メゾン戦国中央棟103号室にはそりゃあもうかわいらしい夫婦が住んでいる。

 旦那の方は浅井長政、職業は燃える警察官。
 好きな言葉は正義、小さい頃の夢はバサラレンジャーレッド。ちなみに彼の親友は近所の遊園地、バサラランド勤務のチーム五本槍である。彼らはちびっこたちのヒーローであり、ちびっこたちの夢を壊さないため絶対に衣装を脱がない。ほんまもんである。
 余談だが長政は彼らの本名を知らない。でも長政と五本槍は友達だ。友情にもいろいろあるのである。

 奥さんの方は市、職業は専業主婦。
 ミスユニバースだって尻ごみしそうな理想的大和撫子な美少女であるが、彼女は信じがたいことに同じく中央棟101号室に住む織田信長あだ名は魔王の妹である。遺伝子レベルの奇跡だ。
 そんな生命の神秘が生んだ幼妻は、けれども残念なことにめったに笑ってくれない。好きなものは隙間と暗闇。でも宝物は旦那に貰った百合の花。
 何でもプロポーズの時に長政からもらったらしい。もちろんその花は枯れてしまったけれど、それを嘆いた市を見た長政が、鬱で寝込んだ彼女に改めて鉢植えの百合をプレゼントした。
 以来それは最初の一株となり、今では新居の庭に群生するまでになっている。





 浅井家の朝は、幸村の雄叫びによって始まる。

 「朝…」

 カーテンの隙間から燦々と差し込む朝日を厭うように目覚めた市は、隣の長政を起こさないように静かに布団を抜け出した。午前6時2分過ぎ。今日もまた終わりへ向かって一日が始まったのね、そんなことを思いながら着替えて顔を洗う。もう大分冷水が心地よい季節になってきた。夏になるのね、花が散っていくわ…。
 台所に立った市は長袖の割烹着を着る。冷蔵庫を開けて卵と豆腐と小松菜とアジを取り出した。
 浅井家の朝食は和食である。
 味噌汁と卵焼きの支度をして、市は最大の難所に差し掛かる。
 市は二匹のアジをじっと見つめた。

 「ごめんね……市のために死んでね……」

 昨日買ってきたアジだからもうとっくに死んでいる。
 市は泣きだしそうな顔で包丁を握り、アジの身にその刀身を入れた。つつーと滑らせ、嫁入り前に濃やまつに教わった通りにぜいごと内臓を抜く。生々しい器官に気が遠くなる。

 「また一つ……命がこぼれおちていく……」

 はらはらと泣く市は美しかった。こんなに悼んでもらえればアジも成仏するだろう。
 涙をぬぐいながら塩焼きの準備を整えて、便利な両面焼きグリルに火を入れる。同時進行で味噌汁に味噌を溶く。隣のフライパンでは、卵焼きができあがりつつある。


 ある程度朝食ができあがると、市は長政を起こしに向かう。寝室では長政が大の字になって眠っている。ちなみに和室。

 「長政様……長政様……」
 「む、ぅ……正義は私の中にありゅ……ぶむぅ」

 寝言を呟く夫の側で、市はぼそぼそ長政様長政様と呼び続ける。そろそろアジを見に行かなければ、やばい感じに黒々してくるころである。
 困り果てた市はそっとその白魚のような指で夫を揺する。といっても遠慮勝ちすぎて、振動さえしない。

 「長政様……」
 「ぬ…」

 眉をしかめて、ようやく長政が目を覚ます。
 ぼんやり眼が虚ろである。寝ぼけ眼というやつだ。普段のやかましい長政からは想像もできない。

 「…魚臭い……」
 「…ごめんなさい……市のせい……」

 アジを捌いていた市はしゅんとした。けれどもそんな市に構う様子もなく、寝起きの長政は非常にぼんやりとした足取りで洗面所へと向かう。途中でがんとかごんとか激しい衝突音がするのはいつものことだ。
 誰もいなくなった寝室で涙を溜めていた市は、ぐすりと鼻を鳴らしてから台所へ戻る。ちょっとばかし匂いがやばい。
 半焦げのアジに絶望した市が「ごめんなさい……ごめんなさい……」と泣きだした時、長政がばっちり目を覚ましてやってきた。

 「うむ、今日も爽快な朝だな! 市、朝餉はまだか!」
 「ごめんなさい…」

 半焦げのアジと卵焼き、味噌汁に白米という典型的日本朝食をとぼとぼ持ってきた市を長政は叱りつける。

 「市、納豆がないではないか!」
 「あ……ごめんなさい…怒らないで……」
 「ええいもういい! 私が取ってくる、お前は茶でも淹れておけ!」

 言うや、長政は台所にすっ飛んで行った。二人分の納豆と器を持った彼が戻ってくるのは、10秒後のことである。



 長政は黙々と「うまい」も「まずい」もなく朝餉を全部平らげ、市が食べ終わるのを待つことなくさっさと食器を片づける。
 罪悪感で一杯になりながらアジをつつく市の前を彼は無言で通り過ぎ、至極当たり前のように南向きの窓を全開にして庭に出る。庭には例の百合とその一族がこれでもかと生い茂り、気持ちよさそうに日光を浴びている。まだ花は咲いてない。
 夏の気配を孕み始めた日差しに、市は影へ引きこもりたい衝動に駆られた。

 「長政様…お仕事は…?」
 「馬鹿者、今日は日曜日だ! もっとも正義を守るためには休みなどとは言っておれぬ、この町の秩序は私が守る!」

 長政はじょうろ片手に宣言する。市は長政の意図を測りかねた。
 じょうろでどうやって秩序を守るんだろう。

 市の視線を無視するように、長政は作業を開始した。大量の百合にじょうろで水をやっている。
 彼は聞いてもいないのに語り出した。じょうろは一ヶ所から動かない。多すぎる恵みに百合の根本で洪水が起こる。

 「先日、北棟の新入居者に会ったのだ。とか言ったが、何やらわけのわからんことをまくしたてていったのだ。お前のことも言っていたが、下らんことばかりだった。いいか市、あの少年の言葉を真っ向から受けとるなよ」
 「市、その人知らない……」
 「ならばいい。だが、これから会うこともあるだろう。いいか、決して耳を貸すな!」
 「はい……」

 いつもよりきつく言い含め、長政は水やりを再開する。集中豪雨は西から東へ移動中。
 発達中の低気圧はずっと背中を向けていたから、市はその頬が紅潮していたことに気付かなかった。





 『Ciao―! はじめまして、俺こないだ北棟に引っ越してきたって言いまーす。イゴよろしくね』
 『ほう。私は中央棟103号室の浅井長政だ。悪を見つけたらすぐに呼ぶといい』
 『チューオー103…? あ、あの綺麗なsignorinaの家じゃん! えー、なんで?! 家族? 恋人?!』
 『それはもしや、市のことか? 私の妻だ』
 『Mammma mia! ナガマサの奥さんだったの?! えええええ、幼妻?! 略奪愛?! 男のロマン?!』
 『貴様、何を言っている?! 侮辱する気か!』
 『わああ怒らないで! 侮辱なんてしてない、この上なく羨ましいだけだってば。いいなー、あんな綺麗な奥さんがいるなんて……ナガマサもマオーサマもトシも、羨ましすぎるよ』
 『兄者を知っているのか?』
 『アニジャ?』
 『織田信長殿は、妻の兄だ』
 『………!? え、ドッキリ? ドッキリでしょ、ドッキリだよね?!』
 『嘘などつかん! おのれ、私を疑うとは貴様悪か?!』
 『ぎえええ違う! びっくりしたの! バイオテクノロジーの進歩が常識をぶっちぎっただけさ!』
 『む……?』
 『ナガマサの言葉を疑うわけないよ。だってナガマサだもん』
 『うむ、そういうことならよしとしよう』
 『わかってくれて嬉しいよ。ところで、ナガマサはイっちゃんのこと大事にしてる?』
 『何を……! く、下らないことを言うな!』
 『きょええええごめんごめんごめんなさい! いや大事にしてるだろうね当たり前だよね!』
 『わかればいいのだ! ………………お、夫として当然のことだからな!』
 『わあさすが! ごめんね変なこと聞いて。やー、遠目でしか見てないけど、イっちゃんいつも悲しそうな顔してるからさー。てっきりナガマサが怒鳴ったり』
 『う』
 『家事手伝わなかったり』
 『ううっ』
 『泣かしたりしてるのかと思ったよごめんねー』
 『そ、そんなことなど………………』
 『ないよねー。女の子は笑ってるのが一番だもんね。そのために気遣うのが男の幸せってもんだよ。フーフならそりゃあもうめくるめくお花畑だよね! いいなーイっちゃんの笑顔独り占めできていいなーずるいなー』
 『……………』
 『でも、フーフなら仕方ないね。なんせナガマサはイっちゃんの特別な人で、イっちゃんはナガマサの特別な人なんだもんね。いいなー。大事にしなよ』
 『あ、当たり前だ!』


 宣言した長政に、は満足そうに微笑んだ。





 関白宣言

 浅井夫婦書くの楽しい…!
 おかげで夢主出番とられた笑
 080326 J