メゾン戦国南棟403号室住人長曾我部元親は、その体育会系な見た目通りのバイク狂で、日夜バイクのローン返済のためバイトに励む鉄腕アルバイターである。
 彼の少女時代少年時代を終わらせた運命の初代機富岳は、団地の入口に止めてあったところを中央棟405号室に住む織田家長男蘭丸(当時小学2年生)の手からうっかりすっぽぬけた金属バットの急襲を受けて転倒、運悪く通りがかった庭住人(棲みついたともいう)宮本武蔵に倒れかかり敵認識され、「みんなぶんなぐってやる!」勢いのよいフルスイングを受けて大破した。ローンまだ残っていたのに。
 そういうわけで、三日三晩某有名ポケットな生物プリンちゃん(注:自作編みぐるみ)に顔を埋めて泣き暮らした元親は、四日目にカップラーメンを求めてゾンビのごとく這い出てきて、あっけなく新たな恋に落ちてしまった。お相手は、爆音轟く漆黒ハーレー命名滅騎。即断で99年ローンを組んだ元親は、涙目の店主から半ば奪い取るようにして丁重に滅騎をお持ち帰りしたのであった。略奪愛万歳。


 そんな男のロマンを追い求める元親であるが、本日彼の部屋からはハードロックでもメタルでもなく華やかな嬌声が響いている。
 だが借金地獄ではあるもののすこぶるイイ男である元親ならば、彼女の一人や二人や三人や四人いてもおかしくないので特筆すべきことではない。念のため彼の名誉のために言っておくと元親は純愛派で二股三股四股なんてもってのほかだ。冬ソナは放映時のビデオから愛蔵版DVDまで揃っている。せかちゅーも恋空もパンフレットはカバー標準装備で保存棚だ。
 その保存棚は造花やレースでかわいく飾りたててある。
 あえて現実から目を背けずに記述するならこれこそが特筆すべき点であり、嬌声の理由でもあった。

 「ねえ、ここはこれでいいのかしら」
 「どれ、見せてみな……おう、見事なもんじゃねえか! 魔王の嫁にしとくのはもったいないぜ」
 「ふふ、ありがとう」
 「こらモトチカー、いくら魅力的だからって、人妻を口説くなー! それは俺の特権だー!」
 「お前は黙ってろ! 前田の嫁さんの方はどうだ?」
 「これでいかがでございましょう」
 「へぇ、うまいもんだ。……ところでよぉ、この模様、魚か?」
 「その通りでございまする! 犬千代様は、カジキマグロが大好物でございますれば」
 「まあ、魚模様を編むなんて、まつは器用ね」
 「ammazza!(すごい!) マツねーちゃんのトシへのあいは、並大抵じゃないね」
 「本当……羨ましい……」
 「浅井の姫さんのはどうなった?」

 約一名を除いて(いや別に入れたって構わないのだが)、きゃいきゃいとまるで家庭科部のような華やかさである。
 元親の指導のもと、しつこいようだが約一名を除いて彼女らの細い指が握るのは鈎棒とレース糸であり、細やかな模様が次から次へと作られていく。
 今日は、「ドキッ! 人妻だらけのレース編み講習会〜クリスティーヌ元親プレゼンツ〜(命名)」が元親の部屋で開催されているのである。ちなみに参加費500円、メニューは貴女の望みのままに。テーブルクロスからウェディングベールまでばっちこいだ。何せ講師は元親だから。

 「指をふる」が平然と攻撃コマンドに設定されているファンシーだか凶悪だかわからない手作りキャラクタークッションにもたれた市の手元を覗いた元親は、素人がやりがちな間違いを犯しているティーマットに「あぁ」と一つ頷いた。
 濃やまつは上級者だったが、市は全くのビギナーである。こういう間違いはして当然だ。

 「……ここだな。ここから、編み方間違えてるぜ。こりゃ、ここまで解くしかねぇな」
 「…ごめんなさい……みんな市が悪いの……」
 「いっちゃん、大丈夫だって。ここまではうまくできてたんだし、すぐに直せるよ」
 「そうよ市。あなた初心者でしょう? 間違えたっていいのよ」
 「その通りでございまする。間違いは誰にでもあるもの、気にしてはなりませぬ!」
 「むしろいっちゃんここまで凄く丁寧に編めてるじゃない。初心者なのに凄いよ」
 「そうね。長政への気持ちを込めたんでしょう」
 「もう少しですわ。頑張って下さりませ、お市様」
 「……はい……市、頑張る……」

 身の置き所がない気がするのは気のせいではないはずだ。
 落ち込んだ市に押し寄せるような励ましを送る女性陣(+α)から総スカンを食らう形になった元親は居心地悪く鉤針をいじる。おかしい、自分は間違ったことはしてないはずだ。なのに一体何だこの疎外感。
 繰り広げられる女子の会話についていけないのを寂しく思う。でもそれは仕方のないことだ。だって元親は姫若子を卒業したのだから。多分二年前なら余裕で混ざれたし今も姫趣味が抜けたとは言い難いが、時とは残酷なものである。
 しかし元親もかつては乙女であったのだ。

 「大丈夫か? 心配すんな、むしろ間違いがあった方が、手作り感があって良いさ。一生懸命なアンタの気持ちは、きっと旦那に伝わる」
 「はい……」

 女子の会話だ。どうやらまだまだ現役を張れそうである。
 元親は、気を取り直して再び編み始めた市にしばらくついていたが、ふと目を横に向けると某ネズミの国で購入した白猫のビーズクッションの上に腹ばいになり、組んだ手の上に顎を乗せたがレース編みに熱中する市をじぃっと見ているのに気がついた。呆けたように口が半開きになっている。

 「こら、何やってんだ。途中でほっぽり出すんじゃねぇよ」
 「あ、……んー」

 何やら気乗りしない様子だ。顔をしかめてむずがっている。このお調子者にしては珍しい。
 好奇心を駆り立てられて、元親はの傍に移動する。寝転び足をゆらゆらさせながら、無意味に作りかけのレースを開いたりつまんだりしているのから察するに、よほどのことがあるのだろう。
 元親はのレースをチェックしてみる。2,3日前に「テーブルクロス作りたい!」とはしゃいでいた言葉通りの形になってきてはいる。しかしあくまで部品だ。速度においても精密さにおいても、元親の指導などいらないほどに手芸全般が得意な彼だからこそ、途中で製作を中断するのは腑に落ちない。
 市をぼんやり見つめたままのに流石に不審を感じたのか、濃とまつが手を止める。

 「君、どうかしたの?」
 「お腹でも痛いのでございまするか?」
 「んーん、平気。心配かけてごめんなさい」

 どんな状態でも女性に優しいのはデフォルトだ。なぜならはイタリア男。
 しかしその笑顔にもどこかしら常の元気がない。

 「おいおい、そんな顔で平気とか言っても説得力無いぜ。何かあったんだろ」
 「何もないよ」
 「嘘つけ。どうせ伊達絡みだろうが」
 「マサムネなんか関係ないもん!」

 思わず叫んだに市以外の全員が目を丸くする。これはあれかひょっとして。言葉にしない乙女通信開始、

 『伊達絡みだな』
 『また喧嘩でもしたのかしら』
 『中々進展しないお二人ですね』
 『あら、それがいいんじゃない』
 『横から見てる分にゃ、もどかしくて困るぜ』
 『特に長曾我部様は、よくご両人に当たられておられますゆえ』
 『げ、不吉な予言はやめてくれねぇか。今回も被害を受けそうな気がしてきた』

 実はというほどでもないが、拗ねた政宗に当たり散らされる確率もいじけたに憂さ晴らしされる確率も群を抜いて高い元親である。痴話喧嘩は周囲に被害が出ないようにやれと言いたいが、困ったことに当人たちは痴話喧嘩という自覚がない。そもそもつきあってすらいないのだから。
 頼むから俺に当たるなよと祈りながらそっぽを向いたに話しかける。そのまま放置しないのが元親の長所でもあり短所でもあった。被害に遭うのはわかりきっているのに放っておけない。実にいい男である。

 「けどよぉ、何か嫌なことがあったんだろ」
 「………」

 がぎゅっと手を握りこむ。辛いことを堪えているときのくせだ、これが出たらあとは愚痴タイムの始まりだ。経験則でわかってしまった元親は乗りかかった船と腹を括った。
 起き上がったはビーズクッションを抱きしめたまま体育座り。俯いているせいで表情はわからない。
 濃とまつが頷き合って台所に向かった。元親の部屋は何度も講習会に使われているので勝手知ったるなんとやら、自主的に休憩に入って初々しいカップルウォッチングを開始する気満々である。それが証拠に彼女らは、話すのをためらっているを促すような絶妙のタイミングで「そろそろお茶にしましょう」とローズヒップティーとまつ手製のシナモンクッキーを持ってきた。

 少しばかりクッキーをつまんで紅茶を一口二口飲むと、は中断したレースを大切そうに膝に置いている市を見て「いっちゃんはいいね」とぼそりと零した。元親の頭の中で銅鑼の音が鳴り響く。ついに船が岸辺を離れた。あとは泥船でないことを祈るばかりだ。

 「ナガマサは、いっちゃんの編んだティーマット、喜ぶだろうね」
 「……そんなの…わからないわ……」
 「ううん、きっと喜ぶよ。照れて、ツンツンするかもしれないけど、すごく喜ぶ。ナガマサはいっちゃんが大好きだから、いっちゃんの気持ちをちゃんと受け止めてくれる」

 そんなことを保証するは、言葉に反して寂しげだ。ああ暗い顔だな、男が悪いんだなと元親は半ば投げやりに思う。なんだか泥船の向かう先がわかってきた。
 ろくに味合わずにクッキーをぼりぼり食う元親の横で、濃とまつは気取られないよう、しかし目を輝かせて続きを促す。全くどうして女ってのはこういう話が好きなんだ。

 「さんのテーブルクロスも素敵でございますゆえ、きっと喜ばれますわ」
 「そうね、これを使って食事をしたら、とても幸せな気分になれそう」
 「Grazie. 皆優しいね。………けど、」

 ゆらっ。一瞬で笑顔を掻き消したの背後に元親は怒りに揺らめく炎を見た。

 「酷いんだ。俺の飯は人間の食べ物じゃねぇって、そこまで言いやがったんだよアイツ! わかってるよ料理下手なことくらいさぁ、けどその言い方は無いだろ?!」

 ああやっぱり噴火した。怒りに燃えた目でここにはいない奴を糾弾する、声は憤怒に燃え盛っているが泣き出しそうな表情に彼の心情が全て白状されている。
 確かには料理が下手だ。むしろ下手という言葉さえ甘い、だって普通に考えてみろ動き出す野菜料理って一体何だ。未知の生物か。錬金術か。

 「酷い言い草ね」
 「優しさが足りませぬ」

 あれそこスル―ですか奥様方。わかるわかると頷く二人に元親は超えられない壁を見る。彼女らにとって問題は料理の出来にはないらしい。

 「そう思うよね?! だって俺一生懸命作ったんだよ。いっつも食べさせてもらってばっかりじゃ悪いから、上がり込んできたあいつに秘蔵のコーヒーまで出してあげたんだよ、でもあんにゃろう全部食ったくせに親指下に向けやがった!」

 本気で怒っているには悪いが、元親はこの辺りからこれはノロケか否かで迷い始める。
 だって普通に考えて偉業だろ、の料理食べきるなんてそんなこと。一生懸命作っただが未確認生命体を食いきった政宗もたいがいだと思う。むしろどうしてまだくっつかないのお前たち。

 「あいつこんなこと言ったんだぜ、『Too bad. まずいって言葉じゃ表わせねぇくらいにまずい。むしろこりゃartだぜ、かなり冒涜的だがな。人間の食いもんじゃねぇよ、犯罪者になりたくなきゃ他の奴に食わすんじゃねぇぞ』、お前にも二度と食わすもんか!」

 お前の料理は俺が食う宣言に聞こえるんだがそこんとこどうなんだ。
 すれ違う二人が織りなす無意識の甘さに元親は耳をふさぎたくなった。濃とまつはにやにや笑いが止まらない。市はの勢いに押されてぼんやりとしている。
 頬を紅潮させ、肩で息をしながら、は泣く寸前まで潤った目を元親に向ける。げ、やめろこっち見るなオレに火の粉を振りかけるな!

 「モトチカはどう思う?」
 「あー、その、」

 愛されてんなぁお幸せに、くらいしかコメント無いんだけどもどうすれば。

 「も、もっと言い方があるよな、うん」
 「そうだろ! せめてお礼くらい言うべきだよな!」

 ビーズクッションを放り出して、は身を乗り出した。
 頼むからもうオレに何も聞かせないでくれ、思いは虚しく宙に木霊する。願いを拾い上げてくれる神様はいないらしい。あるいは神も耳をふさいだか。

 「俺、俺さぁ、市販品なんかよりずっと綺麗なテーブルクロス編もうと思ってたんだ。だって綺麗な食卓だと嬉しいだろ、一緒に食べれたら楽しいだろ?! それなのに……っ」

 ちょ、近い近い近い! 言葉を溜息に変え、肩を震わせながら涙を堪えるは恐ろしいことに健気を形にしたようだ。しかしこの体制はまずい、だって近すぎる。見ようによってはが元親に迫っているようだ。笑ってないで助けてくれ嫁さんたち! そりゃあ今ここには政宗はいないが、もし見られたらとてつもなく面倒なことに、

 「おい、」

 とりあえず落ち着けそして離れろと細い肩に手を置いた時、

 「Excuse me, 邪魔する……」

 ぜ、と発音するはずだった口が間抜けな感じに固まった。ついでに部屋の空気も凍った。
 おろおろと市が視線を3回往復させた時、政宗は無言で部屋を突っ切り、途中元親お気に入りの編みぐるみを容赦なく足の裏で踏み潰して、の肩に置かれた元親の手を渾身の力で掴みあげた。

 「いっ…何しやがる!」
 「Shut up! You……っ!」

 言葉が続かなくて政宗は鯉のように口をぱくぱくさせた。今更衝動だけで動いたことに気付いたらしい、首から耳まで真っ赤になって口を噤む。
 けれども威嚇するような表情はそのままで、離された手は乱暴というにもほどがある離され方をした。
 理不尽な敵意に満たされた独眼に睨みつけられた元親は思う。おいおい勘弁してくれ。

 「え、えぇっと…マサムネ」

 ためらいがちに呼ばれ、びくっと政宗の肩が跳ねる。顔をに向けないまま、政宗は「……what(何だ)」と言った。
 しかし元親にとって不運なことに、に見えない角度というのはそれすなわち元親を正面から見ることであり、(余裕無さ過ぎだろアンタ)ばつが悪そうな、それでいて呼ばれたことへの喜びが隠しようもなく滲んでいる真っ赤な政宗という珍妙なものを正面から目撃するはめになった。

 「あの……モトチカ、何もしてないよ?」
 「……ああそうかよ」

 え、何ですかその機嫌急降下。
 元親の名前が出た途端目に見えてぶすくれた政宗に唖然とする。他人の名前が出ることすら嫌なんてお前どんだけ切羽詰まってるの。
 ふと見れば濃とまつが興味津津という目で見ていた。畜生他人事だと思いやがって! ていうかこの糖分過多にどうやって耐えてるんだよあんたらは?!

 「そ、そう俺は! お前に怒ってたんだよ!」
 「Ah?」
 (嫌そうな声出してる割に顔にやけてんぞ、そんなにの意識が自分に向いてて嬉しいか)
 「お前ひどい、って! ……俺、はっ、一緒に…飯、食いたかったのに……」

 声はだんだん萎んでいった。自分で言いながら今更恥じらっているらしい。後生だからそういう甘酸っぱい場面は他でやってくれませんか。

 「Ah-……その、なんていうか、あれだ。お前の飯、まずいが……」

 政宗もつられて尻すぼみだ。なんて居た堪れない! 政宗の表情を真正面から見る羽目に陥っている元親は内心七転八倒である。くっそ雰囲気だけで破壊力あるぞこれは!
 むずがゆい沈黙に支配された部屋に、濃だかまつだかの咳払いが響いた。助かったとばかりの元親と、糖分発生源たちの視線をまるで女神のような笑顔で受け止めて、彼女らは素知らぬ顔の提案をする。

 「でしたら、まつめが料理をお教えいたしまする」
 「それがいいじゃない。私たちにできることなら、なんでもするわよ」

 元親は彼女らの一見慈愛に溢れた横顔に、「ウォッチングチャンスゲット!」と毛筆書きされた本音を見る。女って恐ろしい。

 「え、いいのっ?」
 「もちろんでございまする」
 「じゃあ……じゃあ、お願いしますマツねーちゃん! 見てろよマサムネ、すぐにぎゃひんと言わせてやるからな!」
 「Go ahead, make my day!(やれるもんならな!)それからそれを言うならぎゃふんだ!」

 先ほどの空気はどこへやら、一瞬で雰囲気を欠片も残さずぬぐい去った二人はいつも通りの掛け合いを始めた。
 唯一の名残といえば頬の赤さである。年上の主婦たちはホントかわいらしいわぁとひっそり笑った。浅井夫婦に勝るとも劣らない。
 笑えないのは元親である。彼は特大の溜息を吐くと小さくぼやいた。

 「もうなんでもいいから……さっさとくっついてくれねぇかなぁ……」

 多大な精神的ダメージを受けた元親の願いが叶えられる日は、多分とても、とーっても遠い。





 溜息クロッシェレース

 クロッシェレース:講習会なんかでよく目にするの
 レースって色々種類があるんですね
 リクありがとうございました!

 080611 J