――――ぽとり。 最後の一文字から筆を離したのと入れ替わりに、透明な雫が頬を伝った。 紙に丸い染みを作ったそれを何だろうとしげしげ眺めて、はっと気付く。 「ああ、いかんいかん」 涙で墨が滲んでしまっては台無しだ。 折角ここまで、文字を震わせずに書ききったのに。 乱暴に涙を拭うと、幸村は満足げに書き上げた手紙を見た。 存外長くなってしまったが、これでも短くまとめた方だ。 浮かばぬ言葉に苦心惨憺しながら、一文字一文字いとおしむように綴っていった。 綴られたのは、他愛もない言葉たち。 果たせもしない約束を取り付けられる政宗には悪いが、彼との行楽を思い描くのは楽しかった。 春には桜、夏には蛍、秋に紅葉、冬に雪。 瞼の裏に浮かべた幻の美景、それだけでしみじみと幸せだ。 そこには政宗と佐助と、幸村がいる。 彼らがこれを実行してくれなくても構わない。ただ、書かずにはいられなかった。 幸村は小さく自嘲する。いつからこんな弱い人間になったのか。 死ぬことはとりたてて怖くない。若輩の頃から、戦場を駆けてきたこの身である。 むしろ戦場の熱の中に散ることを望んですらいる。幸村は戦に憑かれていた。 けれども、遺してゆく愛おしいものを思うと、幸村は途端に怖くなる。 それは身勝手な願いだった。 その恐怖が、幸村に筆をとらせた。 愛した者たちに、死を悲しんでほしくない。 愛した者たちに、自分を覚えていてほしい。 愛した者たちに、自分の死を悼んでほしい。 愛した者たちと、もっとずっと一緒にいたい。 そう思ったら矢も楯もとまらなくなった。 男子がなんたる落ちぶれよう、しかし思いの丈は湧水のように尽きず、幸村は死後の幸福に酔うのだった。 だがその悪あがきもついに終えた。 ああ、まだだ。 ふとそんな思いがよぎり、幸村は自身に苦笑する。 この期に及んでなんと貪欲な。けれども、一番伝えたいひとに、一番伝えたい最期の言葉を遺していない。 自分も彼も、存外と弱いひとである。 だからせめて最後くらい、良いだろう。 文机に向きなおり背筋を正す。 可能な限り丁寧に、心の底を浚うようにして、千の思いを墨の流れに織り込む。 強くて弱い貴方へ、これが最後の贈り物で最後のわがまま。 どうか伝わりますように。 どうか忘れませんように。 どうか、幸せでありますように。 追伸 戦の前 |
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