あの町にいた頃、おれは眠りに就く前の数秒が愛おしかった。 東の空が白んでいく。光の中に溶けていく星を名残惜しく見送る。消えていく何万光年向こうの光たちに追いすがるように、おれは一緒に目を閉じていた。 あの頃。西の空の明かりが消え、東の空に明かりがつくまで、その時間におれは虜になっていた。何故、何が、おれを捕えたのかわからない。小学生の頃のおれは、磁石を持って走り回って、砂鉄を集めるのが好きだったし、高校の夏休みは鉱石集めに没頭して歩き回り、捜索届けまで出された。進学にあたり地学部を選んだときは、両親から諦め気味に好きにしろと言われたくらいだ。 けれどおれは、気がついたら、鉱石の採集箱も、原基配列表も放り出していた。ゼミの連中がスコップを持って歩き回る。おれは、望遠鏡を買いこんだ。そうしなければならない、と思ったからだ。、お前は何のために地学部に来たんだと呆れるゼミ生に、教授が仕方ないと言っていたのを覚えている。仕方ない、何年かに一度は、こういう奴がいるんだ。その時のおれは気にしなかったけれど、あとで、教授もそういう奴だったのかな、と思い返す時がある。石の世界で一生を送ると決めたひと。二年、お世話になったけど、教授の顔は覚えていない。ただ、宝物だと言って、何の変哲もない珪藻土を撫でていた指先を覚えている。ひょっとしたら、おれは、教授と仲良くなることができたのかもしれない。 おれは星を愛していた。何故かなんて、今でもわからない。 一晩中望遠鏡を覗いて、眠りに落ちる瞬間が最高だった。瞼の裏に残っている輝きが、睡眠前の無感覚と相まって、本当に宇宙の中にいるみたいだった。 伸ばした手は、木星に届いた。足元にアンタレス。冥王星の向こうから、ボイジャー2号の送る信号が聞こえる。 ゆらり、ゆらりと。おれは一粒の原子になって、宇宙の底を漂っていた。ひどく満ち足りた感覚。おれはここに生きられたら、もうそれで。それで、何も。 それが、ある時から、少し様子が変わった。 多分、元親に抱かれて寝ていた頃だ。眠りに落ちる前の瞼の裏。恒星たちの遥かな光がさざめいていた瞼の裏。そこに、ふわりと、極光のように揺れる光。 驚いてそれを追い、見上げると、遠く遠く、鮮やかな、まるでそれが唯一の恒星だというように、巨大な、朧な光源。 緑がかったそれを、おれは呆然と見つめる。伸ばした手の先に木星。足元にアンタレス。冥王星の向こうから、ボイジャー2号の送る信号が聞こえる。そしておれは、元親の碧い瞳に似た光条の差しこむ中で漂った。光は、雲を透かした月とも違う、頻繁な揺らぎを見せた。遠く、恒星の白い輝き。星雲の鮮やかな星間ガス。底から絶え間なく浮遊して行く気泡の光。元親がよく読んでいる、シュノーケリング専門誌の写真のような。 最初、おれはそれが怖かった。 揺らいでいくものなんかより、ずっと、何万年も、何億年も、周回軌道を描く惑星の間に、戻りたかった。いつか恒星までもが、気泡のように動き出す、きっと。そうなったらおれは耐えられないと思った。静かな、ボイジャー2号の呟きだけが聞こえる世界へ。生命の気配なんか微塵もない、あの、安定した、静謐な世界へ、帰して。ポォン。密やかな交信音。氷と塵の尾を引いて、彗星が一筋。おれは漂う。万華鏡が回るみたいに、きらきら降り注ぐ光の中で、惑星と恒星の軌道の隙間で。 ―――ポォン。 ――――――――ポォン。 冥王星の向こうから、遥か海溝の深みから、静かに、交信音が響いてくる。宇宙探査機。深海探査機。ごぼ、と海流の動く音。ポラリスの輝き。 おれは、いつしかそれが、例えようもなく愛しくなった。 働き始めて、最初の夏は、どこか海にいくつもりだ。 あの町にいた頃、元親が隣にいた頃、おれの瞼に流れ込んできた海は、多分。多分、元親の、あいつの中にあったものだろう。 もう、おれの傍に元親はいないけれど、それでいいとおれは思う。 おれの瞼の裏には、宇宙と、海が、ある。
マリアナ海溝より
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「夢と現のはざまに」島さんへ! リクありがとうございました! 110519 J |