詩集を借りに図書館を訪れた元親は、その光景を目撃した瞬間即座に他人の空似を切望した。本のためか利用者のためか、空調の整った図書館は季節も相まって非常に過ごしやすい気温であったけれども、元親の体は深刻な変調を来し始める。予兆のように、背筋をつつーと冷や汗が伝った。 かっぴろげられた視線の先、閲覧用の机一つ椅子二つを陣取って、忘れようにも忘れられない顔が二つ並んで何やら熱く議論を交わしている。 メゾン戦国公認純情カップルの片割れと、同じくメゾン戦国中央棟207号室住人松永久秀だ。 お互い他者へのインパクトは余裕で台風レベル。そういえばそろそろ台風の季節だなあと元親は現実から目を逸らしたが、考えてみればこの二人の組み合わせは珍しかった。純情カップルの左側たる政宗や、その保護者の小十郎が彼をイニシャルGのごとく嫌っているので、彼らといつも一緒にいると久秀の接点は一見無さそうだが。 政宗たちが目撃したら書籍が血に染まりそうな相手と楽しく歓談中の。 それだけで時限爆弾並の危険度だったが、元親はあえて逃げるコマンドを消去した。 そっと彼らの背後にある本棚の裏に回り込み、盗み聞きの体勢を取る。なんだかんだで、元親は好奇心が強かった。 (一体何話してんだ?) 友達の日記を盗み見しているような後ろめたさとスリル感には抗えず、元親猫は書架の間で耳を澄ます。自分に火の粉が飛んでこなければ良し、もしかしたら政宗はの奥の手カードが手に入るかもしれない。日々虐げられている者の知恵を働かせる。好奇心は猫をも殺すという格言は、この時点で彼の頭には無い。 「……だね、じゃあこの町とかどう?」 「ふむ。しかしそこでは風情があるまい。その旅館など、温泉すらないではないか」 「こだわるね。目的は温泉じゃないのに」 「愛するものと至福の時間を過ごすのだ、快適さは必須だとは思わんかね?」 ………え、今なんつった。 元親は思わず書架の隙間に顔を突っ込んだ。鼻腔をくすぐるのは本の匂いか埃の臭いか。鼻息荒く胎教コーナーに頭を埋めた元親に、利用者は見ないふりをして通り過ぎていく。 耳を疑う元親に構わず、隙間の向こうでは拗ねたように唇をとがらせた。 「至福の時間が欲しいなら飯にも注目しろよ。ほら、こっちの旅館は天然のウナギが食べられるんだ。温泉は小さいけど」 「そんなに精力をつけてどうするのだね? 卿は欲求不満というわけか。いやはや若い」 「羨ましい? マツナガさんはもうドーピングでもしなきゃ次の日辛いのかなあ」 「愛しいものが傍らにあれば何ほどでもあるまい。一晩中でも慈しむとも」 真っ昼間の図書館で交わされるべきでない会話が流れるように続いている。元親の心臓は止まりそうだ。 何だ。一体何が起こっている。るるぶを挟んで飛び交うピンク色の単語群、それを理解するのは容易いがいかんせん相手が相手である。お前の相手は政宗じゃなかったのかと元親は思う。じゃなかったらあの純情無自覚ラブアタックはなんなのだ。元親の苦労は何なのだ。 ていうか、お前いつから中年オヤジと爛れた関係を結んでいたのだあのもじもじ君はなんなのだ! そりゃあ政宗もも名うての女たらしだし、そういう経験が無いということは無いだろう。 だがしかし、見守る者を和ませる、今時中学生でもあり得ない二人の間に流れるあの空気が偽物だったと、そんなことがあってなるものか。 色々迷惑だってかけられているけれど、それすら構わないと思ってしまうあの笑顔が偽物だなんて、そんなこと。 (伊達の純情を弄びやがって!) 怒りに燃えた元親は胎教コーナーでギリリと歯を噛みしめた。子供が彼を指差して「ママーあの人変ー!」「シッ! 見ちゃ駄目よ」母親が足早に通り過ぎていく。 帰ったら即座に政宗を訪ね、金輪際に関わるのはよせと忠告しなければならないと元親は心に決める。その一方で僅かな悲哀を感じた。あの政宗に何といえばいいのだろう。好きな相手が別の男とできているなどと。 しゃがみこみ、元親は頭を抱えて苦悩した。 考える人元親は気付くことは無かったが、胎教コーナーの下段は性教育コーナーである。変態此処に極まれり。元親の肩に何者かの手が優しくしかししっかりと載った。 「何だ? 俺ぁ今忙し…」 「申し訳ありません。しかし、他の利用者の迷惑になりますので」 有無を言わさぬ館員、よく見れば他にも幾人かの館員が警戒に満ちた視線を送っている。 えーっとつまりこれは何だ。元親は遅ればせながら理解した。 「ぉお?! いやちょ、ちょっと待て俺は不審者じゃねぇ!」 「ッ、暴れないでください! 誰か、手を貸して下さい!」 「だから違うって!」 「っく、カウンターから通報を…」 「あってめ何を…?!」 元親は止めようと手を伸ばしたが、三人がかりで抑えられてうまく動けない。 誤解だ! カウンター職員が焦りながら通報を始めるのを為すすべもなく見守る元親は泣きそうだった。 だって何もしてないのだ。本当だ。友達のために辛い決断を下そうとしていたのに、何がどうなってこんなこと。まるでメロスだ。走れ俺。誤解で警察に突きだされてたまるか! 「Hey…What are you doing?(アンタ、何をしてんだ?)」 「伊達!」 呆れを前面に押し出しながら、書架の間から政宗が顔を出す。どうしてここにというのは愚問だ。変なところで完璧主義の政宗は、常にレポートに苦しめられているのである。 レポート用だろう本を何冊か持って、政宗は面白そうに取り押さえられた元親を見下ろしていた。 「お前からも何とか言ってくれや、俺ァ無実なんだよ!」 「Ah-ha? それにしちゃ随分妙なコーナーにいるじゃねぇか」 「それは…っ!」 言うのか。言ってしまうのか。元親は一瞬怯んだ。 その瞬間、背後から「あーっ」と嬉しげな声が上がる。図書館では静かにしましょう。 「マサムネじゃん! 何してんの、こんなところで」 「It’s same to you.(お前もな)読書するだけの知能があったのか?」 「伊達、それは…!」 「俺は読書じゃないよ。マツナガさんの旅行計画を立ててたんだ」 「What…? 松永だと…?!」 政宗の声が低くなった。 松永だけじゃなくてテメェも行くんだろう、元親は心中吐き捨てたが、はケロリと真実を明かす。 「マツナガさんねー、東北の農村にお宝発見しに行くんだって。それで、盗品と一緒に泊まれる風情ある旅館を探してるんだ」 「失礼なことを言わないでもらえるかね。盗むのではなく、快く譲ってもらうのだ」 「譲ってもらうのが決定事項なあたり胡散臭いよねえ」 「それは卿の勘ぐりすぎというものだ」 「ふぅん? それにしては、言葉が随分甘かったね。かなり執着してるんだ?」 「愛している、と言ってくれないか。それに愛でるべき逸品をそのように扱うのは、当然のことではないかね?」 「無機物じゃなくて女性に当てはめるなら同意するよ」 あれこれってどういうことだ? 元親は取り押さえられたまま、うまく働かない思考をなんとかまとめ上げる。 要約すると、旅行に行くのは久秀一人で、あの会話は(はともかく)久秀の話は全て骨董品についてのことか。それはそれで問題だ。 しかし久秀の性癖については今更なので、当面の問題は警戒心を剥きだしにしている隣の男だ。喧嘩上等と背中に背負っている政宗を放置するのは、図書館という公共施設においてどう考えても適切な行動ではない。 元親が、犯罪予告のような喧嘩寸前のような摩訶不思議空間にどう対応すべきか苦慮している館員たちに己の解放を持ち掛けている間に、政宗と久秀を中心とした一触即発空間が出来上がっていた。 政宗は久秀を睨みつけたまま、を背後に庇った。余裕の悪役からヒロインを守る、まさに正統派アニメヒーローの立ち位置だ。本棚の向こうに児童コーナーから飛び出した子供たちがわらわら鈴なりになっている。悪のおっさんに100円、なんとかレンジャーにマーブルチョコとか聞こえてくるので、トトカルチョでも始まっているのだろう。現代っ子は実におませだ。 しかし結局そのトトカルチョが白黒はっきりつくことはなかった。やっと館員を説き伏せてさあ調停をと自己犠牲精神を発揮したときには、既に久秀はるるぶ片手にカウンターへと去り、後には苦々しげな政宗と上機嫌のだけが残っていた。結局いつもの組み合わせである。 久秀の姿が完全に図書館から消えると、がニヤリと口角を吊り上げて携帯を取り出し、電光石火の勢いでメールを打ち始めた。 地名や旅館名を呟いているので、気になった元親は悪いと思いつつ画面を覗きこむ。やはりというか保護シールが貼ってあって内容は読めなかった。 はこう見えて警戒心が強い。それを誰より理解しているであろう政宗は、放り出したレポート用の本を拾いつつ興味なさそうに尋ねる。 「誰宛てだ?」 「カシンコジ」 まさか答えが返ってくるとは予想しなかった、しかも宛先もかなり予想外だった、そんな顔の政宗が思わずと言った風に問いを重ねる。は送信ボタンを押してニヤニヤと嬉しそうだ。 「Why?」 「いくつかあるねー。一つは俺とカシンコジが仲良いこと、一つはマツナガさんの燃え尽きた顔が見たいから、一つはカシンコジに楽しんでもらうため、一つは小遣い稼ぎ」 「………小遣い稼ぎ?」 恐る恐る復唱した元親に、はやり遂げた顔で答えた。余程機嫌がいいのだろう、あるいはこの面子から久秀にバレることはないと考えているのか。 「マツナガさんの旅程、目的、宿泊地をリークしたら情報料貰えるんだ。カシンコジはあっちこっち旅してるからさあ、思い立った時にマツナガさんの居場所がわからないとからかえないでしょ? だから、依頼が来た時に情報リークしてんの」 「…………」 「…………」 「ふふ、今回はかなり詳しいことがわかったんだ。何せ計画手伝って、概要しっかり掴んだからね! 情報料はこれくらいが妥当だね。あ、お土産も貰わなきゃ!」 楽しみだなあ、無邪気にそんなことを言う少年の横顔をどこまで信用していいものか。 政宗はどうやったらこんなガキがと頭を抱えた。 元親は俺の心配は一体とがっくりうなだれた。 疲れ切って灰色の松永がメゾン戦国中に土産を配って歩く姿が見られたのは、その一週間後のことである。 いい旅夢気分 |
松永さんもも、アニキがいるのを承知であんな言葉使ってます 松永さんとはお互い罠の張り合いをしつつ、他人で遊ぶと信じてる ………別シリーズ夢主友情出演させて申し訳ありません………! リクエストありがとうございました! 080904 J |