こんな男が、どの面下げて智将だなどと抜かすのだ。
 わっちがやれやれと高杯を動かすと、元就様の視線も動く。右、左、左、右、右。馬鹿正直なお方だ。わっちは元就様の甘味好きをとうに承知だから、知らぬふりなど利くはずもないが、それならそれでうまいこと言いくるめて大福をせしめるくらいのことはすればいいのに。会話の主導権は、まるっきりわっちのものではないか。智将の名が泣いている。

 「元就様、少しは自分で考えたらどうです」
 「我のものになるものを、なぜ今更考えなければならん。無駄極まりない」
 「……、はて、その自信はどこから来なさる」
 「其方が我にさらしたものを捧げなかったことがあるか?」

 其方は魂までも我に捧げたのだから、の所有物は骨片に至るまで我のものぞ。故にその大福も我のものと見て違いあるまい。
 ひどく尊大に言い放ち、元就様は一番上の塩大福に齧りついた。あーあ。

 「まあ、どうせ元就様にやるものでしたがねぇ」
 「先の見えた勝負をわざわざ挑もうとは、気が知れんな」
 「よく言いなさる。元就様の戦略は、勝ち負けのわからん博打でしたかえ?」
 「阿呆め。戦なら何かしら得るものがあるが、貴様からはこれ以上なにも得られまい」

 元就様は一個目の塩大福を平らげ、親指を舐めつつ次に手を伸ばす。行儀が悪い。

 「それで、大内の酔狂話がどうしたというのだ」
 「興味がなかったんじゃあないんですかい。なに、菓子に託すのが一応愛慕だというならば、色情ではなく敬慕でも良いかのうと思ったんですよ」

 そういうわけで、この塩大福は元就様に。
 わっちの大事な御主君様だ、元就様に贈らずして他に誰に贈ろう。
 二つ目の塩大福を咀嚼していた元就様はふと動きを止め、わっちをじぃっと見詰めた。いやん、いたたまれない。
 元就様は指についた大福の粉を叩き、すうとわっちに手を伸ばす。むむ、何じゃいこの空気。睦まじい男女でもあるまいに、この空気はいささか居心地が悪い。けれども、どうしたことか、わっちの意識は元就様の粉をふいた指に吸いつけられるばかりで、

 「この、たわけめ!」
 「ぐみょうっ」

 肌に辿りついた元就様の指が、容赦なくわっちの頬肉を抓る。い、痛い痛い!
 上に下に、わっちの頬は引き延ばされ、ようやく解放されたときには痛みを通り越して痺れを感じた。ひどい。
 眉間に絶壁を築いた元就様はふんぞりかえってその凶眼をわっちに据える。

 「くだらぬことにうつつをぬかしおって」
 「折角の好感をくだらんとはひどい」

 嫌悪や警戒より好感を得ることは大事だ。外交的な意味で。
 口をすっぱくして教えたはずだがなあ。釣った魚に餌はいらんということか。わっち以外の臣下だと反乱の危険もありますぞえ。

 「くだらぬものはくだらぬ。、貴様何日寝ておらぬ」

 元就様はぐいっと身を乗り出した。口の端に餡子がついている。
 はて何日だったか。ええと、ひぃふぅみぃの、数えるほどに元就様の顔が険しくなって今や般若の形相だ。折角の花のかんばせが。

 「ああでも、合間合間に寝ておりますよ。でなくては保たんもの」
 「救いようのない大たわけが。大福なぞを運んでくるより、さっさと寝に帰る方が駒として優秀ぞ」

 ぎょろりとわっちを睥睨し、元就様は苛立たしげに舌を打った。

 「貴様が我が毛利にとって有用な駒であることは認める。しかし、不摂生を続けてみよ。いつ何時倒れるやもしれぬ。倒れた駒など役に立たん」
 「はあ、ご心配かたじけない」
 「やかましい。そう思うならさっさと眠れ」

 貴様は自分の身に構わなさすぎる、と元就様は言い、おもむろに羽織を脱いだ。見ている方が寒い。
 何をやっとるんですかと言いかけたわっちの口に塩大福で塞ぎ、元就様はやや乱暴にわっちを引き倒す。まともに後頭部を打った。情けない、なんのために修練を積んだと元就様は呟いたがここはぜひ言わせてもらいたい、幼い頃共に積んだと仰るあれは修練ではなくいじめだ。
 ひっくり返ったわっちにばさりと温みの残る羽織がかけられた。

 「あの、元就様?」
 「どうせ貴様のことだ、家に帰したとて素直には眠るまい?」

 仰る通りで。
 つまりここで寝ろということだろう、御主君を前にしてそんなと言ってはみたが、その主君の命令ぞと返されてはぐうの音も出ない。
 ああもう、厄介な主君に育ったものだ。どこで育て方を間違えた。

 「我が貴様なぞの思惑通り育つはずがなかろう」
 「ああ、そりゃ確かにそうですわ」

 やかましいからさっさと眠れと、元就様の手がわっちの視界を覆う。乾いた、弓やら刀やらを振り回す硬い皮膚から伝わる体温は、傍らの火鉢より低くとも確実な眠気をもたらした。
 ううん、やっぱり疲れが溜まっておったかなあ。
 わっちの意識はそのまま、温もりの中に溶けた。





 Nunc omnia rident
 「しかし、随分うまく調略したものよな」
 「甘〜い言葉をかけてやりましたゆえ」


 Buon San Valentino!!
 甘さの足りない鷹爪コンビ(未来)で甘いバレンタインに挑戦。
 タイトルはラテン語格言「今、万物が笑っている」
 2月14日〜3月14日まで持ち帰りフリーです。
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