「いやだあああああああっ! 死ぬ死ぬ殺されるマサムネのバカ―――――ッ!!」
 「Shut up!! 人聞きの悪いこと言うんじゃねえよお子様が!」

 悲鳴が青空をつんざいている。
 発生源は毛を逆立てた猫のような少年で、右目に眼帯をした青年が彼の首根っこを押さえてずるずる引きずっていた。少年は半泣きになりながら手足を振りまわす、振りまわす。薬局の前に置かれたファンシーなオレンジ象に右手が当たり、彼は必死で象にしがみついた。その姿はコアラを思わせる。
 道行く人々の迷惑二割好奇心八割の視線の中心で、奇妙な二人組は漫才めいたやりとりを繰り広げ始める。

 「、てめぇガキか! 早く手を離せ迷惑だろ!」
 「ガキでいい俺まだガキだもん! お前こそ手離せよそしたら俺も手離すから! それまで誰がキュー●ーちゃんを離すもんか!」
 「それキュー●ーじゃねえよワガママ言うな! 白い目で見られてるのがわからねぇのか!」
 「ジャポネーゼは黒眼だよ!」
 「慣用句だ!」
 「カンヨークだろうがニューヨークだろうが俺が知るかああっ!」
 「せめてニューヨークは知っとけ、いいから大人しくしろ―――――ッ!!」

 ガタンガタン音を立てて、政宗はオレンジ象にしがみついたをマスコットごと引きずり始めた。唖然と事態を見守っていた薬局の店主が慌てて出てくる。
 しかし騒ぎ続ける二人の間には口を挟めない雰囲気が漂っており、先日孫ができたばかりの店主は自身の幸せ老後生活のために口をぱくぱくさせるだけで沈静化した。
 母親に片手を引かれた子供が、母子ともども3メートル向こうから唖然と二人を見守っている。彼のもう片方の手にはコーンが握られており、チョコアイスは彼の足元で蟻の餌になっている。商店街中の視線を欲しいままにして尚二人はしかしそれに気付かない。
 政宗は一応「人目があるんだぞ!」と叫んでいたが、彼自身注目されているのは棚上げだ。に至っては人目など気にする余裕もないらしい。

 「いいじゃん虫歯くらい放っといたって死なない!」
 「アホ、虫歯が神経に達してみろめちゃくちゃ痛いぞ! お前の好きなsweetsも食えねぇぞ!」
 「悪化させなきゃいいだけだ!」
 「Shut up!! 信用できるか!」

 固く握られた拳が唸った。
 勢いよく脳天に打撃を受けたは短い悲鳴を上げ、マスコットを掴んでいた手を離す。火事場の馬鹿力もしがみつくものが無くなっては意味がない。
 すかさず政宗はを肩に担ぎあげ、

 「いやだ離せ降ろせ助けて、人さらい――――――――――ッ!!!」
 「Be quiet! 歯医者行くだけで騒ぐな!」

 たくましい上腕二頭筋に腰をバッチリホールドされたは手足をばたつかせて暴れたが、政宗は危なそうな攻撃だけ止めて進んでいく。人垣がさっと二列に割れた。さながらモーセの十戒だ。
 二人はぎゃあぎゃあ騒ぎながらデンタルクリニックの自動ドアをくぐった。
 それを見届けて、商店街は呆れたような失笑と共に日常へと戻っていく。

 「ねえママ、ぼくの方があのお兄ちゃんよりオトナだね」
 「……本当にそうね……」





 子供にさえ呆れられているとは露知らず、散々暴れ嘆き、待合室の患者どころかスタッフまで観客に変えたは、二段になったたんこぶを押さえてソファの上で体育座りをしている。
 膝に埋めた顔は見えないが、時折鼻を鳴らす音が聞こえた。ぐしぐし。
 隣に座り、予約から受診手続きまで全ての作業を代行した政宗は居心地悪くそっぽを向いた。
 そっぽを向いた先で唖然と丸い目を見開いた子供と目が合って思わず舌打ち。なんで俺がこんな居心地悪い思いをしなければならんのだ!

 (医者嫌いにだって、限度ってもんがあるだろう!)

 は医者が嫌いだ。せっぱつまってもこいつは行かない。行こうとしない。
 虫歯が痛いと頬を押さえ、少しでも痛くない姿勢を探そうと床を転げ回ったり逆立ちしたり天井からぶら下がってみたりするくせに、無理に連れて行こうとすれば殴る蹴る暴れる逃げる。
 注射に怯えて泣き叫ぶ子供? それくらいかわいいものだ。抵抗するはジャグナイフまで投げた。
 なんとか捕まえて連れてくれば、

 わあああああん!
 「…………ッ!」
 びくびくっ

 キュイーンキューンキュイイーン
 「………ッ! ………ッ! ………ッ!!」
 「………Hey you」

 子供の声に怯え、機械の音に声にならない悲鳴を上げて、は手近な政宗にしがみついた。ちなみにもう一方には綺麗な女性が座っていたのだが、ふだんの女タラシも今ばかりはカタ無しのようである。
 抱き枕よろしくしがみつかれた政宗は、周囲の視線が一部一気に色を変え静かなどよめきが巻き起こったことに、整った眉を痙攣させた。

 「俺はアンタのMomじゃねーんだ!」

 べりっと力任せにひきはがそうとしたが、はタコのように離れない。吸盤でも持ってるんじゃないかこいつ。
 涙目で縋りつくに罪悪感が募る。ひょっとして俺はとんでもなくひどいことを、

 (んなわけあるか気を確かに持て俺! ここで折れたら負けだ!)

 密かに気合を入れ直した時、

 「さーん」
 「よし覚悟決めやがれ!」
 「…………ッ!」

 声もなく蒼白に転じたをひきはがし診察室に向って送り出すと、彼は二三歩進んで座り込んだ。呆けたように動かない。
 まるで腰が抜けたような状態に一瞬嘆きのあまりどうかしてしまったのではと心配になったが、あまりに馬鹿らしい心配なので即座に丸めて捨てる。
 近寄ると、崩れかけたゼリーに無理矢理顔を描いたような笑顔未満の悲惨な表情。
 呆れよりも怒りが勝って、政宗は口元をひきつらせた。無理矢理立たせる、

 「……っの! どこまで根性無しだてめぇ! 虫歯なんざ自業自得だろう、さっさと落とし前つけて来い!」

 政宗の怒気と内容に、興味津津で輝いていた観客たちが一気に引いた。皆雑誌やコミックスを反対に持って無関心を装う、それでも視線が行くのは止められない。
 怒鳴られたは思わず首をすくめたが、やがて涙目でだって、と引き金を引く。

 「だって怖いよ、キュイーンだよ?! ドリルじゃんあんなの! ジェイソ●だエ●ム街だ●ャッピーが白衣来てあそこにいるんだよ!」
 「どこまでガキだお前は?! ピーター●ンでも気取るつもりか、ここは永遠の遊園地じゃねえんだよ!」
 「じゃあ俺妖精さんになる! 虫歯なんて嘘だオマジナイしたら治るもん! 痛いの痛いのとんでけー」
 「とんでけー、じゃねえ!! Listen carefully(よく聞け)、虫歯菌が神経やら血管やらに侵入したらな、廃血病起こして最悪死ぬんだぞ?! お前の好きなプリンもケーキもジェラートも食えねえぞ!」
 「う、ううううう―――っ!」
 「ほらdentist(歯科医)だってスタンバイしてる。ここは腕がいいって評判だ、きっと痛みもねえよ多分!」
 「きっととか多分とかそんなフカクジツなの怖い! そこまで言うんならマサムネが診てもらえよ!」
 「Ha! 俺は虫歯なんか一本もねぇよ、親知らずだってもう抜いた!」
 「じゃあ前歯を抜け!」
 「Fuck you!!(死ね!!)」

 政宗は三発目の拳骨を握る。勢いをつけて振り抜いたそれをは避けようとしたが、背後にあった受付にぶつかり、

 「あ」
 「ぎゃっいぃいいいっ!!!」

 丁度虫歯の位置に拳が埋まった。
 は凄まじい絶叫と共に悶絶した。クリニック全体を得体の知れない沈黙が唐突に支配する。
 事故とはいえさすがにまずいことをした自覚のある政宗が、冷や汗だらだらで恐る恐るをつつく。返事がない。ただのしかばねのようだ。

 「お、おい……?」

 少し力を入れて揺すってみる。は目を覚まさない。
 まさか打ちどころが悪くて、と血の引く音というのを我が身で聞いた政宗は、手をの鼻と口にかざす。
 手のひらに吐息を感じた政宗はほっと息を吐いたが、指先に触れた唇の感触に一瞬で氷柱になった。違うこれは事故なんだ!
 青から赤へと信号機の如く顔色を変えた政宗から観客たちは一斉に目を逸らす。一部微笑ましい目でじっくり舐めるような観察を続ける例外もいた。どこにでも例外というのは存在するものらしい。

 解凍するや挙動不審な動きを始めた政宗に、恐る恐る歯科医が近づく。
 専門外とはいえ一端の医師である彼が心配になるほど性急に顔色を七変化させる政宗にひっそりと、

 「あのう」
 「違う違う違う………Ah?」
 「す、すみません。いいい、今のうちにちゃちゃっと処置してしまいたいんですが」

 暴れまくる患者の意識が無い今こそ、千載一遇のチャンスだと彼は思う。
 歯科医の提案を虚ろかつ凶悪な目で受けた政宗は、のろのろとその内容を理解して気の抜けた返事を返した。Ah-。

 「じゃあ……よろしく頼むぜ。You see?」

 力なく紡がれた依頼に歯科医が必死でうなずくと、政宗は気絶したを抱きあげて処置台まで運ぶ。

 (お姫様だっこ…)
 (お姫様だっこだ)
 (お姫様だっこね)
 (お姫様だっこ……ッ!)

 心の中で異口同音に十人十色の感想を呟き、気絶したまま処置をされているであろうとうなだれて何事かをブツブツ呟いている政宗を見て観客たちは思った。


 頑張れ、少年よ!





 sweet tooth panic

 今ならきっと政宗も痛みを感じる余裕もない笑
 080324 J