メゾン戦国東棟307号室住人真田幸村は、現在青春真っ只中の婆沙羅高校二年生、剣道部所属である。 ちなみに剣道有段者で、昨年は春の新人大会で優勝し、インターハイ個人戦も準優勝だった。優勝は当時高校三年生だった永遠のライバル・メゾン戦国北棟306号室の伊達政宗である。 彼は同じ東棟408号室住人武田信玄を人生の師と仰いでいて、その170キロ剛速球な尊敬ぶりは同居中の従兄・猿飛佐助の悲鳴と苦労をひっきりなしに誘うほどだ。 何しろ、ぅを館さむぁゆきむるぁで始まるクロスカウンターは毎朝の恒例行事で、早寝早起きが信条の健康優良児の雄叫びは名物を通り越して団地の目覚まし代わりにされている。 後片付けはいつも佐助だ。 その朝も暑苦しい目覚ましでメゾン戦国の朝は始まった。 東棟住人は牛乳を煽り、西棟住人は朝日を拝み、南棟住人はランニングを始め、北棟住人はあくびをしながら寝床を抜け、中央棟住人の妻たちが朝食の支度にとりかかる。 いつもの朝の光景だ。 しかしこの日はいつもと少しだけ違っていた。というのも、北棟には何も知らない少年が引っ越してきていたのである。 北棟新規居住者は爆弾でも爆発したような轟音に驚いて飛び起きた。 「ななな、何何何?! 抗争?!」シチリア育ちの彼は即座に貴重品一式を入れたカバンを抱え込み、匍匐前進で壁に張り付く。慎重に窓を覗きこみ、 「ぅぉゃかたさばあああああああああ!!!!」 「ぎゃあああああああ?!」 人が飛んできた。は思わずのけぞって、わたわたと部屋の反対側に逃げた。 べしゃっと窓に張り付いた青年はカエルかイモリの標本みたいだ。相当な衝撃にも屈しなかったガラスには惜しみない賛辞を贈る。 羽根もないのに飛んできた青年は今度こそ重力の手に捕まって、ずるずるずるとベランダにずり落ちた。はガラスクリーナーを買ってこようと決意する。 「旦那! 旦那! ちょっとえーとの旦那だっけ、ドアの鍵開けて! 旦那がここに飛ばされたんだ!」 「さ、さす、サスケ、」 びくぶる震えていたは、けたたましく玄関扉を叩く佐助に縋るように覚束ない足取りで進み、震える手で鍵を開ける。 「旦那!」開けるなり飛び込んできた佐助は一目散にベランダに駆け寄り、手早く鍵を開けて潰れた幸村を抱え上げた。は恐る恐る幸村を覗きこむ。 一応昨日のうちに面識は得てあるのだが、これはもう死んだかもしれない。はそう思ったが、 「おやかたさばぁ…」 「何で生きてるのさ?!」 「あー…何でだろうねえホント……」 目を回した幸村を回収した佐助は遠い目をして明後日の方角を見た。世界は神秘に満ちている。 「まあまあ、固いことは気にしないで。そうやって生きてた方が楽だよ」 「………ん、じゃあそうする」 佐助はハハハと乾いた声で笑った。彼はもう諦めているのかもしれない。 人生の真理をしみじみと噛みしめたあと、佐助は「ところで、」と切り出した。 「大将と旦那の殴り愛、の旦那は初めてだよね? びっくりした?」 「マフィアの抗争かと思って心臓飛び出しそうになった」 「…………。ま、まあ仮にそんなことが勃発しても心配ないよ。この団地のガラスは、全室防弾ガラスだから」 「マジで?!」 一体何で。 聞くと、佐助は一気に黄昏時の影を背負った。朝なのに。 「大将と旦那、毎日殴り愛するんだけどね……たまにノリすぎて、旦那が吹っ飛んじゃうんだよねえ……」 「へ、へえ……」 「毎回ガラス弁償してたらキリがないしさあ、いっそのこと絶対に割れないガラスをってことで、こんな完全装備になっちゃったんだ」 ちなみに外壁は装甲戦車並の強度だよと教えられては絶句する。 一体どこの要塞だ。いや、それ以上にそんなところにぶつかって何故生きてるんだ幸村。 人類を超越してるんじゃなかろうか。ひょっとしてUMA? 新人類? の頭に猿が浮かぶ。今度幸村にバナナをプレゼントしてやろうとかなり失礼なことを思った。 「まあ、そのうち嫌でも慣れるよ。でも今日は本当にごめんね、お詫びに朝飯でもごちそうするよ」 「え?! いいの?!」 「もちろん。和食だけどね」 「うわあああ、Per favore!(どうもありがとう!) 凄く楽しみだ!」 「そんなに期待されると、腕が鳴るなあ」 「俺手伝う! Giappone(日本)の朝ごはんってイタリアとは大分違うんだよね」 「むにゃ……みそしるぅ」 「………旦那………」 飯の話題にだけ反応するなんて、と佐助は天を仰いだ。そこには天井があるだけだったけれども。 しっかり味噌汁を要求した幸村は、繰り返すが青春真っ只中の男子高校生である。この年頃の男子は、全身が胃袋のようなものだ。 それはもちろん同い年のにも当てはまり、佐助は瞳を輝かせたに手を引っ張られて東棟へ向かった。 今日も素晴らしい一日の始まりである。 メゾン戦国の朝 |
まだ夢主が越してきて間もないころ 080326 J |