「政宗先輩は入って来ちゃダメです」

 政宗の大きな屋敷に見合う洒落た造りのキッチンの入り口で和水は両手を大きく広げてそう言ってのけた。
 眉間に皺寄せてキッと目を見開いて睨みつけてこようと、政宗の家に何故かあったフリルのたっぷり入ったピンクのエプロンを押しつけられるように身につけている和水がほんのり頬を紅潮させて威嚇していても可愛らしいだけで政宗を無駄に喜ばせている。
 「僕、動きませんからね」
 更に威勢のいい台詞を重ねられても逆に過虐心を擽っていくばかりだ。
 「誰にそんな口きいてんのか判ってんだろうな、和水」
 高校入学時に保健医の前田と一緒にいる所を見かけて以来気になっていたこの朝倉和水を早々に自分の生徒会(テリトリー)へ引き摺り込んでから二ヶ月。
 この短時間でするりと融け込んでしまった和水からキッチンを貸して欲しいと言われて政宗が頷いたその週末。自宅に訪れた和水は政宗が台所に入ろうとするのを頑なに断っていた。
 断られると逆に知りたくなるのは人の常。俄然やる気になってしまった天の邪鬼の政宗に今、押しに弱い和水が苦戦している。大体、自宅の台所を貸している上に趣味は料理と公言する政宗が中で何が行われているのか気にならない訳がない。
 あわよくば可愛い後輩に手取り足取り料理どころかそれ以上のことだって教えてやってもいいとさえ思っている。
 「和水」
 常より格段低くおとした声に薄い笑いを口角に乗せた政宗が上目遣いにきゅっと唇をかんでいる和水を居丈高に見下ろしている。
 「だって!」
 「だって…なんだ?」
 ずいっと鼻と鼻がくっつきそうな位顔を近づけた政宗は言葉の荒さに反して楽しそうに見える。和水のほうはそんな政宗とは逆に余裕も無く眉尻をキュンと下げた困惑顔だ。
 「だって…」
 「んん?聞こえないね」
 政宗の唇が和水の耳朶先に触れるか触れないかまで近付けられれば当然のように和水の唇は政宗の耳朶を撫でる位置に置かれてしまうわけで、低めの甘さを含んだ美声と体温で逆上せて心臓が煩く動き出してしまうその距離に和水は戸惑っていた。
 ふうっと息まで吹きつけられれば目が廻りそうになる。色恋に免疫の無い和水は足腰に力が入ってるのかも自分で立っているのかも判らなくなっていた。
 政宗はと言えばそんな和水の反応を楽しんでいるのだから意地が悪い。
 それだけを見ても、政宗と和水の人生経験の差はたった一年だと言うのにまるで大人と子供ぐらい対処に差がある。
 混乱したままの和水が遂に顔を真っ赤に染め息まで止めたものだから、酸欠で頭の中に霞が掛かってしまい言いたい事さえ言えなくなってしまった。
 と、同時に通せんぼをしていた手が次第に下がっていく。その姿に、悪党張りの笑みをのせた政宗はしたり顔で力の抜けた和水の体を抱え込みながら奥のキッチンを覗こうと身を乗り出した。
 が、すぐに視界を塞ぐ影。
 「Masamune che non deve dare fastidio ad una signora abbastanza giovane.(可愛い子を困らせてんじゃないよ、政宗)あぁあ!なんて事してくれるんだ!和水が役立たずになっちゃったじゃないか」
 政宗の腕の中でくたりとしている和水を目にしたハイテンションな青少年が早口のイタリア語で文句を言い放つ。
 「このオレに向かって文句とは大した度胸…だ、な……」
 突き付けられた苦情に不機嫌のオーラと半眼を向けた政宗の目が真っ白な塊にくぎ付けになる。
 「… it a joke ? (冗談…だよな?)」
 目に眩しい白い割烹着に身を包み、きっちり髪を覆った三角巾と腰に手をあて仁王立ちする両手に掴まれているゴムべらと計量カップ。
 料理は、出来る男の嗜みとまで言い切る政宗にとって、その完璧なまでの調理スタイルに異論はない。異論どころか古き良き時代の母を思わせるほど由緒正しい姿ともいえる。
 だが、その母なるスタイルでキッチンの入口を死守する人物に問題があった。
 常々、調理はセンスだと政宗は思っている。
 向き不向きだってある。だが、味付けや見てくれが悪かろうが、互いに愛さえあればどんなものを差し出されたって完食する自信が政宗にはあった。

 だが、コイツのだけはいただけねぇ…

 「何してる、。てめぇにうちの台所貸した覚えはねぇぞ」
 そんな恐ろしい事絶対にオレは許さないと、ドスのきいた声に被って舌を打つ音が派手に響く。
 「料理に決まってんだろ。台所で筋トレする訳ないじゃん」
 マサムネって意外とおバカぁ?、と手にしたゴムべらを器用に回しながらのうのうとそう言い放ったのは留学生扱いのだ。イタリアを本拠地にするサーカス団で道化師を生業としているだけあってその指使いは一流だ、が、この、料理に関しては人としてあるまじき破壊的才能を持っていた。
 味付けだけは良い。それは保証できる。だが、ただそれだけだ。味以外の料理そのものに問題があった。何処をどうすればこんなものが生れ出るのか答えが出ない程の料理をは生みだすのだ。
 はじめて手作りの料理を勧められ目にした時ほど、正気を保ってしまった自分の理性を呪った事はない。怖気の走るその記憶は封印してさえ尚黒く湧き上がってくる。出来る事なら意識を飛ばしてしまいたい程の衝撃があった。
 表現する言葉の無い料理への形容。
 あれは人の精神の限界を試す究極の料理としか政宗は評する事が出来なかった。
 ともかく、人類はおろか創造神の斜め上を爆走する勢いのの料理は筆舌に尽くし難い。
 …というか言葉にするのが、憚られるし、出来れば思い出したくなかった。
 その究極の料理人が政宗宅のキッチンにいるのだ。
 これほどの脅威はない。
 政宗は早々にを丸めこんでこの聖域(キッチン)から引き摺り出させねばならないと、握る拳に力を込め心に強く誓った。





 政宗にとっての眼前の脅威はまさにだ。をキッチンから引き剥がす為に今まさに政宗の脳内はフル稼働状態だ。
 取りあえずこの場に二人がそろった理由を知る必要がある。相手ではのらりくらりと交わされるのが目に見えているから尋ねるなら和水がいい。
 「和水、お前何する気だったか正直に言ってみろ。事と次第によっちゃオレはここから先に足を入れねぇから」
 政宗の色香攻撃にふにゃふにゃだった和水も真面目な政宗の声色に少しだけ思案したが諦めたように話し始める。
 「……言いだしたのは元就君で」
 「元就?毛利元就か?」
 政宗の頭に浮かんだのは線は細いが態度の大きな一年書記の繊細な顔。
 悪戯と脱走を繰り返す捕獲の為に放課後を費やしている政宗に代わって生徒会の細かな事務をこなしている出来る執行部役員の一人だ。肝心な部分の指示は出すものの留守がちの政宗の仕事を捌いている姿は将来の生徒会主軸としての片鱗を垣間見せている上に、入学後二カ月にして既に役員の要となりつつあった。
 「はい。来月の体育祭に向けてみんな連日居残り作業しているんですが、休憩の時、『我の働きに値する菓子もないのか』って元就君が言いだして」
 恥ずかしながらも膝の力が抜けたままの和水は床の上から話しを続ける。
 「お茶を淹れるのは元親君が一番上手なんですが、それに市販の駄菓子は合わないから『早々に作ってまいれ』って」
 隣りに立つに向かって和水が同意を求めて見上げればも、うんうんと肯いている。
 「そうなんだよね。で、暇そうだった和水とオレがそのお役目を頂戴したって訳。Lo capi ?(判った?)」
 相変わらず腕を組んでまで器用にゴムべらを回しているから政宗がそれを奪い取った。
 「だからって何でオレがキッチンに立ち入り禁止になる?第一、今の話なら生徒会内部の話だろう。なのにどうやったらお前が菓子作る話になるんだ、
 「それは、その場にいた、から?」
 こてんと首を傾げて問いに問いで答えるに政宗の手の中でゴムべらがみしりと音を立てる。
 和水の申し出を受ける前日は貴重な放課後を校庭に巨大な噴水を作るんだと落とし穴を掘った捕獲のために政宗は奔走していたはずだ。日々経験を積んで捕獲の達人となりつつあった政宗を持ってしても捕まらなかったその日、生徒会室でなされた菓子作りの話を知っているとなると、がそこに避難していたのは間違いなかった。
 灯台もと暗しっていうのはこう言う事だと政宗は自分の間抜けさに臍をかむ。
 突然沈黙してしまった政宗に、和水は自分が政宗のキッチン入りを拒否した事で政宗が怒っているとでも思ったのだろう。慌てて俯いている政宗の顔を覗き込んだ。
 「すみません、政宗先輩。丁度いいチャンスだからたくさん作ってお世話になった人たちにも配ろうか、って。それで先輩がトッツェッティの作り方教えてくださる事になったんです」
 「E cosi ! (そうなんだ)トッツェッティなら今日作って明日持ってっても問題ないんだけど、たくさん作る為のでっかいオーブンなんてそん所其処らに無いだろ?だからおれがマサムネの家のを借りればいいって言ったんだけど、和水がマサムネも驚かしたいから内緒にしたいって」
 「で、立ち入り禁止か」
 「すみません」
 に勝手にキッチン使用を決定されていた事に腹は立つが、政宗はしゅんとなった和水に思わず笑みを零してしまう。政宗の家のキッチンを借りるという選択をした時点で内緒で行動するのは無理な計画だったのだが、十分愛されて育てられたのだろう事がうかがわれる和水の純粋な優しさと可愛い悪巧みに胸は暖かくなる。
 くしゃりと和水の髪をかき交ぜる政宗の顔は至極柔らかい。
 「ありがとな」
 政宗の表情にほっとしている和水の髪をさらさらと梳きながら、知らない振りをして和水の策に嵌ってやればよかったと思う反面、その片棒を担いでいる危険分子の排除は避けられないと心を鬼にする政宗だ。
 「だが、てめえは駄目だ。こっちにきやがれ」
 和水の肩をぽんと軽くたたいて顔をあげた政宗が優しげな眼差しを一転させる。に向ける隻眼は獲物を狙う獣の耀きを放っていた。
 「てめえには日頃の苦情を耳にタコが出来て取れなくなるまで聞いて貰わないとな」
 「いっ!?」
 一瞬身を強張らせたものの政宗の変わり様に素早く身を翻して逃走を図っただが残念な事に自分が立っていたキッチンは袋小路だ。背後にそびえる白い壁と背筋を這う悪寒と正面で仁王立ちする政宗の勝ち誇った顔を前にして、今日の敗北を実感したであった。
 絹を裂く様な悲鳴とがっしりと自慢の握力を駆使しての耳を掴んだ政宗がやっと立ち上がった和水の横を通り過ぎて行く。
 政宗の半端ない握力で真っ赤になったの耳と眦に浮かんだ涙に見ている方が痛くなるが、今を連れていかれては彼の脳内にあるトッツェッティのレシピまで持っていかれてしまう。
 「先輩っ!トッツェッティ、どうすれば…」
 すんでの所で通り過ぎようとするの腕を取って和水が引き留めにかかったが、それを政宗は無情にも引き剥がすと、材料の並んだキッチンと政宗達を交互に見ている和水に言い放った。
 「和水、俺からの忠告だ。人間やめたくなかったらに料理させんじゃねぇ。もしそれが守れねェならそれ相応の覚悟固めておくんだな」
 「マサムネ、あんまりだ!」
 痛みに涙目なのか政宗の暴言に胸を痛めているのか定かでないが反論するが、政宗は全て無視した。
 「それってどういう…」
 「聞くな、和水。人には超えちゃいけねぇ一線ってのがある事だけ覚えておけ」
 「でも、」
 「トッツェッティはキッチンの棚にレシピがある」
 確かにレシピさえあればいいのかもしれないが、不在のままで予定していたお菓子を一人でつくる自信がない。
 あからさまに不安そうな顔をしている和水に政宗は空いている方の手を差し伸べてこんと額をつついた。
 「和水、キッチンは好きに使え。お前の作ったトッツェッティ、楽しみにしてるぜ」
 「政宗先輩」
 事態の丸投げに和水は返す言葉も無い。
 だが、の捕獲も上手くいった政宗の機嫌は想像以上に良かったらしい。満面に笑みを浮かべながら
 「それに、その方が保健医も喜ぶ」
 と、和水に耳打ちするとキッチンを後にした。


 ただ残された和水は複雑そうだ。
 「慶次先生にもあげるつもりだったの、なんで政宗先輩が知ってるんだろ」
 その背中を見送る和水が呟く。
 急に静かになったキッチンが凄く寂しく感じてしまうが、明日お菓子を持っていく事は生徒会のみんなが知っている為、今さら出来ませんでしたなど言えはしない。
 有言実行のみ。
 和水はパンと両手で頬を叩いて気合を入れた。そして棚からレシピを探し出してトッツェッティと一人で格闘する事数時間。
 その成果は翌日の放課後生徒会室の面々に振る舞われた。
 「不格好よの」
 舌の肥えた元就が無表情とはいえ元親の淹れた茶と共にトッツェッティを胃袋におさめていくのを見て和水がほっと胸をなで下ろしたのは言うまでもない。ほかの役員達からも木の実やフルーツをたっぷり練り込んだイタリア風ビスケットは評判が良かった。
 肝心の政宗は今日も捕獲に乗り出して留守だが、当のは和水が用意したトッツェッティを持って既に帰路についていた。
 トッツェッティの届け先はが借りているアパートの大家だ。
 何でも少し風変わりな若い女性なんだとが楽しそうに話すのを和水は聞いた事がある。に風変わりと言わせしめるその女性に少しばかり興味を持ったが、今は自分の手の中にあるトッツェッティを保健室に届ける方が先だと歩を早める。
 慶次はきっといつも通り和水の好きなココアを淹れて待っていてくれるだろう。
 両手で抱えた紙袋の中でかさりと軽い音がする。
 どんな顔でこれを受け取ってくれるのだろうかと想像するだけで心は浮き立ってくる。
 優しい彼は和水が大好きな満面の笑みを浮かべてトッツェッティを口に運ぶだろう。
 自分が作った菓子で頬を綻ばせる慶次の姿を思うと和水は知らず知らずのうちに笑顔が零れて止まらなくなっていた。



好きだから見たいもの


 「夢と現のはざまに」島さんより、拙サイト3周年記念頂きました!
 なんと絵までついてます→
 和水くん、に料理なんか習っちゃだめっすよ…! まさに人外の所業を知る羽目に。
 光栄なことに、大家として特別出演させていただきましたVv
 島さん、ありがとうございました!

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