草木芽生えいずる、雨水の末候
  ※ヘタリアの祖国様が登場します。のっとどりーむ。




「…………」
「…………」

 部屋の中で黙ったまま向かい合う男が2人。

「…………(兄上、ちょっと寄ってください見えません)」
「…………(黙れ元春。隆景こそそのデカイ図体をひっこめなさい)」
「…………((このまま隆元兄上にチューしたら殴られるかな))」 

 ふすま一つ隔てた向こうでは大の男がぴったりと身を寄せ合って3人。

 港で水揚げされた魚たちを涎を垂らさんばかりの勢いで眺めていた不審な男が奉行所に突き出され、たまたま通りかかった元春がそれを拾い、毛利の屋敷に連れてきて半刻。
 いい加減何でもかんでも拾ってくる癖を直せと長兄は口を酸っぱくして言い続けていたが、改善された様子は見られない。元春への小言は後回しにして、頭脳明晰と評判の毛利の嫡男は襖の向こうに耳をそばだてた。弟2人は止めるでもなく傍に張り付く。
 毛利家筆頭家老の福原貞俊はその姿を見て卒倒しかけた。しかし兄弟が3人揃っているものだから手の出しようがない。下々のものにこんな姿は見せられんと、近辺の人払いをするのが精々で、あとは大きなため息を付くばかりだ。


 さて、渦中の2人はというと。
 火鉢で焼いた餅を一心にむさぼる男を、元就は鋭いまなざしで見つめていた。
 男にはそんなことには構わぬ様子で、ひたすらに口を動かしている。
 少年というにはあまりにも老成した表情を浮かべ、青年というには幼すぎるそれ。
 着ている着物は一見地味だが上質なものをそろえている。立ち振る舞いも落ち着きがあり、どこぞの子弟かとも思ったがどうも違うようだ。
 ならば間諜かと、先ほどから思考をめぐらせているわけだが。
「本田菊」と名乗った彼は、餅を飲み込むとそろりと火鉢の上に手を伸ばした。
 丁度いい塩梅に膨れている餅に手を伸ばしかけ、何かに気づいたように慌てて引っ込める。
 そのためらいが見てとれた元就が、口を開いた。
「……構わん。食せ」
 その言葉に嬉しそうに餅を手に取る青年。
「餅が好きか」
「はい。とても」
「……そうか」
 むぐむぐと咀嚼しながら頷いた青年に、元就は瞬間目を細めた。


「…………っ(笑った……!)」
「…………(あれ、父上が微笑まれるのは珍しい)」
「…………〜〜っ(おのれ父上の好物が餅だと知ってのことか……っ!!)」
 驚く次男、純粋に感心する三男、青筋を立てる長男。


「何もつけずとも充分おいしいですが、きな粉をつけたものもまたオツなものです」


「…………!?(父上の好みをドンピシャでつくなど、いったいどこの手のものだ!?)」
「…………(いや、単なる偶然だと思いますよ兄上)」
「…………((腹減ってきたなぁ……でももうちょっと隆元兄上にくっついていたいし、我慢するか))」

「同感だな」
 言うと、侍女を呼びつけきな粉を持ってくるよう言いつける元就。
 慌てて恐縮する青年に、元就は自分も餅を一つ手に取った。
「気にするな。我も餅は好物だ」
「そうなんですか」
「嗚呼」

 一見そっけない会話だが、纏う空気は柔らかい。
 まだ根雪も残る如月だというのに、ここだけふくらんだ蕾が綻んだようであった。
 それは襖一枚隔てた三兄弟にも痛いほど伝わっている。

「…………っっ(こっ、この泥棒猫が……!!)」
「…………((そろそろ限界だな。)……隆景、兄上をお連れしてくれ)」
「…………(はいよ。兄上、仕事に戻らないと)」
 今にも襖を突き破ってしまいそうな長兄の剣幕に、元春は一つため息をついて弟に目配せをした。こちらも心得たもので、暴れる寸前の隆元をさっと抱えあげる。一番体格のいい末弟にしかできない技だ。
「……っ離せ隆景! あんな、どこの馬の骨とも知れぬ男に……っ」
「あれを監視するお役目は俺が引き受けましたから、兄上は仕事をなさってください。政に一番向いているのは兄上なんですから」
「政など、父上の一大事に比べれば些細なことだ! いいから隆景は早く下ろしなさい!」
「まぁもう少しで部屋につくし、我慢してくださいよ」


 まったく、兄上にも困ったものです。と、元春はいつものようにため息をついた。
 日ごろから息子たちに協調を求める元就だが、不和の一因が己にあることには気づいていない。まさか息子2人に挟まれての三角関係(一部不完全)が出来つつあろうことなど、知る由もないだろう。
 知らぬが仏とはまさしくこのことだ、と心中だけで呟いた元春は書簡をしたため終わった父親に問いかける。
「それで、あれはどうすることに」
「しばらく置いてやってもよいだろう」
 行くあてもないそうだからな。
「分かりました。ではそちらは俺と隆景にお任せください。兄上が大谷川の治水の件で相談したいことがあるそうですので、後ほど参られるそうです」
「うむ」
 後半はまるっきりの嘘だが、これで「治水の件で父上が呼んでいます」と告げれば長兄の機嫌も少しは回復することだろう。
 元就の部屋を退出して、元春が廊下を2,3歩進んだところで、背中に重み。
「……兄上の様子はどうだ」
「拗ねて壁に向かって政務をこなしておられるよ。……どうするんですか」
 6尺を越す弟に張り付かれても嬉しくもなんともないのだが、特に不都合もないので放っておく。
「うん、隆景はあの男を探ってくれるか。手段は問わんが、騒ぎは起こすなよ」
「はいよ。元春兄上は?」
「俺は兄上の機嫌を直して、雑務を片付ける。市中も探らせるが、しばらくかかるだろうからな」




 通された部屋で満腹感に浸っていた菊は、音もなく開いた障子に慌てて身を正した。
「ああ、楽にしてくれて構わないぞ」
(お、大きいですね……)
 逞しい大男を目の前にして、萎縮するなというほうが無理というものだ。
「菊というのだったか。俺は隆景という。行くあてがないそうだからな、しばらくうちにいるといい。何か不都合があれば俺に言え」
「……ありがとうございます」
「で、どこか行きたいところはあるか? 市でも、物見でも、遠駆けでもいいぞ」
「ええと……考えておきます」
「なんだ、若い者がだらしないぞ。外出は嫌いか」
 あいまいな笑顔との答えに、隆景は不満そうな顔を見せた。彼はあまりひとところに落ち着くのを好まない。唯一じっとしているのは、ふらふら遊び歩いていないで落ち着きをもって行動をしなさいという隆元の説教の間だけだが、ニコニコしながら聞いているので効果はない。
 一番年が近そうだからと、隆景をつけた元春の判断が裏目に出てしまったのだ。
「そういうわけではないのですが……すみません」
 一瞬流れた気まずい沈黙を、折りよく茶を運んできた侍女が破る。
「それで、菊はどこの生まれだ?」
「私は、日本の生まれです」
「…………(馬鹿にしているのか、阿呆か?)」
「(あぁぁ疑われてしまっている……)」



 数日後、再び青筋を立てる長兄がいた。

 少し離れたところでは弟が2人、所在なさげに立ち尽くしている。
 視線は対の屋で向かい合っている父親と菊に向けられていた。
 ぱちり、ぱちりと真剣な表情で打っているのは碁だ。

 陳情書を片手に長兄を探していたら、ギリギリと射抜かんばかりの勢いで前方を睨みつける隆元を見つけた。(ちょっと後悔した)
 その視線の先を見やるでもなく原因に思い当たると、すでに説得を諦めた隆景がいつ飛び出しても止められるようにと、隆元の着物の裾をこっそり踏んでいるのが見えた。
「…………俺はお前に菊の相手を頼んだはずだったが」
「すみません兄上。菊は遊山も遠駆けも好まないみたいで……そうしたら父上が」
「まぁ、父上もいい年ではあるし……そろそろ隠居でも考えておられるのかな」
「滅多なことを言うな元春! 父上が隠居など有り得ぬ! そうなったらこの毛利家はどうなるというのだ!?」
 ふり返って叫んだ長兄の形相に、アンタが継ぐんですよ、とはいえずに元春は素直にすみませんと詫びた。
「兄上、報告書が上がっていますが」
「ここで聞く。それで、あれはどこの間者だ」
 間者だと決め付ける長兄は前方の二人から片時も視線を外さない。
 一応重要事項である内容をこんなところでほいほい口にしてもいいのかと思うが、その辺はもう悟った次男はするすると書簡をほどいて読み上げる。その姿を三男は少し尊敬した。
「残念ながら間者ではないようです。確かに素性は知れませんが、これといって目立った動きもなく」
「俺もそれとなく聞いてみましたが、間諜というよりはただの行き倒れなんじゃないですか」
「そんなはずはない。あれは絶対に間者だ」
 普段なら兄上がそういうならば、と従う素直な弟たちだが、今回ばかりはそうもいかない。利発で知られる長兄の勘は今や完全に父上命!に塗りつぶされてしまっているからだ。
 しかし元就からは「兄を立てよ」と常々言われていることだし、そうでなくとも兄弟の中で一人年が離れていることを気にしている兄は、弟たちが結束するとすぐ拗ねる。そういうところが可愛いんですよねぇという末弟の呟きは聞こえなかったことにした。
「だったらご自分で確かめられるのが一番でしょう。隆景、父上の元へ行くぞ」
「分かりました。行きましょう、隆元兄上」
「いや、しかし父上の邪魔をするわけには……!」
 あれやこれやと渋る長兄を引きずって、元就の部屋へ向かう。
「失礼します、父上」
 直前まで躊躇っていたくせに、部屋の前まで来ると顔を引き締めた兄。
「なんだ、揃いも揃って」
「いくつかお見せしたい書簡がありまして。それと陳情書の件でご相談したいことが」
 よどみなく流れた言葉は間違いなく大嘘である。涼しい顔ではったりをかますところは父上にそっくりなのに、とは元春の感想だ。本人に教えたら喜ぶだろうか。
「む、わかった」
 政務にも熱心な元就は息子から乞われれば、事細かに指示を出し事態を掌握する。今だって碁を打つ手を止めてすぐ隣の別室へ向かった。
 その後を頬を緩めた長男が付いていく。狭い部屋に2人きりという絶好のシチュエーションだが、話すことは主に堅苦しい政事だ。何かと理由をつけて城下の視察に誘うとかすればいいものを、長男はそれで満足なのだから世の中というものは分からない。
 二人を見送った元春がふり返ると、こちらも多少にやついた末弟。敬愛する隆元兄上の笑顔が見れたのが嬉しいらしい。今のところはそれで満足しているのが救いだ。
「邪魔してすまないな、菊」
「いいえ、お構いなく。私のほうこそお相手していただいて、光栄です」
「へぇ、父上と互角とはなかなかやるな」
 盤上の戦況を眺めた隆景が感心する。碁や将棋は武家の嗜みだが、その中でも元就の得意とする碁で対等に渡り合うとは。
「それほどでも……(よくあの人の相手をさせられていましたからねぇ)」
「さて、お二人が戻るまでに餅でも焼くか」
 餅、という言葉にピクリと反応した菊。そういえば毎食出される膳はすべて平らげているという。意外と食い意地は張っているのかと元春はすこしおかしくなった。
「そういえば父上が先日、母上に餅を食べすぎだと小言を言われていましたよ」
 いくらお好きでも食べすぎは禁物です、しばらくお控えなさってくださいとかって。
「それでは尚更だな」
 手を叩いて侍女を呼びつける。なんだかんだ言って元春も父親には甘い。
「菊は餅の他に好物はないのか」
「私ですか……」
 隆景の問いに思案する菊。
「そうですね……塩じゃけやしめサバ、いわしも好きですし、素朴にお漬物や山菜もいいですね。しかし明太子も捨てがたい……ご飯とイクラの相性もバツグンですし……」
(実は相当食い意地が張っているのか……?)
「菊は好物が多いな……」
思わぬ一面にちょっとひいた元春。この時代食道楽など、それこそ天下人なければできない。やはりそれなりの家柄の生まれなのか。
「そうか、ならば今度饅頭屋に行くか。うまいと評判の店だ」
「はい、ぜひ」
食べ物に関しては腰が軽くなるのか、と元春は心の中だけで突っ込んだ。
 ふと、鼻先をくすぐった香りに庭へ目を向ける。
「あぁ……冬も終わりだな」
 ほのかに色づいた梅が一輪、その花を咲かせていた。




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 「Angelica」遊さんから、栄養剤的な頂きものです。
 三兄弟かわいいよ三兄弟、祖国様祖国様言ってたらくださいました。
 持つべきものは素敵なお姉さまだと思いま…!
 おかげで元気百倍です。来月休みなくても働ける。いやそこは休めと怒られるかな(笑)
 遊さん、ありがとうございました!
 091130 J