たましいの燃える色を見たことがある。
 数多と戦場を踏んできたが、自分には潮来のような大層な霊感というものはないので、だからそれは人魂と呼び習わされるものではない。
 政宗がたましいの燃える色と断じたのは、平安、あるいはヤマト朝廷以来、北の軍都であった奥州のタタラで溶かされた鋼の放つ、目も貫かんばかりの緋色の輝きだ。
 地中深く、何千、何万もの時をしんしんと沈黙してきた鉱石は、ある日掘り起こされて日の光を反射し、高熱のタタラに投げ込まれる。炉の中で、鉄鉱石は融解し、溶岩のようにゆらゆらと波打つのだ。炎の芯のような、黄味がかった朱色は線香花火の玉に似て、もし両手に掬えば温度も重さも無さそうで、柔らかそうな、胎児に宿る前のかたちにころころと丸まってしまいそうなそれは、最も原始的なたましいが燃えているのだと思わずにはいられなかった。でなければ、一刻も逃すことなく鮮烈な色合いで押し寄せてくる少年期を通して、一度見たきりのその色を埋み火のように心に抱え続けられるはずがない。政宗をとらえて離さない、原始の色。


 鍾乳洞の底のように濃度の高い夜を、すう、すう、と、地下水の汀に寄せる波音のような虔しい寝息が揺らしている。
 破れ屋根の隙間から覗く星明かりは、時の流れから忘れ去られたような小屋を照らすには酷く頼りなかった。埃と、黴と、土と、申し訳ほどの板壁にさえ繁茂する夏草のむっとするにおいが混ざり合って、―――そして真新しい汗と精液のにおいがそこかしこに漂って、小屋にはまさに死んだ時のにおいが充満していた。おかしなことだ、それらは、少なくとも酷く鼻をつく異臭たちは、生命のにおいであるはずなのに。
 極端に明度の低い、己の手さえも輪郭ほどしかわからぬ暗闇の中で、政宗は開くともなしに瞼を押し開けた。どこかで虫が鳴いている気がするが、生憎と虫の声を聞き分ける耳は持っていない。彼の聴覚はしばらく夢現をさまよい、少しずつ地底の呟きのような寝息を拾った。気だるさの残る頭を動かすと、思いの外動作音が際立った。濃密な静けさがいけない。
 荒れ放題に破れた屋根の穴から、丁度良く落ちた僅かな光が、隣で眠る幸村の額から鼻頭にかけてを淡く浮かび上がらせていた。ぼんやりと差しこむ光はところどころできらきらと光っている。埃に反射しているのだろう。少し向こうに散乱しているのは、ぞんざいに脱ぎ捨てられた着物だ。埃にまみれて、再び身に纏うには一度洗濯する必要がある。それは、人間の方も同様だ。久方ぶりの手合わせの熱が冷めぬまま、ろくろく確かめもせずに打ち捨てられた小屋に傾れ込んだ。髪も、体も、酷く汚れ果てていることだろう。

 幸村は死んだように眠っている。起きている時は、あれほど生命力に溢れているのに、まるで最初から生きたものではないかのように、あるいはとうの昔に生命を放棄した抜け殻のように、眠り込む彼は静かだった。手を伸ばす。乾いた粘液のせいで指先を曲げるのが少しぎこちなくなったが、政宗は問題にせず、幸村の髪を軽く梳いてみた。ざりり、と皮膚に触れたのは砂の小粒だろうか。幸村は目覚めない。一度気を遣ってしまうと、彼の眠りは深かった。


 政宗は幸村のことを、好きだ、と思ったことは無い。
 命の奪い合いを演じても、男女の如く睦んでも、繋がりの間に甘やかなものを見出すことは終ぞなかった。
 生ぬるい恋情の代わりに見出したのは、飢餓と称しても足りないほどの衝動だ。
 三大欲求から選ぶなら、性欲よりも食欲に近い。

 政宗は半身を起き上がらせ、右手を幸村の体に沿って辿らせた。ろくな手入れもされず痛んだ髪の毛、濃い眉、鋭角的な輪郭、太い首と突き出た喉仏、硬い筋肉と太い骨の稜線、日に焼けた厚い皮膚。全てが己と同じ、幸村の雄としての、それもとびきり強靭な猛獣としての性を表している。
 数えるのも面倒なほど行為を重ねておきながら、政宗はその体に欲情することはないのだった。こうして慈しむように触れてみても、何の感慨もわかない。

 「なあ、幸村、目ぇ開けろよ」

 鍛えられた体に備わった健康的な美しさには目もくれず、政宗は幸村の頭を抱え込むようにして囁いた。自身の影に囲った幸村の瞼は、夢も見ないのか痙攣もせずに硬質なままだ。政宗は動かない幸村に興味は無い。己の影に転がる幸村は冷え冷えとした鉱石も同然だった。政宗の背筋を震わせるのは、標本などではなく、灼熱の溶岩を滾らせた幸村だった。


 幸村と戦うのが好きだ。
 二槍の穂先と六爪の刃が生みだす剣戟、そこから生まれた火花が点いたように体中の血が燃える。ふいごで煽られた炎は猛り狂い、幾万の時を越えた鉱石の融点を遥かに超える温度でドロドロと溶かし、溶かし、沸騰し、心ノ臓まで燃やし尽くして、皮膚の下の臓腑が全て融けた鋼に変わる。ドクドクと血中を駆け巡る炎色。燃える。たましいが燃える。鋳物師は鍛冶場の光で目を痛めるという、ならば体内をタタラと化した己の目に映るもう一つの鉱石が己の目を奪うのは当然だ。同種の輝きから目が離せない。たましいが燃える。幸村という火を得て、更なる高温を目指して燃える。火を、もっと火を。その熱をくれ、その灼熱をくれ。刃を合わせるごとに融解していく、政宗と幸村の境。同じ原始の光を放つたましい。熱を求めて喰らい合う。


 燃え盛るたましいの色をはめ込んだ瞳が欲しい。
 その目玉が燃えるほど、激しい飢餓に酔い痴れる。


 観察にしては強硬な視線を感じ取ったのか、幸村の瞼が小さく震えた。政宗は歓喜する。純度の高い幸村の目玉からは、彼のたましいが燃えるのが良く見えるのだ。政宗の中で、タタラの炎が舌舐めずりする。もし自分が幸村という器も好んでいるのなら、それは目玉、その小さな球体のみだろうとふと思った。それさえあればあの緋色が見える。あとの腕だの、足だのといった器官は、戦場を駆けるためのものでしかない。政宗は堪らなくなって、開かれようとする瞳に牙を剥いた。太古の野生が遺されたような犬歯が、幸村の虹彩に映り込んで一瞬硬質な光を弾いた。
 ずっと、融けた鋼が冷えなければいい。





 標本少年(めだま)




 鉱物標本
 盲目の季節
 100805 J