その男はふらりと現れた。より正確に表現するなら、その男はふらりと出現した。何も無い、あえて言うなら柱の影くらいしかない場所から現れたのである。

 「………!?」
 「政宗様、お下がりください!」

 とっさに政宗は抜刀し、小十郎は素早くその身を主と今しがた出現した不審者の間に割り込ませる。
 唸りを上げる強面の男を艶やかに見下して、不審者は「ほう、ほう、ほう」と満足げな声をあげた。

 「中々に美しい主従愛ではないか。どこぞの平茸におがませてやりたいものだ」
 「てめェ…何者だ?」
 「そう猛るでないよ。家臣は主人に忠実な犬であり、敵を排すのが役割だが、主人の意向も聞かず客にさえ牙を剥くならそれは駄犬というべきだ」
 「お前が客だと? 招いた客なら門から入るものだ」
 「ワシは門から入ったよ? ああ、門番たちを叱ってやるでないぞ。彼らは一途に命を果たしたのだから」
 「てめぇ…!?」
 「Stop, 小十郎! まだ手ェ出すんじゃねぇ」
 「しかし政宗様…」

 小十郎を黙らせた政宗は、抜き身の刀のような目を不審者に向けた。
 まるで斬りつけようとするかの如きその眼差しを、不審者は傲然と受け止める。

 「コイツには聞きてぇことができた…俺の家来たちに、何をしやがった……!?」

 歯をむき出しにして凄む政宗の怒気に、脇に退いた小十郎は圧された。独眼竜と称えられる彼の主は、若いながらに圧倒的な威を発している。
 しかし不審者は飄々と笑うのみだ。楽しげなその瞳は夜を煮詰めたようで、小十郎の脳裏にある男を思い出させる。
 顔立ちも体格も年齢さえも違うのに、その禍々しくも悠然とした様は彼ら主従に煮え湯を飲ませた男に似ていた。

 「松永の…類者か…!?」
 「当たらずとも遠からず、と言っておくかのう」
 「一度ならず二度までも! 今度は何も奪わせやしねぇ、松永にそう伝えな!」

 不審者の首筋に刀を添わせながら、政宗が宣言する。両手で掴めば指が余りそうな細頸に触れた凶器に、しかし不審者は眉を動かそうともしない。
 毒を含んでいるように赤い唇を吊り上げて、彼は「なにやら誤解しておるようだが、」と苦笑した。

 「ひーちゃんがやらかした何ぞはともかく、ワシは贈り物を持参した」
 「ひーちゃん…?」
 「ひーちゃん…?」

 沈黙が音を立てて落ちた。
 ひーちゃんってなんだ。話の流れ的にあの平茸か。確かに奴の名前は久秀だけども。
 目の前の年若い男にひーちゃんと呼ばれている久秀を想像して腹が震えた。あ、やばい凄く笑える。物凄く嫌そうな顔してそうだ。この不審者はそれを見てニヤニヤしてそうだ。
 現実そのままの想像に二人は顔を背けて笑う。

 「クっ…ひーちゃん…」
 「小十郎、今度会ったら言ってやれよ…クククッ」
 「心得ました……!」

 主従が熱い誓いを刻んでいると、「なんじゃ、丁度良かったのう」とちゃっかり刀から離れた不審者が笑った。

 「喜べ。あの男、すぐに来るぞ」
 「何!?」
 「政宗様、すぐに守りを固めるよう言ってまいりま」
 「お、来たようだな」

 小十郎の言葉を遮り、不審者は遠い空を見遣った。夏の名残か、白さの残る青である。
 その空の彼方から、聞き覚えのない悲痛な響きで、聞き覚えのある声が徐々に徐々に空気を震わせてきた。そんな場合ではないというのに思わず耳を澄ませてみる。

 ―――……ィィらァァァアぐうううもおおおおおおお!!

 何。
 その瞬間、主従の心は一つになった。視線は声を隔てる城壁に釘付けである。
 満面に煌めく笑みを浮かべ、不審者は城の城壁に飛び乗った。その手に無造作に握られているものに、政宗は思わず我が目を擦った。
 あれって茶器じゃなかろうか。しかも結構な名品だ。そう、例えば平蜘蛛茶釜とか呼ばれてそうな。

 「おおーい、ひーちゃあああん!」
 「―――ッ! 貴様今日という今日は、ぎゃあああああ平蜘蛛ォォォォ!!」

 ぶらんぶらん振り回される茶釜につんざくような悲鳴があがる。あれお前キャラ違くねと政宗は思った。憐れな…と小十郎は思った。
 残酷にも、ぴょこぴょこ飛び跳ねているは城壁のあたりで振り回されている手だの刀だの炎だのを器用に避け、「うむ、流石良いものを持ってきたなあ」と一人納得している。
 どうにかこうにか壁に這い上がった久秀は全身で呼吸をしている。老体に激しい運動は毒だろう。若人二人が敬老の日は久秀に湿布を送ってやろうと考えている目の前で、は当然のように久秀の左手から舶来の瓶をもぎ取った。

 「独眼竜、これがワシからの贈り物だ。感謝して飲め」
 「what…?」

 つか、欲しくないんですけど。
 ずずいと差し出されたシャンパンに、政宗は思わず身を引いた。唯一残された左目が、笑顔のの背後に誘われてしかたない。
 左目に映った光景。塀の上で茶釜を掻き抱く虚ろな瞳の松永久秀。乾いた唇から洩れる、平蜘蛛、平蜘蛛という睦言。
 いたたまれない。いたたまれなさすぎる。

 「気にすることはない。どうせ汚れた金だ」
 「もっと受け取れるか!」
 「政宗様に何を飲ませる気だ!?」

 はやれやれと肩をすくめ、虚ろな久秀を示して言った。

 「毒なら心配ないぞ。ちょいとあの釜を借り受けて、これに釣り合うものを持ってこいと言うただけだ。その酒はひーちゃんが等価値として勝手に選んだものよ、気になるならばひーちゃんに毒見をさせれば良い。どうせ祝いを述べに来たのだからな」
 「……一つQuestionだ。さっきから祝い祝いと言ってるが、何の祝いだ? 松永に祝ってもらうことなんざ心当たりがねぇが」
 「奥州では、たんじょうびとかいうものを祝うのだろう?」

 それならば寿ぎの一つや二つ、とは言う。
 しかし政宗も小十郎も、どんな所以で、よりにもよって久秀とに祝われるのかわからない。は初対面だし、久秀に至っては殺しあった因縁持ちだ。
 嫌がらせの方がまだしっくりとくる。

 「……松永が政宗様に礼を尽くすとは思えんが」
 「ひーちゃんとて名の通った文化人だぞ?」
 「それにしちゃあ、あの白髪首とっくにlostしてるぜ?」
 「それなら心配はいらん」

 平蜘蛛を抱いて去った久秀を捕えようともせず、むしろ温かく見送ってやった小十郎は、が掲げた右手を見てぎょっとした。

 「な、な、何故…!?」
 「フフフ、これがあればひーちゃんは帰ってこざるをえん!」

 久秀が抱いていたはずなのに、その手が掲げていたのは紛れもなく平蜘蛛茶釜だった。
 遠くで二度目の悲鳴が上がる。いつの間にかシャンパンを押し付けられた政宗は、恐る恐る尋ねた。

 「松永が持ってた茶釜は…」
 「石だ」

 可哀想に。
 同情するにはまさかの人物だが、主従の心に溢れたのはまさに同情の念だった。

 「あ、アンタ鬼か!?」
 「ワシは人さね。さあさあ今日の主役よ、祝杯をあげられよ」

 気がつくと杯を握らされていた政宗に、小十郎が慌てて毒見をしようとする。政宗はもう遠い目だ。短いやりとりだけで十分わかった、こいつはなんでもありなのだ。
 波打ったシャンパンの雫が久秀の涙に思える。笑えない。
 久秀の怒声をBGMに、は高く杯を掲げた。

 「若人の成長に、乾杯!」





 Drop of champagne

 果心居士、主役食ってる;
 (諦観の意味で)大人になる筆頭と叫ぶ松永さんが書きたかった
 080911 J