※松永が政宗を殺して、は松永の囲われ者。 その屋敷は、主たる男にふさわしく入念な手入れが施されたものだった。 欄間の一つ、柱の一本、庭樹の一枝に至るまで男の教養の高さを表すかのごとく趣深い。 限りなく無作為に見える、その実小石の一つまで吟味された庭は今は冬枯れ、夜着のように青白い雪を纏っていた。 花びら一枚ほども色彩のないその庭は、山寺のように閑寂としている。 耳を聾するようなしんとした佇まい。 しかし、その屋敷を訪れる者は時折、その静寂を引っ掻く音の連なりを聞くことができた。 晴れの日、雨の日、曇りの日。 まるでうわごとのように頼りないその旋律は、大和言葉だというのに耳に慣れない節回し。 「良い声だ」 松永が賞賛すると、蒼く晴れ渡った空に溶け込むような歌声が途切れた。 行儀悪く柱にもたれ、開け放った障子の向こうへとまるで零れ落ちるような歌を綴っていた歌い手は緩慢な動作で振り返る。唇は力なく閉ざされて、最早その先の旋律を紡ぐことはないだろう。 それを残念に思うことはない。かつては、音の欠片を聞くことさえもできなかったのだ。 かつての歌声の主は、まるで懐かぬ猫のように人の気配に敏感で、忍じみた鋭さをもって松永の来訪を察知しては歌うことをやめていた。 主人たる自分に反抗するようなその行動を、松永は愉しみこそすれたしなめることはなかった。 命じれば歌わせることなど造作もない。歌い手は、非常に従順で媚を売ることに慣れていた。 その従順な猫が無造作に垣間見せる反抗心が、逆に小さな愉悦であったのだ。 しかしその反抗も既に失せた。 今では、歌い手は松永の来訪を察知しようともしない。 研ぎ澄まされた感覚は確かにそれをとらえているだろうに、今となっては無気力に歌声を垂れ流すばかりで、諦めの滲んだ虚ろな瞳を投げるばかりである。 「卿には、随分と待たされた」 「歌なら、アンタの望むままに歌ったでしょう」 「私のために歌われる歌を聞いて、何が楽しいというのかね」 衣擦れの音と共に、松永は我が身を歌い手のもとへと運んだ。目映い雪の反射を逆光に、歌い手は身じろぎもせず松永の接近を許す。 青畳を染める薄闇の中で、松永はふとおかしみを覚えた。 部屋に満ちる澄んだ冬の空気が、まるで恬淡と滅びゆく夕暮れのそれのようだ。 それは紛れもなく、この部屋の主である歌い手から滲み出るものなのだろう。道具や部屋は、魂無いものであるにも拘らず、あるいは魂が無いゆえに持ち主の空気を纏う。 かつてこの部屋はこうではなかった。 松永が呆れるくらい片付いていた日は無く、足の踏み場も無いほどに奇妙な道具やら着物やらが散乱していた。その時部屋に黄昏の気配はなく、むしろ夜中の猫の目のように油断のない鋭さを孕んで旺盛な生命力に溢れていた。 それがこうも変わってしまった。 変えたのが自分であるという満足感と、とうとう変わってしまったかという失望が胸に湧く。 「庭に、椿を植えようと思うのだが」 「ふぅん」 「気が乗らないかね?」 「好きにすればいいじゃん。ここは、マツナガさんの屋敷だろ」 「確かに主は私だが、住むのは私ではなく卿だろう」 「食っちゃ寝してるだけだよ」 屋敷の管理なんか知らないし興味ない、と視線を外に投げる。 松永はあからさまな失望を顔に浮かべた。いくつもの命を刈り取った刀と火薬を操る手で小さな頤を拘束し、竜が愛した少年の顔をこちらに向ける。椿と共に滅びた竜。 無抵抗に従った少年に更なる失望を覚えた。 「卿は、つまらんな」 「それはどうも」 虚ろな瞳で軽く受け流す。竜の隣に在ったころ、ようやく萌芽の兆しを持っていた少年は、今はただの荒野である。 絶望に慣れ過ぎて、痛みも悲しみも感じなくなった。 引き倒し、香を焚き、黄泉に去った竜の幻想を見せて快楽に酔わせ、全てを泡と思い知らせる朝を叩きつけ、震える耳にお前が触らせなかった男は悦かったかと囁いて、お前が身を許したのは好いた男とは違うのだと思い知らせた末に、彼の心は枯れ果てた。 今はただ躯が起居しているようなものだと思う。 打算と媚を秘め、松永に身を開く屈辱を押し殺していた時の少年はまだ生きていた。あの頃ならば、椿を植えるという一言に顔色を変えるくらいの可愛げはあったかもしれない。 「卿は何を望む?」 望むことはなんでも叶えてあげよう。 優しく嘲りながら問うた松永に、少年は当然のように何もと答えた。そっと、微笑みすらしてのけた。俺はしあわせなんだから、欲しいものは何も無い。 幸村を苛み、政宗が変え、松永が引き摺り戻した微笑。 彼はもう何も望みはしない。死すら望まぬその少年は、ひたすらしあわせを嘯くばかり。 松永は唇を歪め、哀れな道化に顔を寄せる。ぱくりと赤い舌が覗く。 「やはり卿は、欺瞞の塊だよ」 まるで愛おしむように、硬く節くれた親指が小さな唇を撫でる。軽蔑を刷いた眼が細められ、もう一本の腕が小さな体をずぅるりと引き寄せる。 蒼褪めるように白い頬に口付けを落とすと、かさついた肌を唇に感じた。 虚ろな体は、ろくな抵抗もしなかった。
Auf die Wange Wohlgefallen, |
() それでもお前の夢を見る 090113 J |