青紫と赤銅色がこれ以上ないほどに調和した夕焼けを背負い、松が黒々とした影で描きだされている。 坂の上の雲は刷毛で描かれたような形で、サフラン色に染め上げられていた。 「Aivostri posti!(位置について、よぉーい!)」 「ちょちょ、ちょっと待ってくれよ、イタリア語なんて俺わかんないよ」 「Ha! 情けねぇぜ、前田」 「政宗殿はわかるのでござるか? 凄いでござるなぁ!」 「……O, of course!」 光と影のまだらに染まったアスファルトの上に四人分の騒ぎ声が弾ける。 期末試験を生き延びた信号学生トリオと、上半期決算終了万歳な道化師の解放に沸く声である。彼らのテンションはうなぎのぼりだ。 何てったって今年高校三年生の幸村はこの期末に評定がかかっていると言っても過言ではなく、試験期間中は文字通り鬼のような佐助と地獄巡りをしていたのである。 メゾン戦国名物、朝の殴り合いが滞るほどの苦行だった。 政宗と慶次は今年大学一年生で、つまりは初めての期末であった。 慶次はともかく頭脳明晰な政宗が期末で苦しむとは考えにくいが、不運なことに政宗が取っていた講義はレポートの鬼が教鞭を振るっていた。期末テスト持ち込み不可に加えてレポート30枚しかも手書き。 完璧主義政宗は半端な妥協が許せなかったため、引用資料にハマりにハマり、結果10センチはあろうかという資料を7冊も読む羽目になった。卒論でもあるまいに、図書館に通う政宗はまさしく幽鬼のごとしであった。 ちなみに慶次はご想像の通りである。必修科目の単位にさえ悲鳴をあげ、英語をなんとかしてくれと政宗・に付きまとい、双方から血も凍るような視線と共に「刺すぞ」と一言脅された彼は泣きながら幸村とともに佐助の世話になった。 対して、学生ではないもこれまた鬼気迫った日々を送っていた。 何しろ彼は、様々なバイトもこなすアルバイターだが本業はイタリアのサーカス団員である。税が対ユーロ円相場が上納金がと呟きながら電卓を叩く背中には、何か異様なものが漂っていた。 働くって大変である。 そんなこんなで、悪夢から解放された四人組は夏休みを目前にした解放感に酔いしれた。 ファミレスで散々騒ぎ、ゲーセンで大騒ぎした帰り道、周辺一番の下り坂を目前にして性質の悪い勢いが転がり落ちるように加速したのである。 誰が言い出すまでもなく、政宗の自転車にが飛び乗り、慶次の背後に幸村がついた。 本当は、慶次が徒歩で幸村が自転車だったのだが、体格の違いにより慶次がアッシーさんとなったのだ。 各々鞄をカゴに突っ込み、立ち位置を合わせてニヤリと笑う。政宗と慶次の後ろで、立ち乗りしたと幸村が「負けた方が買った方にジュース奢る!」「某は団子がいいでござる!」「よーしそれじゃあ、好きなもの奢る! ただし500円以内!」どうやら賞品は決したようである。 「Hey guys, are you ready?」 ぎし、とペダルを踏む足に力が入る。ぴんと空気が張り詰めて、頬を撫でる温い風がぴたりと凪いだ。 坂の頂上、一本道の急な傾斜、手を伸ばせばきっと空にも届く。 「Go!!」 軸足が力強く地面を蹴り、回り出した車輪が傾斜によって勢いを増していく。体に当たる風が強くなり、膨らんだシャツが、乱された髪が後部に流れる。 歓声をあげた。勢いよく流れる景色、少しのハンドルミスも許されないギリギリのバランス。 「YaaaaaHaaaaa!!」 「気持ちい――!!」 「ぃやっほ――――!」 「おやかたさばあああああああ!!」 風、風、風、 「風になる―――!」 歓声さえも風と共に流れた。手を離したら、このまま声のように風に巻かれて飛べるんじゃないだろうか。今なら空も飛べるはず。だって僕の背中には羽根がある。 喉をそらし目をつぶる。掌に感じる肩の筋肉。そういえば肩甲骨って昔人間に羽根があった名残なんだっけ、ロマンチックなことだ。 しかしロマンは長く続かなかった。 「げっ?!」 誰のものか、青ざめた悲鳴が上がる。何か非常にまずいことが起こったらしい。 目を開けたは、一本道を登ってくるロータス(白)を視認した。 わあ凄いスーパーカーだ。のんきな思考を人は現実逃避と呼ぶ。 「ってそんなこと考えてる場合じゃなかった! わあああぶつかる!」 「Shit! 松永の野郎、こんなとこに来るんじゃねぇよ!」 「ぬおおおお、慶次殿、気合で避けられよ!」 「む、無理無理無理ぃ!」 だって一本道だ。坂道だ。 既に政宗たちはブレーキ=転倒となるまでスピードを出しており、避けようにも幅広のロータスは車道をほぼ塞いでしまっている。 かっこつけてねぇでホンダに乗れと歯噛みしても今更始まらない。轢くか轢かれるかだ。愛車に傷がついてはたまらないと、松永はひきつった顔でバックを始めたが遅い、 「YaaaaaHaaaaaa!!」 「ぎゃあああああっ!」 「とるああああああ!」 「見事でござる慶次殿ぉぉぉぉ!」 ガコン! 派手な音を立てて一本立ちした自転車は、その時確かに空を飛んだ。は真剣に死ぬと思った。久秀は視界一杯に勇躍した車輪二本に頭が真っ白になった。 どかっと凶悪な音を立て、ロータスの車体が沈みこむ。まるでスノーボーダーかジャンパーのように自転車二台は障害物を踏み台として宙を舞い、危険な音と共に着地した。なんとか無事だ。よい子は真似をしてはいけません。 ばくばくばくばく爆発しそうな心臓を押さえる。寿命が縮んだかもしれない。ひょっとしたら心筋梗塞誘発されるんじゃないだろうか。 友人が殺人犯なんて笑えない。 四人が四人とも荒い息をついて命の大切さを学んでいた時、踏み台となったロータス車内では久秀が遠い目をしていた。 ああ私のロータス。白く優美なロータス。一目惚れしたその時以来、ありとあらゆる手をつくして購入したロータス。車体についた返り血を洗い流し、それからは一日一回全体をくまなく拭いていたロータス。ボンネットにくっきりと車輪の跡がついたロータス。 「ふ、ふふふふ……卿らは悪か…それとも善か……」 二筋の模様がついたロータスを恐る恐る振り返っていたガキどもをギッと振り返る。ギアをバックに入れ、力強くハンドルを握り、 「馬鹿どもがァ!!」 ア ク セ ル 全 開 。 久秀は確かに、頭の奥がぶっちぎれる音を聞いた。動脈破裂注意。更年期が気になるお年頃である。 殺気満載でバックしてくるロータスに、四人組は悲鳴をあげる。所詮この世は弱肉強食、自動車と自転車では圧倒的に前者が強い。たった一文字違いでも、その間には天と地ほどの開きがある。 急いで地面を蹴り、坂道の重力に加えて人力全開でペダルをこいだ。後部座席から悲痛な応援、その更に後ろには爛々と目を光らせる鬼がいる。 「頑張れマサムネ、わああ来てる来てる後ろ来てるー!」 「慶次殿ぉぉぉ! 申し訳ございませんお館さまァァァ!!」 二手に別れようにも一本道だ。夏だというのに冷や汗ダラダラで、政宗と慶次はひたすら自転車をこぎ続ける。 頑張れ俺。今頑張らねば明日は無い。 ほんの数日前、試験期間中になんども繰り返した言葉が頭をよぎる。 ガタガタ危険な感じに揺れはじめたハンドルを必死に操り、政宗たちは坂を下りきった。 やばい。重力の加護が受けられなくなった道路では、全てが政宗と慶次の筋肉にかかっている。こんなことなら南棟404号室住人本願寺顕如が経営する道場へ通えば良かった。 「血迷うなマサムネ、ケージ! あとちょっとだからそうそこの角右―――!」 反射的にのナビに従い、同乗者の安全を脅かす角度で曲がり走り抜ける。ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃと悲鳴を上げたタイヤは果たして自転車か、自動車か。 確認する間もなく風のように走り抜けた先は公園の柵、 「ギャ――――ッ!!」 ガッシャーン! けたたましい音を立て、自転車二台と人間四人が宙を舞う。幼児の忘れていったプラスチックスコップがまるで墓標のように突き刺さった砂場に、彼らは叩きつけられた。 息を詰めた彼らの耳に、無情にも甲高いブレーキ音が届く。追いかけっこはおしまいらしい。 It’s a show timeとばかりにバタンとドアが開閉する音がして、革靴が砂利を踏みしめる。悪魔降臨。は思わず手近な政宗のワイシャツをぎゅっと握る。 しかし、地獄へのカウントダウンは思わぬ救世主によって止められた。 「君、免許証を見せなさい」 ぽん、と肩を叩いた手に久秀はぴたりと動きを止める。 怒りを限界まで抑え込んだ笑顔で振り返ると、そこにおわすは白ヘル・グラサン・青い制服の走る正義。 哀れなロータスの隣に駐車された白バイが、彼の職業と任務を声高に語りあげている。 「危険運転、駐車違反、スピード違反。切符切りますから免許証を見せなさい」 「………卿は、彼らを取り締まろうとは思わんのかね?」 「二人乗りも注意されるべきだが、危険な運転から逃れるためにやむをえなかったように見えたので」 それは奴らが原因だ! 久秀は世の不公平を呪った。いつだって警察は弱い者の味方だ。 白バイ隊員は情け容赦なく違反切符を切り、久秀の手には合計失点が書かれた紙が残される。 何だ。私が一体何をした。私のロータスをどうしてくれる。もはや半泣きの久秀である。 しかし彼の不幸はこれで終わったわけではなかった。 修理と整備の金額を概算しながら振り返ると、傷ついたロータスは綺麗になっていた。正確には、菊や酒が供えられていた。 あまりにも不運な久秀に同情した四人組が(正確にはと幸村が)、こっそり逃げ出した後、近くのコンビニで「マツナガさんに元気出してもらおう!」とお菓子や花を買いこみ、ロータスのボンネットに置いていったのである。しかし問題はその後で、彼らが置いていったお詫びの品を供え物と勘違いした通行人が缶ビールやら線香やらを供えていった。優しさが痛い。 線香薫るロータスを前に久秀は呆然と立ち尽くす。 数秒後我に返り、無造作に花やら線香やらを払い落した久秀だが、ボンネットを撫でた手にべしゃりと嫌な感覚が伝わった。 「……………」 夏日のエンジン熱に温められ、半分溶けたみたらし団子が手と車体の間で潰れている。 みたらしは白い車体に映え、活発に活動中のアリがたかり、しかしそれらは全て久秀の愛車上のジオラマだ。 ぱたり、久秀の足元に落ちた水滴が地面を円形に黒く染める。頬を一筋伝って落ちたそれは、汗とは違うしょっぱい気持ちだ。 カレーの匂いが漂う薄闇の中で、久秀は静かに立ち尽くす。 風はいつの間にか凪いで、蒸し暑い夏の夜が来る。 その時僕らは風になった |
青春と松永さんを書こうと思った でも松永さん難しいよ! ……後悔はしている。反省はしていない 080810 J |