「やっぱたこ焼きは外せない!」

 鼻をくすぐるソースの匂いに耐えきれず、は進軍を開始した。曲芸で鍛えた脚で軽やかに跳ねて、臆することなく人ごみに突っ込んでいく。
 一拍遅れて政宗が苦笑気味についてきた。
 保護者のつもりか、そう思ったが今は突っかかるより食糧確保が先決だ。腹が一杯になったらあとはいかにして政宗をまくか、道々考えるつもりでいる。
 ―――はまだ広場ジャックを諦めていない。
 確かに魔王は怖いが、要は信長さえやりすごせばいいのである。


 手始めにたこ焼きとハニーカステラを買いこんで、さあ次は飲み物をどうしようかと獲物を物色する。狩人の目だ。舗装ブロックの上で限界まで背伸びをして人ごみの向こうを見遥かそうとするに、政宗は伸びあがったオコジョを連想する。

 「あれっ」
 「What happened?(どうした?)」
 「モトチカがいるよ」
 「Ah?」

 よく見知った男の名を聞いて、の示す方向に首を巡らせてみる。
 だが政宗は舗装ブロックに乗ろうともしない。彼の身長ならば、底上げをする必要もなく人ごみから頭一つ抜きんでるのだ。
 政宗にとってそれはちょっとした自慢だ。わざわざ自慢するのはCoolじゃないから胸に秘めているが。

 「………What is he doing?(何してんだ、アイツ)」

 政宗は訝しげに呟いた。首からタオルを下げてラーメン屋店員のごとき調理服(白)をまとい、汗だくになってがっしゅがっしゅとコテを操る元親はこれ以上ないほど彼のイメージに合致していた。

 いたが、その手元に広がる宇宙はなんだ。

 黒々とした鉄板の上にはじゅうじゅうとおいしそうなお好み焼きが食べられる時を待っている。それはいい。見ているだけで口内に唾が溜まりそうな焦げ目、鉄板の上で焦げていくソース。それもいい。GJだ。
 だがしかし、紅ショウガの隣でつやつや輝くイチゴは一体何事だ。
 使うのか。お好み焼きにそれを使うのか。

 思わず政宗は唖然とした。お好み焼きにイチゴ。正気を疑いたくなる組み合わせだが、彼が見守る中で元親はイチゴをお好み焼きに盛っていく。えええそれトッピングなの本気でか。
 政宗が心中悲鳴を上げていると、同じく見入っていたが勢いよく舗装ブロックを飛び降りて猪突猛進、元親の屋台に特攻をかけた。

 「モトチカ―――!」
 「おぉ?! じゃねぇか、なんだお前も祭り来てたのか!」

 しかもやっぱり伊達と一緒にか、との後ろににょっきり現れた長身に心の中で呟く。
 全くこいつらどこへ行くにも一緒だ。夏祭りなんて、デートにはおあつらえ向きじゃねぇかこんちくしょう。
 双方共に女たらしのくせして、ごく自然に二人だけで夏祭りに来るとはどんなあてつけだ。こっちは汗水たらして働いてるってのによぅ。

 一瞬からかってやろうかと思ったが、政宗の物騒極まりない視線にそれを諦める。元親の目の前には灼熱の鉄板、政宗の目には勘違いにもほどがある敵意。これで下手につついてみろ、リンゴを軽く握りつぶす掌が容赦なく元親の顔を熱くやけた鉄板に、やっぱ考えるのやめとこう寒気がしてきた…!

 「うん、Buona sera! モトチカ、コックだったのか?! 意外だけど、似合ってるよ」
 「ありがとよ。いや、オレぁコックじゃねえんだが、毎年出店してた子分が今年は骨折でよ…だから、オレがかわりにそいつの店を出したってわけだ」

 元親は豪快に笑う。ただでさえ彼はバイクの借金返済に忙しいはずのに、舎弟の店の面倒までみてくれるとはつくづくいい兄貴だ。

 「預かったからには、下手なモン出せねえからな。お好み焼き名人に弟子入りして腕を磨いたぜ。食材もこだわり抜いた」

 真にいい男である。ただし、若干方向性を間違えた感がなくもない。
 なぜなら夜店で売られるのは普通のお好み焼きであり、間違っても名人の創作料理ではなく従ってイチゴなんぞこだわっても仕方がないからだ。しかし元親は気付かない。彼はいつでも全力投球だ、特に子分が絡んだ時は。
 賢明にも、はその点を優しくスル―してあげた。

 「そのわりにゃあ、変なモン量産してんじゃねぇか」
 「ぁんだとぉ? よく見ろ、繁盛してるぜ!」

 ああマサムネめ、俺がそっとしておいたことを。は己の料理の腕を棚に上げてそう思う。
 確かに、元親の作るお好み焼きはどういうわけだか飛ぶように売れていた。しかしながら客の大半が女性客、きゃいきゃいお互いをつつき合いながら食べているのを鑑みればどういう理由かは自ずとわかる。
 純粋に料理が評価されたと思っている元親には酷だが教えるべきか、いやいや知らない方が幸せということもあるだろう。はやっぱり優しく口をつぐんであげた。

 「ったく…礼儀知らずの田舎モンがよぉ」
 「まーまー。繁盛してんだから、マサムネなんて気にするな」
 「んだとてめ、」
 「よく言った! ぃよし、ちょっと待ってな。特製お好み焼き作ってやるからよぉ」

 言うや、元親は鉄板に具をどさどさ投入し始めた。
 やった! やっぱ持つべきものは扱いやすい友人だ。

 「あ、でも俺肉食べられないんだ」
 「心配すんな、特製海鮮玉だ」

 ならば安心して任せられる。元親の魚に対する執着心は凄まじい。他はてんで駄目なくせして、魚偏の漢字なら元親に読めないものはない。まさに隠れた特技である。
 そんなだから、元親が魚の仕入れに関していい加減なことをするはずはない。

 しばらく待っていると、元親は友人サービス大増量の見事なお好み焼きをタダでくれた。ほかほか湯気のたつ切り口からはぷりぷりの海老が「食べて〜」と赤く染まった身をよじっている。

 「わあ、おいしそう!」
 「当然だ、このオレ様が丹精こめて焼いたんだからな!」

 味見するか? と箸で一欠片持ち上げると、は待ち切れないというようにかぱっと口を開いた。まるで餌を待つ雛鳥のようだ。あつあつのお好み焼きを放り込んでやると、彼は幸せそうに咀嚼する。あれだ、「はい、あーん」のステレオタイプだ。幸せそうなの横で政宗が無自覚の人間ブリザードと化す。
 やべ、やりすぎた! 調子に乗っていた元親は背筋に冷や汗を感じたが、彼にとって幸いなことに恐怖体験は長く続かなかった。

 「んー、おいしい!」

 全開の笑顔で嬉しいことを言ってくれながら、が政宗に寄り添った。まるで元親の危機を察したかのような見事なタイミングだ。驚いた政宗は即座にドライアイスから熱湯へ転身し、オレンジがかった白熱灯でもはっきりわかるほどに頬が染まっていく。………あれ、これってホントに救いなんだろうか。砂糖攻撃開始なんじゃなかろうか。
 思い悩み始めた元親を、照れを隠そうとしているのか殊更ぶっきらぼうな口調の政宗が呼ばわる。

 「Hey, さっさとブツを寄越せ」
 「へいへい、わぁったよ」

 半分げんなりしながら差し出すと、政宗は乱暴にお好み焼きの袋をひったくった。おいおいそれはひどくないか?
 少しばかり、いやかなりぴきりと来た元親だったが、さっさと背を向けた二人に怒りも解ける。いや解けるというか馬鹿らしくなったというか。

 「何だ、あいつらついに付き合いだしたのか…?」

 元親に満面の笑みで挨拶をしたの左手を、政宗の右手がしっかり握っていた。
 しかも俗に言う恋人握り。見ているだけで恥ずかしい。

 (それにしちゃ以前と何も変わらないんだが…)二人がくっつく=現状の改善という希望を持っていた元親は、いっそ清々しいまでに今まで通りの状況に思わず涙が滲んだ。
 オレの平穏は一体どこだ。
 夏にも関わらず、元親の心には寒風が吹きすさんだ。





 「、Are you ok?」

 元親の屋台が見えなくなるまで、は頑なに進み続けた。もう屋台のオレンジの光は程遠く、二人は人気のない公園に入り込む。
 政宗が気遣わしげな声をかけた途端、まるで糸が切れたようにはその場にしゃがみこんだ。

 「うぐ、ぅ、は……ッ」
 「っ、おい! ?!」

 擦れたえずきと共に、つんと酸っぱい臭いが公園に凝る夜に広がる。
 食べたものなんて元親のお好み焼きしかないはずなのに、はまるで胃液まで全て空にせんばかりにもどし続ける。もう固形物などない、彼が吐いているのは彼の胃液だ。
 政宗の右手にの爪が食い込む。彼のどこにそんな力があったのか、皮膚を破ろうとでもしているかのように強い力だ。合わされた掌は冷や汗でぬるぬるしていて、繋がれている手からの震えがダイレクトに伝わってくる。

 「おい、!」
 「ぅ……」

 口の端から、唾液と胃液の混合物が糸を引いている。一通り吐瀉して荒い息を吐くを、汚れるのも構わず半ば強引に抱きよせる。繋がれた手に弱弱しい震えが伝わる、シャツを握る右手を感じた。

 「大丈夫だ。Calm down(落ち着け)……ここにいてやるから」
 「ぁ、ぅ…」

 獣の仔のようには喘ぐ。
 自身よりずっと大きな体躯に覆われるように抱かれていても、不安なのかの左手は確かめるように何度も何度も政宗の右手を握る。力なく。
 元親が彼らの間に幸せを見たなら、それは勘違いだ。が政宗に寄り添ったその時から、政宗に縋った左手は震えていた。
 は元親の手前ポーカーフェイスを保ったが(の場合それはえてして笑顔だ)、一瞬驚いたものの政宗はすぐに異常に気付いた。
 そうでなければがあんな笑顔を浮かべるはずがない。脂汗と冷や汗だらけの、ひきつった笑顔。

 相当余裕が無かったのだろう、何度も深呼吸と大きな震えの波を繰り返し、は徐々に落ち着きを取り戻した。
 かたかたと震えていた体から力を抜いて大きく息を吐くと、そこには憔悴しているもののいつもの彼がいる。

 「落ち着いたか?」
 「ん…」

 動く気力も無いのか政宗の胸に抱かれたまま、は緩慢に頷いた。それでも左手は解く。それが彼の一線なのだろう。
 政宗は離されたべとべとの手に一抹の寂しさを覚えた。
 醜態をさらした挙句、思いっきり握りしめたことを申し訳なく思ったのかは眉を八の字に下げる。

 「わり…迷惑、かけた」
 「Don’t worry, アンタが迷惑なのはいつものことだ」

 あえて何でもないように言ってやると、「ひでぇなぁ、俺そんな迷惑キャラじゃないよ」と軽口が返ってくる。そこに感謝が織り込んであることに気付かない政宗ではない。

 「ベンチにでも座るか?」
 「…ん」

 しかし、立とうとしたはそのままへたりこんだ。力が入らないらしい。
 軽口と共に抱え上げてやると、しっかり悪態をついたものの素直に腕を回してきた。相当参っているようだ。
 抱えた体の軽さにどぎまぎしながらも無事ベンチに届けてやると、彼はやはり緩慢な動作で腕を離した。ぐったり背もたれに体重を預けた姿には常の精彩がない。

 「水でも持ってくるか?」

 吐瀉物で口の中が気持ち悪いだろう。政宗は踵を返しかけたが、ふと小さな抵抗を感じて振りかえる。
 そっぽを向いたが、政宗のシャツを掴んでいた。

 「………いい」
 「What?」
 「水、今はいらない。…から、…………ここに、……」

 最後の方は囁きに近い。ほぼ無音の公園だから聞こえたようなものだ。
 しかしその小ささに反して威力はハンマー並みだった。政宗は思わず停止した。

 「っ、や、やっぱいいっ。ごめん、変なこと…」

 自分が何を口走ったのか気付いたが急いで訂正するが、政宗は無言で彼の隣に座った。何も言わないのは、呆けたに何か言ってやりたいが言葉が浮かばないからだ。
 暗くて良かった。お互い、どんな顔をしているかわからない。

 「……………I'll stay here.(ここにいるさ)」

 座ってまでおいて今更だが、他に何も思いつかない。こんな時なんて言ったらいいんだ、普段ならもっと簡単に喋れるのに。
 政宗が人知れず混乱の極地に立っていると、そろそろと右手に自分のものでない熱を感じた。
 (………っ!)緊張するなと言う方が無理な話だ。

 「……Grazie mille, e mi scusi quello che non ha corraggio.(どうもありがとう、それと勇気が無くてごめんね)」

 待て。

 (イタリア語なんざわかるか!)

 実際のところ、は政宗が理解できないことを知っていてイタリア語を使ったのだが、政宗にはそんなことわからない。
 肩すかしをくらった気分だった。

 雰囲気が崩れたのを見越して、は改めて日本語で語りかける。

 「気遣わせてごめん、ありがとう。でも心配しないで、俺もう大丈夫だからさ」
 「………大丈夫じゃねぇだろ。大体どうしたんだ? 急にしおらしくなりやがって」
 「………肉が入ってたんだ」

 はある事情から肉類が食べられない。好き嫌いのレベルを通り越して受け付けないのだ。
 肉食文化圏であるヨーロッパではベジタリアンのメニューで過ごしていたという。

 「……元親の野郎は海鮮玉だと言ってたが」
 「モトチカを責めるなよ。正確には肉じゃない、油だ」

 どうやら、食材にこだわったのが仇となったらしい。元親が使っていた油は植物油でなく、豚のラードだった。
 はそれに敏感に反応してしまったらしい。

 「………何で、その場で言わなかった」
 「言えるか。元親がやってんのは、客商売だ。しかも食べ物。俺の体質のせいでパーにするわけにはいかねぇよ」

 客商売は信頼が基本だ。その場でが吐くなりなんなりしていたら、元親の店はもう客が寄り付かない。
 同じ客商売を生業にするには、それがよくわかった。

 腹の虫が収まらないらしく不満げな政宗に、は「いいんだよ」と話を畳む。

 「被害者がこう言ってんだ、矛を収めろよ。仕返しなら今度ばっちりするから」

 やっぱするのか。のことだからきっと最少の労力で最大の効果だ、例えば元親のおごりで寿司パーティーとか。
 その様子が容易に想像できて政宗は思わず乾いた笑いを漏らす。いい気味だとは思うが元親の嘆きが目に浮かぶ。

 「ぃよし、なあマサムネ、俺もう大丈夫だから戻ろうぜ」
 「あ? Are you serious? 空元気だろ」
 「ホントだって。まだ買いたいものもあるんだ、行こう」

 はそう言い募るが、何馬鹿なこと言ってんだまだロクに立てない癖に。口先ばっかり元気で手足はぐったりしてんのがいい証拠だ、アンタが俺に気ぃ遣ってんのなんかバレバレなんだよ。

 「Ha, 俺を騙そうとすんなァ十年早ぇぜ」
 「を?!」

 案の定弱弱しい抵抗しか示さないをさっさと負ぶってやる。意表を突かれたのが丸分かりな悲鳴に政宗はしてやったりと笑った。
 念のため言及しておくが、政宗が騙されるのは日常茶飯事である。

 突如背負われたは一瞬わめいたが、政宗が夜店の方へ歩き出したのでありがたく無言の申し出に従うことにした。
 腕を前に回したら吐息が素肌にかかった。密着した体からほのかな汗のにおいがする。

 (わ……)

 胸がざわめくような、安心するような感覚を一挙に味わってはそっと目を閉じる。
 視界が閉ざされる直前、肩越しに見た夜店の暖色光が、瞼の裏でも煌めいていた。





 夏宵、燈色フィラメント

 タイトル読み方は雰囲気でお願いしまァァす!
 チカごめん!
 080713 J