千代がふうっと細い息を吹きこんだ。かさりと小さな音をたて、それは鮮やかな色彩のかわいらしい玩具の形をとる。
 少女の掌に載ったのは、その幼さに映える極彩色。

 「かわいい…! なあに、これ何なんていうの?!」
 「紙風船です」

 カミフウセン、とたどたどしく名前をなぞりながら目を一杯に見開いた年上の女に、千代は噴き出すのを堪え切れなかった。
 しかし、きらきらきらきらきらきら、食い入るように紙風船を凝視する彼女は、くすくす笑い出した千代に構う暇もないらしい。そうっと手を伸ばして、差し出された紙風船をまるで宝物のように包み込む。と、ぷしゃっと空気が抜けてしまう。「ひょっ?!」びくりと震えたせいで余計に潰してしまい、半泣きで縋るような目をした彼女に、最早笑いを堪えることは不可能だった。

 「わ、笑わないで助けてよぅ」
 「すみ、すみませ、くくく、ふふっ」



 そんな風に笑って遊んで、さてそろそろお暇しようかなという時に、ふと思いついた。こういう可愛いものとは縁のなさそうな、むさくるしい奴。
 見せてやりたいなと思ったのは、楽しいことは皆で分けあった方が更に楽しいという持論故だ。多分きっと恐らくそうだ。

 「ねえ、おチヨちゃん、これ一個もらってもいいかな」
 「はい。構いませんよ」
 「ありがとっ」

 そう言った瞬間の笑顔に千代はちょっとばかりどきりとした。普段の夏空のような快活さだけでなく、露を含んだ花弁のような美しさが滲んでいるような気がしたので。
 けれども、まだ艶やかとまではいかないその表情が見えたのは一瞬で、(気のせいかな)千代は別れを告げた笑顔に手を振る。
 もしその表情が見間違いでなかったら、どれだけ羨ましいことだろうと思った。










 あまりの書類の多さに現実逃避を決め込み、重く湿気を含んでだぶつき始めた風に身をさらしていた時だった。
 空は白さを増した青、繁茂した緑が萌え、太陽は燦々と過剰なまでに降り注いで、気だるい風情を感じていた時だった。
 突然、のどかな速度で落ちてきた原色が政宗の狭い視界を埋めた。

 「………は」

 紙風船? 一拍遅れで理解する。理解した途端に疑問に思う、何故そんなものがこんなところに。
 奥州伊達軍は今この時に全てを賭けた連中の集まりである。レッツパーリィなトンデモ暴走族である。
 といってもそんな連中の頭である政宗の趣味が料理と掃除であるから、お残しは許しまへんでー&ポイ捨て禁止は絶対原則。しかしそんな規則正しい暴走族でも族は族、紙風船なんて女子供の遊び道具なんて言語道断出前迅速落書き無用、四国の某ファンシー生物(趣味:手芸全般とお人形遊び)には耐えきれない環境で、それは場違いにもほどがあった。

 ぽてっと落ちた紙風船を思わずじっと見ていると、とたたーと軽い足音が近づいてきた。

 「どこ行ったコズエー!」
 「普通に登場できねぇのかアンタは?!」

 意味不明な言葉を絶叫しながら飛び出してきたのはやっぱりというかで、半泣きでこずえこずえと人名を連呼しながらあちこち歩き回る姿は怪奇と言うに相応しい。おいこら勝手に引き出し開けるな、そんなところにいるのかこずえ。こずえ何者だよ少なくとも人間じゃないよな…!
 その尋常でない様子に、政宗は思わず心配になる。こいつとうとう頭沸いたんじゃなかろうか。

 「Hey, what happened? Tell me, then I’ll help you.(おい、何があったんだ? 教えろよ、そしたら手伝うぜ)」
 「うう……俺、ただワントゥーワントゥーアタックしてただけなんだよ。でもやっぱりボールは友達の方が良かったんだきっと。コズエ涙が出ちゃったんだ、だって女の子だもん」
 「電波受信中かアンタ?」

 政宗は理解する努力を放棄した。異文化コミュニケーションは難しい。
 しかし、ふと顔を上げたは「あーっ」と叫んでがばっと身を乗り出した。視線を追うと、晴天を背景に柔らかい影を落とした紙風船に辿りつく。青と原色の対比が綺麗だ。

 「コズエだ!」
 「あれアンタのか! しかも紙風船に名前つけてんのかあんた?!」
 「だってヒロミだとラケットいるしオチョー夫人だと縦ロールだろ」
 「誰だよそれ?!」

 紙風船をその手に持って、はぷくっと膨れた。容姿と相まって本当に女童がいるようだ。
 なるほどこいつ以上にふさわしい持ち主もあるまいと納得する。

 しかしはすぐにその怒りを解いて、にこにこ笑いながらにじり寄ってきた。思わず半身引いて舌打ち、奥州独眼竜に怖いものはない!

 「な、なんだよ」
 「へへー」

 ずいっと突き出されたのは紙風船。空気が抜けて、情けない感じにひしゃげている。
 得意げな顔では言った。

 「綺麗だろー? おチヨちゃんに貰ったんだ!」
 「Ah-、そりゃまたnice senseだな」

 ガキのようなに相応しい贈り物だと政宗は思う。
 しかし皮肉は通じなかったようで(むしろ黙殺されたようで)、はきゃらきゃらと笑う。膨らませた紙風船をぽんぽん投げて、色が回転するのを見ては綺麗だとはしゃぐ。
 あんまりガキっぽく喜ぶものだから、政宗はからかう気もなくしてしまった。子供に接するような気持ちが芽生える。

 「イタリア…だったか、そこにはなかったのか?」
 「なかったよ。綺麗なものも派手なものもいっぱいあったけど、カミフーセンみたいなフゼイはないね」
 「紙風船にどんな風情だ?」

 言いつつ、ぽんっと政宗にパスを寄越す。政宗がそれを返してやると、「レシーブ、トス、スパイクー!」「何だその呪文」「あ、バレーはまだ無いんだっけ?」だからなんだよバレーって。
 何回かパスをやりとりした後、はポツリと、

 「んー、懐かしいってフゼイかな? 俺は、紙風船で遊んだことなかったけど」
 「懐かしい?」

 政宗は面食らった。紙風船が懐かしいだと?

 「どこが懐かしいんだ? 日常的にある玩具じゃねえか」
 「………ああ、お前にとってはそうだろうね」

 そう言ったの表情は薄く伸ばした寂しさが重なっているようで、政宗は少しばかりうろたえる。というのは笑ってばかりいる人間だから、そんな顔をされたらどうしていいかわからない。
 政宗は知るべくもないことだが、(忘れていた、)とは己のうちに苦笑を零す。
 政宗とは、本来なら生きる時間自体が違ったのだ。何の拍子か二つの道は交わったけれど、二人の感覚にはズレがある。それは個人の感覚は言うまでもなく、時代そのものの違いが引き起こすズレ。小さな感動の共有なんて、夢のまた夢だ。そう思って、は知らぬ間に自身がそれを期待していたことに気付く。

 (見せてやろうかな、なんて)

 政宗も、自分と同じように綺麗だと感じてくれたなら。
 ――――感じてくれたらどうだというのだ。
 人はわかりあえない、期待なんてするだけ無駄。人生を楽しみながらそんな諦観を抱くは、今更ながら一体何を考えていたのかと自問する。

 「〜〜〜ええい、ままよ! くらえ、必殺第二の魔球!」

 思考がぐちゃぐちゃになってきて、は考える事を投げ捨てた。
 そうしたらなんだかエネルギーの捌け口が欲しくなって、行き場のない苛立ちのような恥ずかしさのようなモヤモヤを力一杯掌に込めて紙風船を叩きつける。
 ばすっ! と音を立てて、紙風船は政宗の顔を襲った。

 「Oh?! いい度胸だ……!」

 辛うじて魔球を防いだ政宗は犬歯を剥きだしにして笑う。魔物と言って然るべき面持ちだ。

 「クセになるなよ!」
 「そうはいくか!」

 政宗の逆襲には俊敏に反応する。やりとりされる紙風船はもはや球形を留めていない。
 鮮やかな色彩は非情な応酬に翻弄され、やがてぺしゃりと床に落ちた。

 「あーっ、俺のカミフーセン!」
 「お、俺のせいじゃねえぞ?!」
 「マサムネのせいだよ! 責任とって! 認知して!」
 「せめて謝れと言えこの道化!!」

 は破れた紙風船を拾い上げる。「あーあ…」皺だらけの表面は無残と言う他ない。
 彼のしょんぼり具合がいたたまれなかったのか、政宗はせわしなく辺りを見回す。一応原因の片方である自覚はある。
 きょどきょどおろおろ、「あー、その」謝れ俺一言悪いと、ああでも何か言いたくねえ!

 手を上げたり下げたりしていた政宗は、それでもやがて覚悟を決めたように決然と前を見据え、その手をの頭に乗せる、

 「だっ」
 「Oh,s,sorry!」

 しまった力が入り過ぎた。
 うっかりチョップ攻撃を仕掛けてしまった政宗は、ぱぱっと手をどける。泣きっ面に蜂と言わんばかりの膨れっ面で頭を撫でたにますますどうしていいかわからなくなって、

 「Don’t disappoint, I’ll give you new one.(落ち込むんじゃねえよ、新しいやつやるから)」

 気付いたらそんな約束をしてしまっていた。
 申し出られたはぱちくり政宗を見て、「……お前が買うの?」「い、Yes」ちょっと想像してみたらあっさり脳の限界を超えた。だって考えてもみろ、眼帯ヤンキーええかっこしいのいかつい男が子供に混ざって真剣な顔で紙風船を、駄目だ腹筋よじれる!

 はぶぷーっと吹き出した。その遠慮の無さに不穏なものを感じて政宗はちょっとばかり傷ついたというかイラっとしたが、なにはともあれ一気に機嫌が直ったようなのでよしとする。

 「いいよ、新しいやつなんて」
 「But…アンタ、紙風船が気に入ったんだろう?」

 確かに綺麗だからな。
 何気なくそう続けたが、それを聞いたは小さく目を見開いた。それは本当に小さな変化で、政宗には気付けなかったけれども。

 (お前、も、綺麗だって思ったのか)

 それだけのことなのに、そんなちっぽけなことが何故だかひどく嬉しかった。
 はそっと破れた紙風船を胸に抱く。皺だらけの、極彩色の綺麗な玩具。分かり合えなくて、分かり合えたもの。

 「いい。新しいのはいらない、これがいい」
 「アンタがそう言うんなら、構わねぇが…」
 「Grazie(ありがとう)」

 微笑んで、は紙風船をもう一度見る。
 これは捨てられないな、と、漠然とだがそんな予感がした。





 極彩色ライフ

 紙風船好きです
 戦国にしては夢主が素直。千代を出したのは趣味

 080527 J