外つ国には誕生日というものがあるらしい。
 そう呟いた子供はどこか投げやりで、祝ってもらえないことなど承知と言わんばかりの口調だったものだから、坊は彼の生まれた日を尋ねずにはいられなかった。
 子供はその質問に隻眼を少し見開いて、「葉月の三日」と小さく答えた。僅かな期待を滲ませて。





 I am happy




 もう少し早く言えと坊は叫びたかった。梵天丸は遠慮勝ちに坊を見上げている。片目に巻かれた包帯が痛々しいが、それを除けばただの子供にしか見えない。そんな子供にひたと見据えられて心の動かないものがいようか、いやいまい。いたとしたらそいつは人間どころか妖ですらない。この坊が保証する。
 思考が違う方向に飛び立ち始めたが、諦めたかのように俯いた梵天丸にタービン逆旋回で着陸する。エンジンが火を吹こうが知るものか。膝を抱えて舶来書物に眼を戻した梵天丸を慌てて構う。

 「それじゃあ、梵天丸はいくつになったんだ?」
 「もう十一だ」
 「へえ、とてもそうは見えんな」

 もっと栄養をとれとぽんぽん頭を叩いたら、余計な御世話と振り払われた。今度秋の味覚でもたらふく食わせてやろうと思う。こいつはどうにも少食だ。食べる量なら弥三郎の方が断然多い。
 そういえばしばらく会っていないと懐かしい顔を思い出す。もう十四、五にはなっているかもしれない。松寿丸は元気だろうか。願わくば吉法師のように狸もびっくりな変貌を遂げていませんように。かわいいものがオヤジになるのは何度見ても忍びない。

 「時間があれば、御馳走を用意したのにな」
 「……の飯より、しろの飯の方がごうかだ」
 「山暮らしと殿さま暮らしを一緒にするな! 鮮度では負けとらんわ!」

 憎まれ口を叩いてはいるが、梵天丸は城の飯より坊と食べる飯の方が好きである。最近は城の飯を残して坊のところで食うといった小細工も使うようになった。
 質素倹約な坊が知ったら拳骨を落とされそうだが、毒が盛られているかもしれない豪華な飯と誰かと食べる質素な飯なら後者を選ぶのが人間だ。ちなみに坊は、ガキんちょ共に飯をたかられるようになってから畑仕事に手を出した。魚や木の実だけでは成長期の腹は膨れないし栄養バランスも偏り気味だからだ。
 日々向上していく農業スキルに天狗としてのアイデンティティーを自問自答したくはなるが、とりあえず米の刈り入れをやってしまわねば台風が来る。こうして坊は後年小十郎に師と仰がれるようになっていく。天狗なのに。

 ふと会話が途切れ、虫の音が聴覚を覆う。坊の棲み処は山奥だ、虫の声は降るように注ぎ、どこかで鹿の鳴く声がする。
 月は中天に懸かり、既に深夜と言ってよい。
 黙り込んだ梵天丸が何を考えているのか坊にはわからない。けれども城に帰りたがらない彼の立場がどのようなものかは想像がつくし、何かを諦めたような声音で誕生日と呟く理由もわからないではなかったので、坊は溜息を一つ吐くと立ち上がった。梵天丸の背中がびくりと揺れる。

 「行くぞ、梵天丸」
 「……まだ平気だ。ふとんには時宗丸をつめてきた。あいつは寝たら起きないから、小十郎が起こしにくるまではばれない」
 「お前、抜けだすのがうまくなってきたなあ」

 思わず呆れてしまう。最初は小細工なんてしなかったのに、布団を詰め人形を詰め、ついには身代わりにまで手を出した。このまま大人になったらロクな人間にならないんじゃないか。胸に去来した予感は遠くない未来に実現してしまう。

 「けど、駄目だ。子供は食って遊んで寝るのが仕事。ほれ、立った立った!」
 「………」

 梵天丸は嫌々ながら立ちあがる。ここが弥三郎たちとの差であり心配事でもあった。
 時々突拍子もないが、基本的に梵天丸は年の割に大人しく、駄々をこねることもない。
 物分かりが良すぎる。坊としてはもう少し子供らしくしたらいいのにと思わずにはいられない。梵天丸はきっと、大人しいだけの子供ではないはずなのに、それを無理矢理抑えつけているような現状が坊にはとても歯痒い。

 無事に城まで送るために手を繋ぎ、結界を抜けて森の端まで出るのがいつものお決まりだ。
 しかしこの日は、森の真ん中に出るに留めた。初めて来た場所に梵天丸がきょろきょろ辺りを見回す。降るような虫の音は相変わらずだが、深い深い森の夜は暗闇がそこらよりずっと濃い。僅かに手を握る力が増したので安心させるように握り返してやり、片手で鋭く印字を切った。
 (この感覚久しぶり)、気付いたら陰陽師から天狗に変わっていた変わり種は、昔取った杵柄に感謝した。

 「……! 、これ……!」
 「ん、誕生日のお祝い」

 坊が真言を唱えるや突然視界に溢れた光に、梵天丸は一つっきりの目を大きく見開いた。
 まるで夢のような光景だった。恐ろしげな闇の中に、幾千幾万の光が瞬いている。それは地を跳び宙を舞った。
 星のようでもあり蛍のようでもあった。有機的に明滅しているので蛍といった方が正しいかもしれない。しかし季節は秋であり、蛍はとっくにいないはずである。

 「綺麗だ…」
 「そうだな。梵天丸、これが何かわかるか?」
 「………」

 悔しそうに黙りこんだので、答えを教えてやる。

 「生き物だよ。虫、木、低級霊、精霊、そういったものだ」
 「……後半、生き物か?」
 「当たり前だろ」
 「………」

 なんだかんだでやっぱりこいつ妖だ。分かり合えない一線はどこにでも転がっている。
 梵天丸の沈黙の意味には気付かず、坊はその場に寝転んだ。促すような視線を送ってくるので、梵天丸も隣に寝転んでみる。
 木々の間から覗く星空へ向かうように、周囲の光の粒が立ち上って見えた。

 (光の雨の中にいるようだ)

 その光景に息を呑む。
 見逃さないよう、食い入るように目を見開いている子供の横顔に坊は小さく笑う。子供に落ち込んだ顔なぞ似合わない。
 そのうち梵天丸がうつらうつらしてきたので、冷えないように上掛けをかけてやった。

 (夜明け前、に戻ればいいんだよな)

 聞こえてきた健やかな寝息に、坊はにっこりと笑った。




 翌朝、やはりというか寝坊した。


 旧暦8月3日は現在の9月5日だそうです
 バサキャラって厳しく育てられてそうだし家庭環境複雑なので、
 天狗主は甘やかす立場でいいんじゃないかと
 梵天丸時代は根暗だと信じてる
 時宗丸:成実の幼名
 080907 J