神無月は晦日、その日は真田幸村御歳17歳お菓子好きにとって決戦の日であった。

 数年前からすれば桁違いに広く認識されるようになったハロウィーン。
 店の軒先に吊るされたカボチャに干し芋ならぬ干しカボチャを作るのかと誤解して、早速真似してみたのは去年のことだ。ちなみに焼き豚用の糸で縛られたカボチャ群をどこに吊るそうかと悩んだ幸村は、換気のいい場所を求めて家中に糸を張り巡らせ、結果蜘蛛の巣状の室内トラップが完成した。ハロウィンだからとパンプキンパイを買ってきた佐助が玄関扉を開けた瞬間トラップ発動。突如強襲してきたカボチャを悲鳴と共に避けても、次から次へと家中のカボチャが佐助の脳天を狙った。
 あれほど無邪気な悪意を感じた瞬間は無かったと、佐助は後に語る。




 ともかく、佐助によってハロウィンのなんたるかを叩きこまれた幸村は、10月に入ってからこの日を指折り待っていた。
 朝、規則正しく6時に起きてお館様と恒例の殴り合いをした後、彼は迷わずメゾン戦国北棟307号室に向かう。近頃は朝夕冷え込んできているが、寒さに負けない風の子幸村は元気のいい足音を響かせて階段を4段飛ばしで駆けあがった。良い子は真似しちゃいけません。

 「殿! おはようでござる!」

 佐助がいたら朝っぱらからドアをガンガン叩くなと怒るだろう、しかし彼は朝食の準備中で不在である。余談だが真田家では佐助のエプロンが割烹着に変わるとハンドクリームやイソジンが準備されるようになる。
 それはともかく、幸村は早く玄関扉が開かないものかと柴犬のような瞳をきらきらさせている。しかし文字らしき線でと書かれているはずの表札は彼の期待など素知らぬ顔で、玄関扉は一寸たりとも動かない。
 おかしい、扉を叩きながらインターフォン連打、連打F5、ニコでの俺の扱いはショタちょっと待てゴルァ只今回線が混雑しております。
 一歩間違えなくとも迷惑行為を続行していると、「うるせぇ!」非常にいらついた寝起きの低音が荒々しい開閉音と共に隣室から飛び出してきた。
 寝起きの政宗がぎろりと幸村を睨む。

 「政宗殿。おはようございまする」
 「朝っぱらからガンガンピンポン鳴らすんじゃねぇよ。迷惑だろうが」
 「うっ………し、しかし、もう6時半でござる」
 「十分朝っぱらだ」

 くぁ、と大あくびをしながら、政宗はそいつ、と視線だけで307号室を示した。

 「留守だぜ」
 「留守…? ま、まことでござるか!?」
 「Halloweenだからな」

 それがどうかしたのだろうか。
 ハロウィンだからといってねぼすけのが朝っぱらから出かける理由がわからない。ひょっとしたらどこかに泊まっているのだろうか。破廉恥極まりないが彼が朝帰りすることはたまにある。
 考えていることが顔に出ていたのか、政宗が頭の後ろを掻きながら「No」と否定した。

 「仕事続きらしいぜ」
 「仕事?」
 「秋だからな。イベントごとも多いだろうし、どっかの大学祭にも行ってるみてぇだ」

 一度深夜に帰宅したと行き合わせたことがあるが、随分疲れているみたいだったと政宗は記憶を掘り起こす。
 期待はずれだったのか、しぼんだ風船のような幸村からさっさと視線を外し、政宗はそのまま二度寝をしに部屋へ戻っていった。
 一方取り残された幸村は、ぬるい牛乳をぶちまけたような葛藤が広がって唇を引き結ぶ。

 ずっと楽しみにしていたのだ。お菓子をくれる。そのお菓子はとても甘いだろう。彼はにやにやチェシャ猫のように笑って、幸村に「Trick or Treat?」と言い返す。その時幸村はどうするか。口に入れたのお菓子を口移しでキャー破廉恥! お、お菓子を忘れたと言ったらは待ってましたとばかりに悪戯してくれるだろう。きっと彼のことだからやたら凝っていて、多分それは対幸村用にわざわざ考えてくれた悪戯で、政宗なんかと被ることはなくて、

 それなのに留守だなんて。

 (ぬお!? そそそ某は何を考えておる!?)

 流石牛乳だけあって葛藤はもわっと嫌な感じの臭いがした。
 幸村はその思考を畳もうとするが、に対する理不尽な憤りは中々拡散する気配を見せない。それどころか政宗に照準を合わせた苛立ちまで出てくる始末だ。に会ったなんてずるい。幸村からすれば羨ましいことこの上ないポジションにいるくせに、忙しいを助けてやろうともしないだなんて、そんなの、―――某の方が、ずっと。

 「ぬああああああ! 俺という男は、俺という男は、叱ってくだされお館様ァァァ!!」
 「Shut up! うるせぇっつってんだろ!」

 絶叫し、玄関扉に頭突き攻撃を仕掛けはじめた幸村に、ぶちきれた政宗がとんぼ返りしてくる。
 頭骨の形にめっこりへこんだ307号室の玄関扉は、近い将来お詫びの品と共に弁償されることだろう。










 「ふはー、やっと終わった……」

 クラウンのメイクもそのままに、は大道具の波間に身を投げた。
 全身に疲労が子泣きジジイのごとくのしかかっている。
 このまま目を閉じたらどんなに気持ちいいだろうと考えた鼻先を11月の風が撫で、はぶるりと身を震わせた。

 「あーあー、君、そんなところで寝ちゃったら風邪ひくわよ」
 「道具と一緒に片付けてやろうかー? 暖かいぞ。臭いがな」
 「ゴリョーショーコームルー…」

 お前そりゃごめんこうむるだろうと笑いながら、今回の仕事仲間たちがけらけらと笑う。彼らはこのイベント限りの仲間で、次に会えるかどうかは運次第。だからか、年月を重ねた友人とは違う気安さがある。
 この雰囲気好きだなあと思う。思う間にも起きなければと思うのだが、体はなかなか言う事を聞かない。
 芋虫のごとくもぞもぞうごめく最年少クラウンを見かねたのか、情熱的なフラメンコを披露していたお姉さんが手を引いて引っ張り起こしてくれた。

 「大丈夫? 君」
 「んー、流石にちょっと疲れたかなぁ」
 「君、大活躍だったものね。倒れないかとヒヤヒヤしたわ。お疲れ様」
 「おねーさんも。俺、おねーさんのフラメンコに励まされて保ってたようなもんだよ」
 「おーい、またのたらしが始まったぞー!」

 近くで片付けをしていた半ズボンの男がおどけて周囲に宣伝し、も笑いながらそいつの向こう脛を蹴ってやる。真実を言って何が悪い。
 お姉さんは嬉しそうに笑い、バッグからチョコレートを取り出した。

 「えっ、くれるの?」
 「ええ。ハロウィンに引っかけたイベントだったのに、君お菓子配ってばかりで貰ってないでしょう?」
 「うん、まあ。でも、俺的にはおねーさんたちを見られただけで最高のドルチェを貰った気分なんだけど」
 「もう、上手なんだから…! いいから貰って」
 「Grazie! おねーさんを思い出しながら、大事に食べるよ」

 にっこり笑って受け取ると、お姉さんは満足そうに去っていく。やあね年甲斐もなく、と呟いていた彼女の年齢はまったくもって不明である。
 改めて化粧の偉大さを感じ取ったはチョコレートを一粒口に放り込み、疲れ切った脳に糖分を回した。

 「Dolcetto o scherzetto、か」

 幸村が好きそうなイベントだなあと思う。そういえば最近会っていない。
 部屋には寝るために帰っているようなものだった、それを自覚すれば急に帰りたくなった。
 妙なものだ。いつの間にかあの団地を、帰る場所と認識している。
 孤児となった自分を育ててくれたサーカスにさえ、帰るという感覚を持てなかったのに。

 ハロウィンはもう終わってしまったけど、遅刻ってことでやり直せないかなあと考える。
 大道芸を見てくれるお客さんたちの笑顔もいいが、あの団地の面々と騒ぐのはもっと楽しい。
 は手早く荷物を片付け、重い体を弾ませるようにして帰宅の途についた。










 「……って、まだ……!」
 「…から、……! 子供は……る時間……!」
 「い……テメェら、……!」

 靴音響く階段を登りきる頃、何やら悲鳴が聞こえてきた。
 何故、と思う前には素早く気配を消して、階段の影から自室のある3階の様子を窺う。
 しかし、最警戒モードにも関わらず目に映ったのは見慣れた面々ばかりだった。

 (ユキムラとサスケとマサムネ?)

 メゾン戦国北棟307号室、つまりはの部屋の前で3人の男どもが現在時刻も考えずに言い争いをしている。何だこれは修羅場か。私とその人どっちが大事なの!? この場合一体誰が上なのか。それとも誰が泥棒猫で誰がお母様なのか。はいい感じに疲労で頭が回っているらしい。

 「何してんの、お前ら」
 「!」「殿!」「の旦那!」

 この3人組なら危害はあるまいと出ていくと、デモ隊よろしく座り込んでいる幸村と不良の如くその周りに立つ政宗・佐助がこちらを向いた。
 ふと気付く。あれ俺んちの扉やけに傷だらけじゃないか。ていうかぶっちゃけへこんでるけど、まるで頭突きでもされたみたいにへこんでるけど。

 「Hey 幸村、丁度いいじゃねえか。が帰って来たぜ? さっさと用を済ませたらどうだ」
 「あ、そ、そうだね。旦那、早く言って貰って帰ろう。もう寝る時間はとっくに過ぎてるんだから」
 「う、…うむ!」
 「ふへ? 何何?」

 何が何だかわからないを尻目に、焚きつけられた幸村は肩をいからせ右手右足を同時に出し、湯気でも出そうなほど真っ赤になって彼の前に仁王立ちする。この時点ではかなり引いた。
 吸って吐いて深呼吸。幸村はきっと目をあげ、は後ろ手にジャグナイフを掴む。

 「のの!」

 舌を噛んだ。

 「Oh…」
 「あちゃー…」
 「ユ…ユキムラ、大丈夫? Stai bene?」
 「ら、らいひょうぶでごじゃる…」

 幸村は再び深呼吸して、リテイクスタート。
 きっと目をあげ、今度はぐわしとの肩をにぎりしめ、

 「と、とととトリックオア、オア、―――破廉恥ィィ!
 「旦那―――!?」

 何を想像した真田幸村17歳。
 真っ赤にボフンと茹であがり、月まで届けと絶叫する。トリック オア 破廉恥。
 ある意味究極の選択である。

 「Wow…真田も男だったんだな。成長したもんだ」
 「ついにオトナの階段を…。もちろん破廉恥を選ぶよ! ちょっと待って、すぐに無修正のオタカラ持ってきてあげる!」
 「旦那方、ちょっと黙ってくれるかな
 「「すいませんっしたァ!」」

 ぷしゅぅと真っ白に燃え尽きた幸村を立たせ、佐助は大きくため息を吐いた。
 悪ノリはしっかりするくせに未だ状況が飲みこめないらしい(それも当然だ。佐助だって何がどうなってこうなったのかさっぱりわからない)に軽く頭を下げる。

 「まあ暴走したのは旦那だしね。仕事帰りに迷惑かけちゃってごめん」
 「別にいいよ。ところでその玄関は一体」
 「……うん…なんて言うか、ほんとごめん……弁償するから」

 ああやっぱり佐助は苦労してるなあと思いつつも声には出さない。弁償はしっかりしてもらいたいのだ。
 ところで、とはにんまり笑う。

 「Dolcetto o scherzetto?」

 ぴしり、と佐助が固まった。耳慣れない言葉でも、言わんとすることは明確である。
 いやだっての旦那のことだから悪戯はそりゃもう本格的だろうしかといって今お菓子なんか持ってないわけで、っていうかハロウィンってもう終わったよねそうだよね!?
 鯉のように口をパクパクしていると、「冗談、」とはひらひら手を振った。

 「俺も、仕事続きで悪戯考えてないし」
 「そっかー…そりゃー大変だねー(良かった! 本当に良かった!)」
 「でも、ユキムラはハロウィンしたかったみたいだね」
 「ええーとそれはそのっ」
 「伝えて。すぐに、全力でハロウィンリターンズしにいきますって」

 不吉なポイントばかり笑顔で強調し、は今度こそさよならと別れを告げる。
 やけに冷え込む夜風に吹かれ、佐助は幸村を引き摺って帰った。幸村が暴れた後始末はいつも佐助なのである。胃が痛い。

 さて俺も早く寝ようかなと鍵を探してポケットをまさぐると、「Hey,」やや不機嫌そうな声が眠気にぐらつく意識を引き寄せた。
 寝たいのにと少々不機嫌に「何」と振り向くと、憮然とした政宗が、

 「俺もするぜ」
 「何を」
 「Halloween. You see?」

 ぎくり、は笑おうとして失敗した顔のまま高い位置にある独眼を見上げた。
 廊下の埃っぽい蛍光灯の光を後光に、それは髪の影になってかなり不気味なものとなっている。まるでアンデッド。そういやハロウィンは悪霊が出てくる日なんだっけ、と頭の隅が現実逃避をし始める。やっぱり相当疲れているようだ。この期に及んで逃亡策も立てられず、ただやばいやばいと警鐘が響くだけである。
 挙動不審なに、政宗の目がすっと細まる。の肩がびくりと揺れた。
 けれども、政宗はお決まりの文句の形に開いた口を閉じ、視線を夜に逃がして頭を掻く。チッと舌打ちが聞こえるが、舌打ちしたいのはこちらの方だ。

 「ったく、調子狂うぜ……いいか、return matchだ」
 「へ…?」
 「今のアンタに挑んだって、何も楽しかねェんだよ。さっさと回復しやがれ」

 ハロウィンに挑むって何だ挑むって。突っ込みたいのは山々だが、がそれを言う事は無かった。
 何故なら、にもふつふつと沸きたつものがあったので。

 「……ハッ、OK, 吠え面かくんじゃねぇぞ!? ばっちり休んで、しっかり罠にはめてやる!」
 「Go ahead, make my day!(できるもんならな!) トラウマ作ってやるよ」

 最早二人の中にお菓子は存在しないようである。

 「その言葉そのまま返してやる。本場なめんなよ?」
 「イタリアは本場じゃねぇだろう? 飲み食いするだけじゃねぇか」
 「巡業でイギリス行ったことくらいあるわ! ていうかわざわざ調べたのかお前」

 ぐ、と政宗は言葉に詰まった。
 実は秋になった時点で色々調べて準備していたなんて言えない。政宗のお気に入りには数多のネタサイトが登録されており、部屋には小道具や計画メモが日の目を見るのを待っている。
 幸村に負けないくらい、というか幸村以上にハロウィンがしたくてたまらないのだ。
 しかし、疲れきって大した反応を返せないだろう今のに仕掛けてもつまらないだろうという事はわかりきっている。
 うずうずする自分を抑えつけ、政宗はとにかく、との舌鋒を畳みこむ。

 「しっかり休め! 明日は俺と小十郎で飯作ってやる。逃げるんじゃねぇぞ?」
 「誰が逃げるか! Buona notte!(おやすみ!)」

 べぇー、と舌を出し、は乱暴に鍵を開けて部屋の中へと入っていった。幸村の攻撃に耐久力の臨界点までキている扉がぎしりと軋む。
 適当にシャワーを浴びて寝る支度をし、毛布に滑り込めば途端に睡魔がやってきた。

 (ええと、どんな悪戯、しようか、な……)

 意識が溶けていくその瞬間まで思考は踊る。疲労をどこかへ放り投げたまま、は夢の波間へ漕ぎだした。





 Dolcetto o scherzetto?










 楽しい楽しい夢を見よう。今日は子供の日、悪戯の日!
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 Happy Halloween!
 乗り遅れた感満載ですがまだいけると信じてる。
 合同かよと叱られそうですが、二万記念フリー作とさせていただきます。
 持ち帰り自由。
 著作権は手放しておりませんので、サイトに掲載される場合はその旨の表記をお願いします。
 いつも「花と雀」にお越し下さり、ありがとうございます!
 081104 J